光の力(写真付き)
バッハを練習していたら、とつぜん窓から日が差してきて、楽譜とチェンバロを照らしました。
右手も左手も同じようなパターンがずーっと続くし、今まで何度も本番で弾いてきて曲なので、練習しながらちょっとボーっとしてしまっていたんです。それが、突然の光で一気に目が覚めて、声には出しませんでしたが「うわー、何だこれは!」と嬉しい驚きでした。
光の力ってすごいですよね。ただ楽譜が照らされているだけなのに、美しさが気になって練習していても気もそぞろです。憂いに満ちたバッハの旋律にも光が当てられて、悲しみもまた美しさに昇華するかのようです。
と不思議な感覚に浸っていたのも束の間、10分くらいで太陽は隣家の屋根に隠れていきました。
ここは雪国なので、冬の間とか雪解けの春とかだと、日の光の美しさや有り難さに敏感になります。でも今は6月。太陽が出て暖かいのは当たり前。暖かいのを通り越して、今日なんかは汗ばむほどでした。こんな季節に日の光の美しさに心躍らせた自分に、じつはちょっと驚いてもいます。感受性が高まったのかな?
また、こんなふうに楽譜に日の光が当たると、チェンバロの音まで違って聞こえるというのも今日の発見でした。正直なことを言うと、音としての美しさは夜が更けてからのほうがずっと上です。でもその代わり、何というか、音が音だけで存在しているのでなくて、光をはじめ他のいろいろなものと共にあるという感覚です。だから演奏の何がどう変わる、と言えるほどには今日の体験を整理できていないのですけれど。
今まで当たり前だと思って(というか、そんなこと考えもしないで)見過ごしていたことに美しさを感じられるようになるって、いいですよね。世界が違って見えるようになりますね。これからも毎日ひとつ、新たな美しさに気付くように、感覚を研ぎ澄ませようと思います。
あなたのコメントをお待ちいたします
下のほうのコメント欄で、あなたのお考えをお聞かせくださると嬉しいです。
(システムの都合により、いただいたコメントがサイトに表示されるまでに最長1日程度お時間を頂戴する場合があります。あらかじめご承知くださいませ。)
「憂いに満ちたバッハの旋律にも光が当てられて、悲しみもまた美しさに昇華するかのようです。」
と書かれた文、きれいですね!写真も光が揺れているようでとてもきれいです。
そこに音楽が鳴っていたのでしょうから更に美しさが倍増していただろうと想像しています。
ゲーテが最期に言ったという「もっと光を・・・」という言葉を思い出しました。
お褒めのお言葉、どうもありがとうございます。私にとっては今回の写真も文も偶然の産物のようなものですけれど。
光・・慰められます。チェンバロにあたった光の写真を見てそう思いました。私は新潟に来てーこの新潟にも温かい光が射しますー特に午後、光の射している部屋の中に居て、故郷をよく思い出すのです。私はこんな暖かい陽射しの中で育ってきたんだなあ、と思うのです。
家合さん、コメントありがとうございます。
家合さんの感受性もすてきだと思いますよ。