娘と一緒にパイプオルガンの調律(写真付き)
いつのまに、結構仕事に使えるまでに成長していたんですね。
毎年この時期に開催している、チェンバロ教室の発表会を兼ねた非公開のパーティーを先日しました。会場には小さいながらも本物のパイプオルガンがあります。電子オルガンとは違って音が狂いますから、使う数日前に会場に行って調律するのです。
ご覧のようにパイプのある所と鍵盤が離れているので、鍵盤を押してくれる助手が必要です。今までは本番でオルガンを弾く生徒さんに頼んだり、妻に頼んだりしてきました。それが今年はどなたも都合がつかなくて、思い切って娘だけを連れて助手をさせてみたのです。
2年前にも一度、妻と娘と3人で来たときに娘に助手をさせてみたことがありました。「次はミ!」「はい、次はファのシャープ!」と私がパイプの間から叫ぶ音を弾くこと自体は別に難しくありませんが、あの頃は集中力が持ちませんでした。20分くらいするとふざけ始めて役に立たなくなって、途中から妻に交替してもらいました。
でも今年は違いました。1時間ほどの間、私が叫んだ音の鍵盤を押すという地味な作業をずっと続けられました。今していることが退屈か?というだけでなく、それが大切な役割なのか?鍵盤楽器が弾ける人でないと務まらない誇りある作業なのか?というようなことにも意識が行くようになったんだとすると嬉しいですね(もちろん、成長とともに単に退屈するまでの時間が延びただけかもしれませんけれど)。
私の教室はチェンバロ教室ではありますが、生徒さんにはできるだけ「オルガンも弾いてみませんか?」と誘うようにしています。バロック音楽の時代にはチェンバロ奏者のほとんどはオルガン奏者でもありましたから、バッハだって誰だってみんなオルガンのことをよく分かっていました。今「チェンバロ曲」として分類される曲の中にも、オルガンをイメージして作られたものも結構あるんです。
それに、一度でもオルガンを弾いてみると、楽器が教えてくれることがものすごくたくさんあって勉強になりますよ。何といっても、「押したキーをいつまで押し続けているべきか」ということへの意識が劇的に高まります。いつも楽譜に書かれた音符の長さを守るのが最善というわけではありません。状況に応じて、もう少し短く、もう少し長く、といった工夫によって、オルガン演奏はじつに雄弁になります。それを知ると、チェンバロやピアノの弾き方も変わるんです。
追伸:
私のチェンバロ教室についてもご覧いただけると嬉しいです。
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八百板さんのブログは、いろいろなテーマが盛り沢山ですが
お嬢さんの成長ぶりが伝わる記事は微笑ましいです。
いつかお嬢さんは、チェンバロ・ピアノだけでなくて
オルガン奏者としても成長してゆかれるのでしょうか。
ありがとうございます。
娘を音楽家にしようと考えているわけではありませんが、いろいろな経験を積んで幅が広がることが、他のいろいろなことに良い影響となればいいと思っています。
そろそろお嬢様のお顔が見たいなあ……と思っていたところでした。お父様が、音楽を通して人々を幸せにし、世の中を善くしている、ということは、お嬢様の心の深いところに伝わっているのではないでしょうか。きっと誇りを持っていらっしゃると思います。それにしても、お嬢様のスマイル、かわいらしいですね!幸せな気持ちになります。
嬉しいコメントをどうもありがとうございます!
「音楽を通して人々を幸せにし、世の中を善くしている」とのお言葉は、私自身が忘れないようにいつも心掛けたいです。