便利と引き換えに失う成長のチャンス(写真付き)
「チェンバロって、自分で調律しなきゃいけないから大変ですね」とよく言われます。いえいえ、これも楽しい作業なんですよ。
楽しいだけでなく、じつはとっても重要です。
私はもう40年近くも自分の楽器を毎日のように調律してきました。だから今ではお喋りをしながらでも調律できるくらいに慣れています。
それでも毎回、楽器に息を吹き込む儀式のようなものとして、調律をしていると心が落ち着くとともに気持ちが引き締まるのです。
あなたがピアノをお持ちなら、「自分で調律しなくて済むのは便利だ」と喜んでいらっしゃるでしょうか。でも、便利と引き換えに、貴重な成長のチャンスが奪われていることは知っておいてください。
調律の頻度は年に1回でしょうか。調律してもらうと、まるで別の楽器のように美しい響きに生まれ変わりますね?
でも、調律の前日(つまり最も音が狂っている状態)でも、「狂いが気になって気になって練習できない!」とは思わないでしょう?
つまり、1年間かけて少しずつ狂う調律によって、その狂った音に慣らされてしまうんです。言い方を変えれば、音の狂いに鈍感になるのです。
これがもし、調律して美しい響きに生まれ変わった1週間後に1年分の狂いがいっぺんに生じたら、きっと狂いが気になって我慢できないと思いますよ。
音の狂いに鈍感になると、タッチによる音色の違いにも鈍感になります。強弱にも鈍感になったりします。つまり、全神経を集中させて音に耳を傾けることをしなくなるということです。結果として、演奏は機械的に、無味乾燥になります。
時々、「ピアニストはヴァイオリンやフルートなどの旋律楽器奏者よりも音楽が冷たい」とか「歌い方が足りない」「無機的だ」なんて言われることがあります。これも元をたどっていくと、無意識とはいえ「音の責任を全部自分で負わずに調律師のせいにできてしまう」のも原因の一つなのだと、私は考えているのです。
もちろん、ピアニストにも音に敏感な人はたくさんいて、こだわる人は調律師にダメ出ししまくっているそうです。そうそう、プロを名乗るなら、そのくらいじゃなきゃ!
便利と引き換えに失う成長のチャンスを、何らかの形で補うように意識したいものですね。
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