こんなに古いのに、こんなに前衛的!
ついに、フローベルガーのトッカータを収録しました!
って言っても、分からないですよね? 大丈夫です。プロのピアニストだって知らないですから。
ヨハン・ヤーコプ・フローベルガー。1616年の生まれですから、バッハより70年も昔の人です。鍵盤音楽の大家で、バッハも子供の時に彼の曲を書き写して熱心に勉強したそうです。
そんなに古い曲なのに、なんと前衛的なんでしょう!
曲の前半は幻を見るようで、事実上拍子が消滅した完全な即興演奏のスタイルです。スタイルどころではありません。冒頭に全音符の和音がひとつ書いてあるのですが、当時の理論書によると「トッカータの冒頭の全音符の和音は、ゆっくりと分散しながら自由に即興演奏しなさい」とあります。現代の私たちがこの曲を弾こうとする時にも、楽譜には全音符の和音しか書いてありませんから、本当に即興演奏しないといけないんです。
曲の後半はちゃんと拍子があるフーガですが、主題が強烈な半音階。古い時代の「ミーントーン」という調律法で半音階を弾くと、身悶えするほど気持ちが悪いんです。それを承知の上で「これでもか」と半音階の主題が繰り返されます。
やがて半音階主題のフーガは6拍子に変奏され、第2のフーガとなります。ふつう6拍子と言えば「強弱弱、強弱弱」の心地よいリズムを作るために、低音が「強」のところで拍を刻むものです。それがこのフーガでは意図的にほとんど無視されているんです。全然心地よくありません。
私がこの曲の楽譜を初めて目にしたのは、たしか高校生の時だったかと思います。当時の私には全く歯が立たなかったですね。何をどう弾いたらいいのか、さっぱり分からないんですから。音符をそのままなぞっても、全然面白くない変な曲になってしまいます。
あれから40年、今ではこの曲の隅々まで「私ならこう弾きたい」と強い意志を持って演奏できます。
ではお聴き下さい。あなたはこの曲をどう思いますか?
あなたのコメントをお待ちいたします
下のほうのコメント欄で、あなたのお考えをお聞かせくださると嬉しいです。
(システムの都合により、いただいたコメントがサイトに表示されるまでに最長1日程度お時間を頂戴する場合があります。あらかじめご承知くださいませ。)
おはようございます。この曲は初めて聴きました。
拍子のないトッカータ、身悶えするほど気持ちが悪いフーガ、心地よくない第2のフーガが続いた後だと、
最後の長和音の安定感がいっそう増しますね。
古い音楽はこの「短調なのに最後の和音が長調(ピカルディ終止)」が美しいですよね。
何があっても、最後には救いがある、という感じです。
これ、譜をみたいのですが、IMSLPでみるには何をキーワードでいれたらよいでしょうか
左の通奏低音即興ならともかく、右をかと感心しました。
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A8%E3%83%8F%E3%83%B3%E3%83%BB%E3%83%A4%E3%83%BC%E3%82%B3%E3%83%97%E3%83%BB%E3%83%95%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%99%E3%83%AB%E3%82%AC%E3%83%BC
初期バロック音楽、それ以前のタブー音(三全音とか)をあえて使いまくって実験しているということなのでしょうか(ルネサンス期ってどうだろとおもってhttps://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AB%E3%83%8D%E3%82%B5%E3%83%B3%E3%82%B9%E9%9F%B3%E6%A5%BDみたら、そういう試みはあまりやっていないのか。。。)
ありがとうございます。
ルネサンス時代の美意識は「調和と安定」ですから、いけない音程などは徹底的に排除されていました。
すみませんFbWV102ですね、あわてていてごめんなさい。
?冒頭のファラレをカデンツみたいにしろということなのでしょうか(すみませんきっとバカなことをいっています)
コメントありがとうございます。
冒頭は楽譜では両手で弾く「レラレファラレ」の和音ですが、これを私の演奏では約25秒間におよぶ分散和音にしています。別の和音に行ったりしない所が、後世の「カデンツ」との違いです。
素晴らしい演奏をありがとうございます。「強い意志をもって」とのことですが、むしろ自由で、開放されたものを感じました。強い意思・確信があるからこそ、即興性が生まれるのでしょうか?
類まれな世界を垣間見せて頂きました。ありがとうございます。
嬉しいコメントをありがとうございます。
音楽は、何でも自由に弾けばいい訳ではありません。
「こういう所は、自由ではなく厳格に弾くものだ」とか、
「こういう所は、さらりと流すものだ」とか、
いろいろな事情が絡み合っています。
松本さんが「自由で、解放されたものを感じた」とおっしゃって下さり、とても嬉しいです。
「こういう曲は、徹底的に自由さを追求して弾くものだ」という判断を、
音符の一つ一つに至るまで徹底する強い意志があって初めて可能になるからです。
おはようございます。
昨日、今日と何度も聴かせていただきました。
素晴らしい演奏だなあと聴き入りました。これからももう何回か聴きます。
またオルガンのCDがあったので両方楽しもうと思います。
先生のビデオは手の動きも見えますので、そこに感情も込められているように見えます。聴いたり見たりで素晴らしい時間が持てます。
ありがとうございました!!!
何度も聴いて下さるなんて、すごく嬉しいです!!