こんなに情熱的にオルガンを!
目が釘付けになりました。思わず息を止めて聴き入りました。
「オルガン奏者」というと、私はどことなく落ち着いたイメージを持っていました。チェンバロだって、歌やヴァイオリンなどに比べると音楽作りもずっと知的であることを要求されると思っています。オルガンは曲のほとんどが教会で演奏されることもあって、さらにその上をいくと思うのです。
それなのに、この奏者はとても情熱的で、それを思いっきり身振りで表現することをいとわないのです。この大きな身振りを、私は意図的なパフォーマンスとは思いません。それは同じ鍵盤楽器奏者としての私の直感でしかありませんが。
「これほどまでに情熱を込めてチェンバロを弾くことを、私もいつか可能になるのだろうか?」
ただ指が動いてさえいればいい、という演奏は卒業したつもりです。けれども、卒業したというだけで満足してはいけない、と思ったのです。
かといって、この演奏に影響されて来週の収録からいきなり身振りを大きくしたりすれば、それこそ滑稽な結果に終わるでしょう。
すべてが自然に演奏に滲み出るようになるには長い時間がかかります。けれども、今日からでもそれに取り組み始めなければ、いつまでたっても今と同じ演奏にとどまってしまいます。
またまた大きな課題をもらいました。だから芸術はやめられないんですよね。
では、その情熱的なオルガン演奏をお聴きください。
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バッハの、オルガンのための前奏曲(このBWV542は幻想曲、BWV540はトッカータ)の中でも、
この曲は「幻想曲」と題するだけあって、決して超絶技巧に走っていないにもかかわらず、
他の曲とは段違いに、奔放な情熱にあふれた曲だと思います。
そのような音楽と真剣に取り組む演奏者は、おのずと全身に情熱を漲らせて演奏することになり、
それがこのビデオに表れてくるのではないでしょうか。
この奔放な情熱にあふれた幻想曲と、最後のピカルディ終止まで息もつかせないフーガを聴いた後だと、あの「トッカータとフーガ(BWV565)」のトッカータが、
バッハの真作とは思えないくらい、浅薄に感じられてしまいます。
ありがとうございます。
チェンバロ曲にもこれに匹敵する曲があります。そういう曲を自分でどのように弾けるか、挑戦しますよ。
クラッシック界では演奏のパフォーマンスが派手過ぎるのはどうかと思われますが、ジャズやロックなどではキーボード奏者でもかなり動きを激しく演奏する人もいます。
特にキース・エマーソン、リック・ヴァンダー・リンデンなどはもともとクラッシック畑の人です。
一概にこの人たちの演奏スタイルと比較するのも野暮ですが、パイプオルガンでもこういった演奏が有っても不思議ではないように思います。
情報ありがとうございます。
ジャズ奏者にもクラシック音楽出身の人がいるんですね。
説明が足りませんでした。
上記2人共プログレッシブロック界のプレーヤーです。超絶技巧の演奏をします。
1度聴かれてもいいかもしれません。
キースは他界してます。余計な補足だったかもしれないですが、、、
ありがとうございます。
前からずっと「ジャズも聴きたい」と思い続けて、多忙を理由にそのままになっています。
「八百板がジャズを聴く」プロジェクトに取り組むことになったら、アドバイスをお願いしたいです。
ユーチューブでこの演奏は何回か聴いておりました。
手や足の動き、音色、音の美しさ等、いつも驚きながら聴いていました。曲の美しさはわからないまま改めて眺めたり聴かせていただきました。人間の英知の塊のように思います。
本物のこのオルガンにもう出会うことはありませんがいろいろ思いを馳せながらこれからも聴いていこうと思います。ありがとうございました!
コメントありがとうございます。
家にいながらにして遠く離れたヨーロッパのオルガンを簡単に聴ける便利な時代です。たくさんの音楽を聴きましょう。私も聴きます。