チェンバロ伴奏における「急がば回れ」
「急がば回れ」とは、本当によく言ったものですよね。このごろ、この言葉の威力をつくづく感じます。音楽では特にそうなのではないでしょうか。
チェンバロ独奏曲の練習については、とにかく「1小節とか、時には1拍とか、短い範囲をゆっくり繰り返す」ことに尽きます。これを自分に厳しく課すことによって、私の練習効率は何倍にもアップしました。あまりに効果抜群なので本にして自費出版したわけですが(書籍「超効率バッハ練習法」)、今日はそれとは別の、伴奏のお話です。
通奏低音を練習する前にしておく作業
まずは左手だけの練習
バロック音楽のアンサンブルでは殆どの場合、チェンバロは「通奏低音」と呼ばれる、左手の低音だけが書かれた楽譜に基づいて自分で右手を即興的に作曲しながら演奏します。そんな高度なことをいきなり両手で練習を始めたりはしません。まずは楽譜に書かれた左手だけを十分に練習するのが、すべての土台となる大切な出発点です。
左手はどうしても疎かになりがちなものです。バッハのインヴェンションのような、右手と左手が全く対等な曲でも、つい右手の旋律ばかりに意識が行って、左手は間違わないというだけで全く無表情になったりします。まして通奏低音は左手の低音こそが重要なのですが、弾く音符の数から言うと右手で厚い和音を弾いたりもするので、インヴェンション以上に左手が疎かになりやすいのです。
通奏低音の左手を練習するときには、コンサートの本番でその左手だけ演奏してお辞儀して帰ってくるくらいのつもりで、ありったけの感情と表現の工夫を左手に盛り込むべきです。そうすれば、後で右手の和音を重ねても埋没しない、自己主張する低音となるわけです。
低音と旋律パートの2声曲として練習する
さてその後です。練習し終わった左手に対して、いきなり右手の和音を即興で付けようとしてもダメです。時間ばかりかかってなかなか弾けるようにならないし、取って付けたようなぎこちない伴奏にしかなりません。かといって、五線譜を用意して和声理論と対位法を駆使して理屈でしっかりと作曲してみても、伴奏だけでは完結しても旋律楽器と調和することは稀です。リハーサルで旋律楽器の人と合わせてみたら、準備して練習した右手が全部作り直し、なんていうこともざらです。
私が経験から導いた最短の方法はこうです。左手の練習が終わったら、次は旋律楽器のパートを右手で練習します。そして、両手で低音と旋律パートの両方を2声曲として何度も何度も練習するのです。旋律楽器のパートなんて、最終的には自分では本番で弾かないのですが、それでも、作品全体の大枠を自分の中に取り込むのにとても効果的なのです。(旋律楽器が2つとか、旋律楽器と歌とかの場合はどうするかというと、右手を2声同時に弾くのはとても大変だし、そんな余裕の無い大変なことを頑張っても作品全体の大枠が自分の中に入ってきません。なので、一つの旋律楽器のパートと低音、もう一つの旋律楽器のパートと低音、というふうに2通り練習します。)
和声も自然に頭に入る
このように両手で2声の曲として練習すると、「この左手の低音に対してこのくらいの音域でこんな旋律がある」ことが頭に入るだけでなく、その部分の和声まで自然に頭に入ります。通奏低音の楽譜には和声を示す数字が書かれているものなのですが、この数字だけを見て右手の和音を処理しようとするのは大変です。それよりも、先に和声を覚えてしまい、数字は和声の詳細を確認したり思い出したりするためのメモとして使うほうがずっと良いです。
右手の伴奏のアイデアが自然に湧いてくる
2声の曲として弾く作業を続けていると、やがて「この旋律を支えるならこのくらいの音域でこんな伴奏を右手で弾きたいよね」というアイデアが自然に湧いてきます。すると、数字を見て理屈でひねり出して作った伴奏よりも、ずっと自然で美しい伴奏ができ上がるのです。ここまできたら、ようやく右手の伴奏の練習を始めていいです。
演奏の表現についても良いことばかりです。伴奏だけの練習しかしない状態で旋律楽器とリハーサルしてみると、細かいところのタイミングが全然合わなかったりします。それはそうでしょう。伴奏の練習をするときに、旋律楽器の都合が全く目に入っていないのですから。でも、あらかじめ2声の曲として練習しておけば、「ここで旋律楽器の人はたっぷり時間をかけて歌いたいよね」「ここでは息継ぎに時間が必要だよね」といったことまで頭に入っているのですから、やり直しが最低で済むのです。
歌の伴奏を練習する前にしておく作業
自分でも歌えるように練習する
