楽譜の読み方が変わる

私のビデオ教材をお買い上げ下さったお客様から、ものすごく嬉しいお便りをいただきました。

バッハの作品の学びや考え方を教わったことで、ショパンやベートーベンやそのほかの作品の楽譜の読み方が変わったと感じます。

(埼玉県 T様)

これがどういう意味なのか、お分かりですか? これのどこがそんなに「ものすごく嬉しい」のかお分かりですか?

ふつう「楽譜を読む」というとき、「この楽譜をどう料理したらいいか?」と考えます。しかもこの場合の「いい」とは、現代の聴き手が喜ぶ、現代の評論家が高評価を与える、現代のコンクールで減点にならない、というような観点で測られます。

これが悪いことだと言うのではありませんよ。そういう目的で楽器を弾きたいなら、それはそれで弾く人の自由です。

でも、「聴き手が」「評論家が」「コンクールが」って、弾く人自身の喜びはどこに行ってしまうのでしょう?

私は違います。

私が「楽譜を読む」というとき、「作曲家が他の音でなくこの音を書いたのはなぜか?」といつも考えます。その理由が自分なりに説明がついて、それに共感できたときにはじめて「私も作曲家がかつて弾いたであろう姿と同じように弾きたい!」という強い欲求に突き動かされます。後は、現代の誰に何と言われようと遠慮しません。作曲家の心の内を現代に蘇らせるという使命を果たすまでです。

「弾く人の喜び」という意味で、これに勝るものはありません。何といっても、迷うことなく堂々と胸を張って演奏できます。だって、作曲家自身がそのように弾いたのだし、きっと後世の人たちにもそう弾いてほしかったのだろうから。そういう弾き方をしているCDは無いとか、某評論家が「それは間違いだ」と発言したとか、そう弾くとコンクールで減点されやすいとか、そんな事はどうでもいいですよ。

今そんな演奏をする人が他に全然いなくても、そのうち自分と同じような演奏が増えてくるのを待っていればいいんです。または自分の方が勘違いに気付いて演奏を変えることになるかもしれませんが、それだけのことです。

逆に言えば、作曲家の心の内がまだ理解できない、感じられないという曲は、どんなに技術的には易しくても、私には公開の場で演奏することはできません。

私自身、バッハを自信を持って弾けるようになってきた頃から、同時にショパンでも何でも、自信を持って聴けるようになりました。音楽の聴き方が普遍的になったという事だと思います。私自身はピアノを弾かないので、ショパンもベートーヴェンも自分で弾くことはありませんが、聴き手の立場に立ったときにやはり作曲家からのメッセージを捉えようとしている自分がいます。

今回、冒頭のお便りを下さったお客様もきっと、作曲家の観点から楽譜を読むことに気付いたのだろうと思います。それは、何百年も前に生きた天才音楽家と、直接心を通わせることでもあります。これは一種の奇跡です。その奇跡への橋渡しを自分がしたと思うから、ものすごく嬉しかったんです。

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楽譜の読み方が変わる” に対して5件のコメントがあります。

  1. 芹沢ヨシノリ より:

    ベートーヴェンもショパンも、そしてシューマンもバッハのスペルである B-A-C-H
    をもじった動機やフレージングを書き残してますよね。特にシューマン、子供情景の冒頭曲
    「見知らぬ国(とおじさん)」の手法は人間技とは思えない巧みさ。本当にバッハが彼に憑依していたんでしょうね。
    ゴールドベルクの第17変奏がまるでチャーリーパーカーの吹くアドリブソロさながらなのは、ジャズマンの間では有名です。江戸時代に書かれた浮世絵にスカイツリーが描かれてる、の音楽バージョンの様。

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。
      「子供の情景」の第1曲冒頭は、私も知ったときにとても感動しました。
      ゴルトベルク変奏曲の第17変奏がジャズなんですね?初めて知りました。多くのジャズマンが「最も尊敬するアーティストは?」と聞かれて「バッハだ」と答える、という話は知っていましたけれど。

      1. 芹澤ヨシノリ より:

        コールドベルク17変奏のフレーズは、(移動ドで)ミ・ソ・シ・レ、という具合にルート音の3度・5度・7度・9度で、テンションノートであり、同時に倍音列でもある、典型的な(ジャズの)ハード・バップフレーズです。
        ベートーヴェンは何故か極度にロ短調を忌み嫌い、ピアノソナタには一つも用いていない。が、晩年のバガテルに1曲だけあり、その旋律は平均律1巻24番の前奏曲を明らかに敷衍したもの。また誰も指摘しませんが、悲愴ソナタのグラーヴェは、ハ短調パルティータのシンフォニアに着想があるのでは?と個人的に思ってます。
        ~ 前後のソナタとの位置関係から、悲愴ソナタはロ短調の選択も考えていた様子が伺える ~
        モーツァルトのK576ソナタは平均律2巻・5番の前奏曲にマンマそっくり、と、揚げ出したら切りがありません(笑)。

        1. 八百板 正己 より:

          「悲愴ソナタの第1楽章は、当時はもう時代遅れとなっていたフランス風序曲なのだ」との指摘は古楽関係者の間でずいぶん前から言われています。バッハのパルティータ第2番はフランス風序曲の付点部分とフーガ部分の間に、イタリアの序曲のようにカンタービレな部分を挿入したつくりになっていて、その意味で悲愴ソナタの冒頭がこれと似ているというご指摘は当たっていると思います。
          ちなみに、バッハのイタリア協奏曲と一緒に出版された「フランス風序曲ロ短調」の初稿はハ短調です。当時の調律法から来る調性格は、ハ短調とロ短調では正反対なのですが、移調するだけで曲の性格ががらっと変わるということに、私は不思議な興奮を覚えます。

      2. 芹澤ヨシノリ より:

        ちなみに子供の情景・冒頭曲を「異国から」という訳を往々にして
        見ますが、悪い訳だと思います。確かにシューマンは何処なのか明言
        していませんが、BACHの音型が出てくる以上、バッハの時代の事、
        すわなち過去のドイツのことを指している可能性の方が高く「異国」
        ではこの時代のヨーロッパの植民地みたいなイメージになってしまいます。また、おじさんとハッキリ書いてあるのに、これを省略するのも感心しません。だってBACHの事に違いないでしょう?

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