先送り
よい話を聞きましたので、あなたにもお伝えします。
よい話、と言っても、耳の痛い話なんですけれど。「先送り」についてです。
あなたは、すべきだと分かっていることを先送りすることはありますか? 私なんか、数えるのも恐ろしいから数えませんが、たぶん今現在20個くらいのことを先送りしています。その中には、半年以上前から「やらなきゃ、やらなきゃ」と思いながら、一日一日先送りして、それを200日積み重ねてきたことも含まれます。
聞いたところでは、先送りをするのには理由があって、それを行うことに対して何かを恐れているというのです。「恐れている」なんていうと大げさみたいですが、「断られるんじゃないか」とか、「失敗するんじゃないか」とか。もっと曖昧に、「良く分からないけど何となく嫌な感じ」とか、「面倒だから」というのも、追求してみると何かを恐れていることが明らかになるそうです。
で、そのまま先送りし続けても大丈夫な場合ももちろんあるでしょうが、大概は放置すると事態は悪化します。何とかしなければなりません。でも、心の奥に恐怖心があるので、単に「今日こそはやろう」と思ってもうまくいきません。
うまくいかない例を一つ白状しましょう。つい先日のことです。自分で予定していたチェンバロの練習がかなり遅れていたので、「今日こそは徹夜で練習して挽回するぞ!」と夕方からスタジオに行ったんです。そうして、どうなったと思いますか? 徹夜で寝てしまったのです。13時間も。
つまり、根性論ではダメなんです。根性論ではダメ、ということを知らなかった私は、昔からずっと、ひたすら自分を責めては落ち込んでいました。
根性論に代わるものとしては、これも話を聞いて知ったのですが、知的なアプローチです。何か問題があったら紙に書き出すというのです。「私、八百板正己は今、何々を先送りしています。」「それは何かを恐れているからです。」「私が恐れているものは」こうやって文章にして頭を整理していきます。
私がチェンバロの練習をする代わりに13時間も寝てしまったことを、この知的なアプローチで探求してみたら、こんな答が出てきました。「自分が理想とするレベルまで仕上げるには、一日が30時間あっても足りない。私はそんなことに手を出して、他のすべてのことを棚上げにしなければいけないことを直視するのを恐れていた。」
答が出てしまえば、対策の立てようがあります。一日が24時間しかないことには変わりないので、現実的な目標として、自分が理想とするレベルの3分の1の仕上がりでもいいことにして、毎日2時間以上は練習しない、と決めてみました。これなら、他のことも並行して進められるし、恐れもなくなったので練習に取り掛かれます。恐れていたまま練習がゼロになるより、理想の3分の1のレベルでも仕上がったほうがずっといいんです。で、調子に乗ってきたら、または他の用事が思いのほか短時間で片付いたりしたら、臨機応変に練習時間を増やせばいいんです。
まとめると、
- 何かを先送りしていたら、心の奥に何か恐れがあるのだ、と気付く。
- 対処するには、紙に書き出して、文章にして頭を整理する。
- 現実的な目標に置きかえて、一歩を踏み出しやすくする。
さあ、これで私の先送り事項20個のうち1つに解決策が出ました。残る19個もこうやって減らしていくことにします。
次はあなたの番です。あなたが先送りしていることは何ですか?
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「今日やることは明日に延ばすな」というコトバをできるだけ守るように心がけてきました。いつでも余裕を持った行動ができ、仕事も頼まれやすくなると思っています。
コメントありがとうございます。
さすが山下さん! ご著書やフェイスブックを拝見すると、山下さんのしっかりした生き方が伝わってきます。私も見習います。
とても心にぐさっときました。
私も先送りしていることが沢山あります。
単にめんどうだとかやる気が起こらないとか
言うことが大部分ではありますが。
しかし、いつかはやらなければならないことも
事実です。
また早くやらなければ事態が悪化することも
あります。
例え終わらなくとも、手をつけ始めるだけで
心がどれだけ軽くなることか。
先生を見習って私もそのようにやってみようと
思いました。と言っても面倒くさがりなので
紙に書かずに心の中だけになってしまいそうですが(笑)
いつもいいお話を聞かせていただきありがとう
ございます。
これからもメルマガを楽しみにしております。
コメントありがとうございます。
私は、バロック音楽に関してならともかく、生き方に関して人にあれこれ言えるような立場ではないと思っていまして、ここに書くことは自分への戒め、自分への応援、自分に背水の陣を敷く意味だったりします。
「手をつけ始めるだけで心が軽くなる」とは、本当にその通りですね。「案ずるより生むが易し」ということですね。
紙に書く、ということについては、私も以前は妙に構えていました。紙に書くからには、正しい答でないといけないとか、誰に見せるわけでもないのに誰に見せてもいいような模範を示さないといけないとか。でも、いらない紙の裏に書いて、書いたらすぐ捨てることにすれば気が楽ですよ。書くことによって、そして書かれたものを見ることによって、「なんだ、問題はここに書いたこと以外に無いんだ」と気づくことができます。気付いてしまったら、もうその紙は要らないんですね。