歌の人とアンサンブルするときには、もう一つ別の「急がば回れ」があります。自分でも歌えるように練習しておくのです。歌には歌詞というものがありますから、歌詞を的確に発音することで楽譜通りのタイミングから常に少しずつずれるものなのですが、それをリハーサルのときに必死に合わせるのでは全く美しい演奏になりません。それよりも、自分でまず歌のパートを歌えるようになって、それに左手の低音を楽譜どおりに付けてみて、そこから自然に湧きあがってきた伴奏を右手で加えていきます。遠回りのようでも、最終的にはこれが一番近道です。
まず「詩」として朗読できるように練習する
歌の中でも、レチタティーヴォという、アリアの前に歌われる「語り」のような曲があります。これはなかなかの曲者です。楽譜では一応8分音符や16分音符で書かれていても、実際には言葉を喋るときと同じ複雑で微妙なタイミングで語られるのです。歌手とのリハーサルで全然合わなくて、「すみません、もう一回歌ってください」「もう一回歌ってください」「お願い、もう一回だけ歌ってください・・・」と歌手を呆れさせることに。
そうならないように「自分でも歌えるように練習しよう」と思っても、レチタティーヴォは歌えるようになるのにも時間がかかります。楽譜に書かれた音符に、歌詞がうまくはまらないのです。
で、私はどうしているかというと、まずは音程をなくして「詩」として朗読を繰り返します。歌の歌詞はたいていの場合音楽より先に詩として作られていますので、朗読するだけでも美しい音楽性を持っています。歌詞を覚えて、詩として朗読できるくらいに慣れると、そこに音程をつけるのはすぐにできます。素晴らしいレチタティーヴォほど、詩として朗読するときの抑揚がそのまま音楽に反映されているからです。
伴奏を練習する前に最初に詩の朗読をするなんて、気が遠くなりますか? でも、これをサボると、後でもっと気が遠くなる「全部やり直し」が待っていますから。痛い失敗をたくさん経験して得た教訓です。
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コメントが出来なくとも「読みました」ということを伝える方法があればよいと思いました。
そんなことは不必要なのかもしれませんが。
コメントありがとうございます。
そうですね。フェイスブックなら、「いいね」を押して下さった方の一覧を見ることができますしね。
何かいい機能があるはずだと思うので、勉強を続けて探します。
八百板先生、ありがとうございます。
最近、新潟バッハの練習を通して、”私は左手が弱い”ということを痛感しておりました。左手だけの練習を何度も繰り返そう、と思い、始めたのですが、忍耐のいる作業でした。でもそんな時、例えば通奏低音と合唱のバス声部、などと組み合わせながら練習すると、通奏低音の中に言葉の音型が存在していることにさらに気が付かされー今まで分かりにくかったところも浮かび上がってきて、発見する喜びといいますか、そんなことも味わいながら練習しておりましたので、今日の先生のお話はそんな私の経験を再現して、言葉にしてくださったーさらにそれにプラスαして、励ましてくださったように思います。また今日のお話を読み進めて最後に、”詩の朗読”とありました。お話の最後ではありましたがこれが私たちの出発点、少なくとも私自身はそう考えて、それが私の(音楽を)学び続ける原点になっています。ありがとうございました。これからもよろしくお願いいたします。
家合さん、コメントありがとうございます。
まさにおっしゃるとおりですね。「発見する喜び」すてきな言葉です。「詩の朗読も出発点、音楽を学び続ける原点」すばらしいお考えです。合唱を支えるオルガンの通奏低音をこうした高い志で弾く方が身近にいらっしゃって、私はとても嬉しいです。
八百板先生、ありがとうございます。
音楽を学び続ける”原点”と書きましたが、正確には”原動力”と言った方が良いかなと思いました。
「音楽を学び続ける原動力」ますます良い言葉ですね。どんなことでも、続けるにはエネルギーの供給源が要りますからね。
先生、いつもありがとうございます。”高い志”とおっしゃってくださいましたが、”そうでしかあり得ない、自分自身の現実”・・、そんな感じです。🐟。
そのような大変な作業を積み重ねて、伴奏をなさっていることを初めて知りました。
合唱団の一員として私が心がけている練習法を書きます。
合唱は何より、各パートが一体となって一つのハーモニーを作り出すことだと思います。
なので、個人練習しているときも、それを意識して取り組みます。
音源を利用し、それを聴きながら、
①自分のパートであるバスを歌う
