作品全集をそろえる効果(写真付き)

いきなりタイトルと関係ないような写真で戸惑ったでしょうか? 少しの間お付き合い下さい。

これは見附チェンバロスタジオに通勤する道中に寄り道して撮った、有名でも何でもない神社の参道です。私も初めて行きましたが、周囲の静けさと、よく手入れされた杉の木の姿にとても清々しい気持になって、思わず写真を撮ってしまいました。

私は国土地理院発行の2万5千分の1の地形図をいつも持ち歩き、自分の足で歩いたところに赤線を引くという楽しみを、学生のころからずっと続けています。こんな所に神社があるなんて、まあgoogleマップをすごーく拡大すると写真付きで出てきますが、知らない人はわざわざ何も無さそうな山の中をgoogleマップで拡大もしないでしょうから、地元の人以外はほとんど誰も知らないでしょう。

でも私はこの地域の地形図を買って以来、特にこの近くを通って見附チェンバロスタジオに通勤するようになってからの14年間、ずっと「どうなっているのか行ってみたい」と気になっていました。今までお預けになっていたのは、他の気になるところを順番に訪れていたからです。

私は新潟県内で自分が行きそうなところの地形図は全部持っているので、気になって行ってみたい場所が一生分以上たまっています。もちろん、観光名所でも何でもないところばかりなので当たり外れはありますが、誰も知らない自分だけの名所に出会えたときの喜びは格別です。これもすべて、地形図を買いそろえて持ち歩く習慣のおかげです。

 

さて、私はチェンバロ曲の楽譜を買うときにも同じことをします。ある作曲家のチェンバロ曲を弾くとなったら、手に入る限りその作曲家のチェンバロ作品全集をそろえるように心掛けています。いわゆる「名曲」とされるのはその作曲家の作品のごくごく一部です。でも、世間で名曲とされる曲だけが素晴らしいわけではないんです。作品全集を買って、誰も知らない自分だけの名曲に出会えたときの喜びは格別です。「これは何としても皆さんに聴いていただかなくては!」と使命感に燃えます。

作品全集をそろえることの効果はまだあります。ちょっと専門的な話になりますが、その曲の、作曲家自身にとっての位置付けが分かるのです。例えば、ヘンデルのチェンバロ用のフーガをご存じですか? スカルラッティのチェンバロ用のフーガをご存じですか? 専門家と称する人は往々にしてこれらの曲を「バッハのフーガに比べて全く厳格でなく、価値が劣っている」と批評することでしょう。でも、ヘンデルやスカルラッティの作品全集を見てみれば分かります。これは、自分が即興演奏するときのためのメモ、または自分が行った即興演奏の記録とも言えるものです。バッハの平均律クラヴィーア曲集のように、弟子たちへの教育のために模範として何度も何度も推敲を重ねて完成度を高めたフーガと比べる性質のものではないのです。だから弾き方も変えます。たった今頭の中で生まれたばかりの即興演奏フーガとして、スリル満点で弾くのです。

さて、これはその杉の木の根元に芽を出した、杉の赤ちゃんたちです。注意していないと見過ごしてしまいそうです。この日は参道の杉の木の清々しさのおかげで、私の頭の中は「杉」という言葉が鳴っていたので、足元のこんな小さなものにも気がついたのでしょう。

音楽でも、今まで素通りして弾いていたところに小さな美しさを見つけると嬉しくなります。心が豊かなとき、爽やかなとき、意欲に燃えているとき、感受性が高まって小さな美しさがたくさん見つかるのです。美しい演奏をするには、日頃から美しい心でいることが大切なのですね。

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作品全集をそろえる効果(写真付き)” に対して8件のコメントがあります。

  1. T.H より:

    2枚の写真は文面とよくマッチしていますね!
    大きい杉の木立はよく見かけて写真にも撮りましたが、あの小さい杉はあまり見つけませんでした。
    今度どこかへ行ったときは探してみたいと思います。

    「美しい演奏をするには日頃から美しい心でいることが大切」と書かれてありましたが、
    きれいな曲(メロディー)を弾く(聴く)と心が洗われてきれいになるように思います。

    真っ直ぐ伸びた杉の木立は誰かが枝など払って手入れをされてきたからだと、美しい樹々を見上げながら
    感動しています。

    音楽を聴くとき、部分部分にも気持ちが行くようにしたいと思います。

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。

      私もあの杉の赤ちゃんを見たときは「何だろう?」と思いました。もう少し成長して、明らかに杉だと分かるものが近くにあったおかげで、あれが杉だと分かった次第です。

  2. 家合映子 より:

    先生、やっぱり写真、すごいっ!と思いました。杉の木の赤ちゃんも、その小さな存在・・愛おしく感じます。また写真、楽しみにしています。(゜))<<

    1. 八百板 正己 より:

      嬉しいコメントをありがとうございます! また張り切って撮ります!

  3. T.h より:

     「何か見たような?」と思いながら読み進みました。

    杉の赤ちゃんの写真を見て「私も探してみます」と書いたのですが、まだ
    見つけてはいませんでした。日光杉並木、五泉市村松の慈光寺、田上町の東龍寺などの大きな杉並木や杉は本物をみましたが。

    小さい赤ちゃん杉は見つけられないかなと思いました。「見つけました」と報告できる日は幻?・・・小さいことを見つけるのは大変なことですね。

    1. 八百板 正己 より:

      3年も前の投稿を覚えていてくださって嬉しいです。

      杉の赤ちゃんを見つけるには、ひたすら足元をよく見ることですね。立派な杉並木を前にすれば誰だって上ばかり見ますから、身近にある何の変哲もない杉林のほうが見つけやすいかもしれませんよ。

  4. 星野裕子 より:

    成長した杉の木もそうですが、足下の道も、きちんと手入れが行き届いているなと感じました。
    山の中の決して広いとは言えない道は、暫く放っておくと、落ち葉や枯れ枝 (秋の台風シーズン過ぎ頃、杉の枯れ枝が地面に大量に落ちてきます。片付けるのは一苦労) で、埋まってしまって、あっというまにけもの道になるのでは、と想像されます。
    芸術の道や楽器の練習もそうだとおもいますが、日々継続していないと、あっというまに元通りになってしまうな、と怠け者の自分は痛感しております。💦

    作曲家の「埋もれた名曲」を掘り起こす作業も、同じかも知れません。他のみんなが行く広い道ばかり通っていては分からない景色に行き着くために、違う道を通ってみたくなった人が、安全に、分かりやすく通れるように、風通しよく、道を整えておく事が必要なのかもしれません。

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。
      神社の参道ですから、氏子の方々が毎年のスケジュールを決めて手入れをしているのでしょうね。
      このごろ私はバッハ以外は全然弾いていませんが、しばらくしたらまた「埋もれた名曲の掘り起こし」を始めたいものです。もっとも、それを始めると人生があと何回分も必要になるんですけれど。

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