サーカスに思う

しばらくご無沙汰いたしました。理由は「お盆」です。この一週間というもの、チェンバロを触ることも、パソコンの電源を入れることもできませんでした。どちらも何度か試みたのですけれど。

そのかわり、娘の夏休みの宿題を見てやるとか、プールに連れて行くとか、親戚の子供たちも連れて星を見に行くとか、普段できないことをたくさんしました。

普段できないことの一環として、新潟市に来ているサーカスも見に行きました。私の人生はサーカスとは全く無縁でした。生まれて初めて見たのが何年前だかの長岡で、今回が人生2回目です。娘がいなかったら多分一生サーカスなんて見なかったでしょうね。

娘は純粋にショーを楽しんで騒いでいました。私は楽しんだというよりも、一つ一つの芸の陰にある練習量を思って心を打たれました。タネも仕掛けもなく、ごまかすこともなく、とにかく練習するしかないでしょう。すべての芸が徹底的な練習の上に成り立っています。

その見方からすると音楽はまだ楽かもしれませんね。大して練習しなくても、心を込めて美しく弾ける曲もたくさんあります。少々音を間違えたって、しかるべき感情を伝えられたなら許してもらえたりもします。

「演奏の本番では音を間違えることに神経質になり過ぎないように」と私はレッスンでも著書「超効率バッハ練習法」でも言っています。昨今のクラシック音楽のテクニック至上主義に疑問を抱いているのです。機械のように正確なだけで感情のかけらもない演奏がはびこっているのもおかしいと思うからです。それは「音を一つでも間違えたら失格」というコンクールの審査方針の弊害でもあるでしょう。

でも、サーカスを見てちょっと反省しています。自分の演奏も、音楽性を保ったまま、間違いを今の半分くらいには減らせるだろうと思うのです。芸術家として心の表現を追及することと同時に、職人として技の完成度を求めることにも喜びを見出せそうな気がします。だって、あんなふうに技が決まったらかっこいいですからね。技を決めるような曲でなくても、人が気付かないようなところまで完璧に仕上げるという職人魂は自分で自分を誇りに思えますからね。

書籍にも書いたことですが、「練習中は間違えない」と私は肝に銘じていますよ。それが練習効率を上げる最短コースだからです。ただ、本番では間違いを恐れることでかえって間違いだらけのボロボロになりがちです。だからいっそのこと「本番は間違えていい」と自分を許したほうが、結果として間違いも少なくよい演奏ができるのです。でも、でも、サーカスを見た私はもっと欲が出たというわけです。

本当に、練習とは尊い営みですね。分野は違っても日々何かの練習に取り組んでいる人同士は、お互いの努力の尊さに気がつくことができるのでしょう。

 

追伸

練習についての私の書籍の内容は書籍「超効率バッハ練習法」のページでご紹介しています。今なら一週間の無料お試しと送料無料も実施中です。この機会にチェックしてみてください。

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