②外声部のもう一方である、ソプラノを歌う
③内声部の、アルトとテノールをそれぞれ歌う
④あらためて自分のパートを、小さな声で歌う(他のパートを聴きながら)
こうして、自分のパートがハーモニーの中でどんな役割をしているのかを確認し、仕上げていきます。
時間はかかりますが・・・
川口さん、コメントありがとうございます。
合唱をそのように有機的に個人練習するのは、とても素晴らしいことですね! そしてそれは、合唱がまとまるために仕方なくする作業なのではありませんよね。自分のパートがこんなに大切な責任を担っていたのかとか、あのパートがこんなに自分のパートと関係していたのかとか、その曲全体を隅々まで体験できる喜びですね。
もちろん、する事は増えるし大変ですが、そうやって時間をかけて個人練習した後で参加する合唱練習では、いろいろな音が聞き取れて、いろいろな関係が感じられて、幸せな練習となることでしょう。
通奏低音演奏はやりたくとも経験できる環境自体がありません(今後も多分死ぬまで無いでしょう)。だからアタマで理解したつもりでも実感を持つことが出来ません。
ただ一つだけ言えるとすれば・・・
妻がジャズシンガーなので、その伴奏をする事があるんですが(もちろんピアノで、です)、ウタ伴よりもその前のヴァースを弾く方がずっと難しいです。ここで言う「難しい」とは演奏技術上の事ではなく、歌い手のヴァース朗唱に合わせる事を意味します。
しょっちゅう彼女に「それじゃあ歌いにくい」とかルバート加減・音量の要望(てか殆どクレーム)が飛んで来ます(滝😅)。
余りに上手く出来ないとどーなるかと申しますと、歌手からヴァースやウタの歌詞の内容や意味を勉強するように言われます。でも結局そういう事が回り道のようで一番確実に歌い手さんの希望に添える演奏に繋がっていくんです。実際ミュージカルにおけるヴァースは、オペラのレチタティーヴォがルーツですから当然と言えば当然です。マイルス・デイビスの枯葉やコルトレーンのマイフェイバリットシングスを聴くと彼らの演奏表現は紛れもなく歌詞を念頭に演奏しているのが感じられます。なのでフラクタルとしてとても興味深いお話でした。
追記。縁あって上野文化会館小ホールでのバロックアンサンブルを聴きに行けることがあるんですが、チェンバロの音量が小さくて通奏低音の曲で何が起きているのか殆ど聴き取れないです。まだまだ修行が足りないですね(笑)
長文のコメントありがとうございます!
ジャズボーカルの伴奏、私は経験がありませんが、おそらくレチタティーヴォの伴奏をチェンバロでするときのような難しさがあるのでしょうね。歌詞の理解はどんな歌の伴奏をするのにも必須なのですね。
アンサンブルの通奏低音の弾き方は編成の大小によっても変わってきます。一番難しいのが1人の独奏者と自分だけの2人編成で、高度な作曲理論の理解と経験が必要になります。
反対に、ある程度以上の人数の中でのチェンバロは、極端な言い方をすれば「ジャンジャン」「ポロポロ」といった効果音としか聞こえませんから、打楽器的な観点にだけ注意を払えばそこそこ形になったりします。そこでは、通奏低音が何をやっているか、共演者にもよく聞こえていない場合も少なくありません。芹沢さんが観客として聞き取れなくても当然といえますからご安心下さい。
八百板さん、初めまして。最近メルマガの読者になりました。見附市在住で趣味でポピュラーピアノを弾いてYouTubeに発表して楽しんでいます。シニアからピアノを始めました。
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チェンバロ独奏曲の練習については、とにかく「1小節とか、時には1拍とか、短い範囲をゆっくり繰り返す」ことに尽きます。
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冒頭のこの1文を読んで「なるほど!」と納得しました。そしてさらに通奏低音の曲を弾くにあたってのプロセスが胸に響きました。
ある程度楽譜を音にできると、あとは通しで繰り返し弾いて、力づくで慣れていく、という練習になりがちでした。
パートが弾けなければ全体は弾けないわけですよね。逆に苦手としている部分があればそこをうまく弾けるようになることによって自然に全体が向上していくと理解しました。
また、右手左手の流れ、役割を考え、感じ、理解することの大切さがわかりました。
今日からの練習に生かしていきたいと思います。
山田様
コメントありがとうございます。ご近所さんですね!演奏をYouTubeに発表するのは気分がいいですよね?
