絶対に賛否が分かれます(ビデオ付き)
さあ、今日の演奏は絶対に賛否がはっきり分かれますよ!
どういう事かというと、右手の細かい音を楽譜どおりのタイミングでは決して弾かないで、所によっては猛烈にテンポ・ルバートするのです。それなのに、左手の伴奏は一貫してイン・テンポを守ります。
つまり、右手と左手のタイミングが豪快にずれまくるのです。
かつて私自身がコンサートでこの弾き方を初めて実践したとき、はっきりと「そんな演奏はおかしい」と拒絶するお客様がいました。
でも、真実は真実なのです。バッハの時代の文献にはっきりと「旋律はテンポ・ルバートするけれども、伴奏はテンポを守る」と書いてあるのですから。(同じ事をモーツァルトも父親宛の手紙に書いています。)
もちろん、バッハの全作品の中でもとても有名なこのイタリア協奏曲でそれを実践している人はまだまだものすごく少数派だとは思います。「そんな演奏は聴いたことがない」と言いたくなるのも分かります。
でも、現代の私たちが聴き慣れないからって、バッハの時代にそう演奏されていたという歴史的証拠の真偽とは別問題です。
考えてみましょう。チェンバロが復興して、チェンバロによるバッハ演奏がようやく現れ始めた20世紀中ごろには、自分たちの貴重なレパートリーを奪われることを恐れたピアノ界から「そんな楽器で演奏したバッハは聴いたことがない」と闇に葬り去られようとさえしたんですよ。だからって、バッハ自身がチェンバロでバッハを弾いていた事実は変えられないですよね?
バッハの時代の文献に書かれたことを実践して、それでもおかしな演奏になるなら、それは単に私の技術やセンスがまだ至らないからです。バッハの時代の文献に書かれた事柄が間違いだと言う根拠にはならないんです。
だから勇気を持って演奏します。いつの日かこういう演奏が「バッハの時代にはこう弾かれていたんだ」と広く受け入れられるようになると、私は信じているのです。
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おはようございます。
リヒターとかメルケンベルクとか、もうやめてくれーと思うくらい譜のテンポからずらす(歌手のアゴーギクの影響もあると思うけど)演奏をしているので、このくらいは欧州だと全然許容範囲じゃないでしょうか。
練習のとき、音作りとか思いながら、こうおせばいい音じゃとか試行錯誤したりするのですが、そんなことしているとヤマハ教室的につるっと完全に弾く能力がどんどん落ちるとは思うのですが、もういいじゃんと割り切っています。自分の脳内でほしい音が出ればいいかと。
ありがとうございます。
いい音は大切ですよね。それを優先して演奏を楽しむのも良いことですよ。
私は他の人に聴いていただく立場ですので、いい音を探る都度演奏が止まってしまうわけに行かないので、いい音と音楽の流れとを両立させるべく頑張っていますけれど。
初めてコメントさせていただきます。いつも興味深いメルマガをありがとうございます。イタリア協奏曲を取り上げてくださって嬉しいです。私もピアノ弾きです。いつもぴったり左右を揃える方がおかしいと、ずっと感じていたので、なるほどーーー!!andわくわくしました。八百板先生の勇気ある演奏に私も勇気を頂きました!ありがとうございます!
初コメントありがとうございます。
そうですか、同じように感じていてくださったのですね!
ではこういうイタリア協奏曲の演奏をご一緒に広めていきましょう。
たしかに、手許にある20世紀に録音されたCDの演奏とは全然違いますね。
受難曲の福音記者のレチタティーヴォ(伴奏は福音記者の語りに合わせる)と違って、
このイタリア協奏曲の場合は、情感たっぷりに歌い上げるアリア歌手(右手)に対して、
伴奏(左手)は次の和音を教えてあげる、そういう役割分担をしているように思います。
受難曲の福音記者のレチタティーヴォ、先日のブクステフーデの作品の演奏と同じように、
「楽譜通り弾いても音楽にならない」の例だと感じました。
受難曲の福音記者との違いに気が付くとは、さすがですね。
レチタティーヴォでも、器楽合奏の伴奏が付くタイプ(レチタティーヴォ・アコンパニャート)だと伴奏は揺れようがなくイン・テンポです。
楽譜どおりに弾いても音楽にならない例は、まだまだたくさんあります。というか、程度問題ですけれど「楽譜通りで音楽になる曲は無い」とも言えます。
高校の音楽の授業で初めてイタリア協奏曲を聞いて,均整のとれた演奏が当たり前だと思っていましたが,今回の動画を拝見して,不思議とこちらの演奏が自然のように感じられました。こうあるべきという古い解釈から踏み出して,解釈には幾通りもあるという良い例だと思いました。
嬉しいコメントをありがとうございます。
高校の音楽の授業で生徒に聞かせる演奏も、こういうふうに変わってほしいですね。
ショパンの演奏だと、そういう弾き方が要求される事が多いと思いますが、バッハの演奏でも試してみる、というのは、やはり勇気がいるのでしょうか。
古楽演奏で、ピリオド奏法的にリズムにこだわる演奏は (チェンバロ以外でも) 多いですが、先生のように、後の時代のようなアゴーギグ面にこだわる弾き方もアリかな、と思います、
ありがとうございます。
自分の演奏を世に問うのは、いつも勇気が要ることです。
特に世の中一般に広まっている弾き方と違うことをするときは尚更です。
でも私は「バッハ自身がこう弾いていたに違いない」と信じているので、こう弾くしかありません。
「左手テンポどおり、みぎて揺れに揺れる」
このやりかたは心から賛同です。
lクラシック音楽とジャズ・ポピュラー音楽の大きなちがいのひとつにこの「ノリ」の考えのちがいがありますね。
(全ての曲がそうとは限りませんが)ポップスはドラムス・ベースがリズムパタンの枠を造り、
揺れることなくキザミをいれますがVocalなどのソロパートは小節線がずれようとなくなろうと
自由にゆれることがおおいです。Bachさんはそのようなあり方をご存じだったのでしょうね。
ご賛同ありがとうございます!
クラシック音楽の演奏家が、もっとジャズやポピュラー音楽のことを理解すれば、バッハの時代のこの弾き方も受け入れられるようになるのでしょうね。
こんにちは。
趣味でジャズドラムを学んでいる者です。この回の記事を読んで、「譜面どおりに弾かない、ちょっと後ろにずらす」というのは、ドラミングの観点から見るとジャズに、ポップスにも共通する事項だと感じました。モダンジャズではシンバルレガートが付き物です。一般的には4分音符1個と8分音符2個の組み合わせで記譜されることが多いですが、この8分音符の一つ目を譜面どおりではなくやや後ろへ持ってきた方が、スィング感が強くなる、あるいはグルーブが感じられると言われています。ポップス系の場合、2拍4拍目にスネアドラムが入りますが、これもタイミングを若干後ろへずらすことで同様の感覚が生まれるようです。
拍の正確さを問われませんが、演歌や民謡を歌われる方々にとって「ずらす」のは当たり前なのでしょうね。「ずらす」と音楽が味わい深くなる、というのはバッハの頃から、古今東西、音楽のジャンルを問わず共通の考えということになるでしょうか。実に興味深いと思いました。
コメントありがとうございます。
対馬さんのおっしゃるスイングはバロック音楽にもあって、特にフランスでは「イネガル(不均等の意味)」と呼ばれて盛んに実践され、規則にすらなっていました。
クープランの曲を私が演奏したこちら↓の動画で、それをふんだんに盛り込んでいます。
https://youtu.be/jqUe8gCNdkU