練習についての私の考えを受け入れてくださって嬉しいです。練習方法を効率化すると素晴らしい世界が待っていますよ。
「通奏低音」「慣れ」で検索したらとても素晴らしいブログが出てきましたので、コメントさせていただきました。
チェンバロ奏者(アマチュアですがピアノ科卒)ですが、中途半端に通奏低音を習ったため、今独学で勉強し直しています。通低を教えてくださった先生は、「右手を全部譜面に起こしなさい」と言う方で、大きい編成のアンサンブルですと、とてもじゃないですが楽譜作りに時間を取られ、またせっかく譜面を書いても合わせた時には大幅変更があり、また譜面を作り直す、という「作業」におわれてしまい、結局はあまり弾けない状態になり「何か勉強方法が違う」と思っていました。
こちらのブログの「急がば回れ」は、とても勉強になりました!この方法で弾いてみようと思います!
ありがとうございました。
コメントありがとうございます。
通奏低音の右手を全部楽譜に起こすのは、勉強として数曲はすべきですけど、それを本番の曲でするのは現実的ではありませんよね。
ここでご紹介した方法は私の数知れない失敗の産物です。
お役に立てて嬉しいです。
実践してみて、また分からないことがありましたら遠慮なくお尋ね下さい。
八百板先生、
ありがとうございます。
実は演奏、辛くて、もうやめようかと思っていました。
でも、4年前の私自身のコメントやほかの方々のコメント、先生のお話に今一度触れて、(いつまで続けられるかは分かりませんが)いくらか向き合う勇気を与えて頂きました。与えられた機会は大事にしたいと思います。
暑い日が続きます。先生もお体にお気をつけて。
お役に立てまして嬉しいです!
でも、無理にご自分を追い込む必要はないとも思いますよ。
辛いと思いながらでは、本当の意味でよい演奏はできないので。
そこは工夫のしどころです。
八百板先生、
ありがとうございます。
先の(私の)コメントで、弱音を吐いてしまったなあと、少々の後悔あり‥。
でも先生のおっしゃられるとおりだと思います。
歳をとっても、長く続けていける道、模索したいと思います。
楽譜づくりに時間を取られ…、全く同感です。
この八百板先生のブログが書かれたのは、今から4年前になります。
その頃、私は新潟バッハで一生懸命楽譜を作って、通奏低音を弾かせて頂いていました。
そのような機会が与えられたことは、本当に恵みの時、感謝なことだったと思います。
(大変だったとしても‥、です。)
今、楽譜づくりがとても追いつかなくて、譜面におこさないで弾く努力をしているのですが…、…、やっぱり弾けません。やはり譜面を作った方が良いのか、または譜面におこしたい気持ちもあり、現実(時間)とのかかわりの中で迷い、悩んでいる最中です。その中で、このコメントを読ませて頂きました。だから、AKKOさんの学ばれた先生のおっしゃられることもよく分かります。そしてそれに対する八百板先生のコメントも納得…です。
コメントを書きながらも問題は解決せず…、でも、現実の問題に向き合う勇気、励ましを頂いたように思います。ありがとうございます。遅れましたが、はじめまして、感謝。
和声が単純な所は楽譜に起こさず、複雑なところだけ楽譜に起こすようにすれば、全体としてずいぶん楽になります。
そして、楽譜に起こすにしても、全声部を楽譜に書くのでなく、一番高い声部だけを書くだけにすればもっと楽になります。
先生、ありがとうございます!