アヴェ・マリアの伴奏じゃないんです!(ビデオ付き)

あなたはもしかしたら「バッハの平均律クラヴィーア曲集第1巻より前奏曲ハ長調」なんていう物々しい名前を聞いても、どんな曲か思い浮かべることができないかもしれませんね。大丈夫です。普通の人ならみんなそうですから。

では、「グノーのアヴェ・マリア」ならどうですか?

「ああ、それなら知っている!」という人もきっと多いことでしょう。

じつはこれが困ったことなのです。

バッハがチェンバロ独奏曲としてその物々しい名前の曲を作ってから約100年後のことです。フランスのグノーという人がそのバッハの曲をそっくり歌の伴奏に転用し(おせっかいなことに一番劇的なところにバッハが書かなかった1小節を勝手に挿入もして)、その上に歌のメロディーを作って乗っけて、「アヴェ・マリア」として発表しました。そうしたら大ヒットしてしまって、世の中のほとんどの人はこのバッハのチェンバロ曲を「アヴェ・マリアの伴奏」だと思っているのです。

まあ、聴く人がそう思っているだけなら、バッハの曲が広く知れ渡るきっかけにもなるので悪い話ではありません。

困ったのは、それを演奏するプロのピアニストや、時にはチェンバロ奏者までが、独奏曲としてのこのバッハの曲をまるで伴奏のように控えめに淡々とメトロノームどおりに弾いていることなのです。

本当はそんな淡々とした曲ではないんです! もっともっと自由な、まるで即興演奏であるかのように弾くべき曲なのです!

と叫んでばかりいても誰も聞いてくれませんから、叫ぶ代わりに解説しました。そして演奏しました。その解説と演奏をお聴き下さい。私のこの弾き方が一番正しいとは言いません。でも、このくらい楽譜から離れて自由に弾くという精神は正しいはずだと、私は心の底から信じているのです。

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アヴェ・マリアの伴奏じゃないんです!(ビデオ付き)” に対して17件のコメントがあります。

  1. 芹澤ヨシノリ より:

    カラヤンは来日公演の折り、ブランデンブルグ協奏曲をチェンバロの弾り振りしましたが、そういう和音を一切崩すことなく譜面通りの白玉和音を押さえただけでした。
    こんな愚にもつかない指揮者を礼賛するのは、「我々は洋品なら何でもありがたがる田舎者民族です。」って言っているも同然。
    彼は元来オペラ指揮者。
    知りもせんで余計な演奏すんな、って当時怒り心頭になったものです。
    煽るレコード会社やマスコミが悪いとは言え、それを鵜呑みにして疑わぬ我が国のオーディエンスには、つくづく呆れました。

    1. 八百板 正己 より:

      カラヤンは、通奏低音の和音は崩さずに弾くものだと信じていたんだと思いますよ。いまだにモダン・オーケストラがヘンデルのメサイアを演奏する時なんかに、そういう通奏低音を耳にしますから。
      結局、自分の価値観から「この演奏が好き」と言えるようには、日本の音楽教育はなされていないという事ですね。

      1. 芹澤克昇 より:

        八百板先生
        芹澤です。
        ご返信ありがとうございます。
        カラヤンファンからしたら「楽譜を改竄しない忠実な演奏」という事で賞賛するのでしょうね。
        なんか、こっちの気がおかしくなりそうです😀。
        少なくともピアノ奏者ならば、書かれた和音以外のことを一切しない、ということはあり得ない。たとえ通奏低音の流儀を知らずとも、ピアノという鍵盤楽器の特性から、せめてちょっとしたアルペジオ弾きや前打の装飾音、ペダルによるリバーブ加減ぐらいは無意識につけるものですから。

        1. 八百板 正己 より:

          まあまあ、悪い演奏のことをとやかく言っても悪い演奏は無くなりませんから。
          それよりも、「この演奏はこういう理由で本当に素晴らしい!」というポジティブな情報をたくさん発信していきたいと私は思います。妻によく言われるんですが、「ピアノ界でいまだにこんな演奏がまかり通っているのは、古楽関係者が本当のことを広めようとしないで怠けているせいだ」と。

          1. 星野裕子 より:

            横から失礼いたします。
            ポピュラー音楽の譜面は、メロディーだけかいて、上にコードネームが書いてあるようなものもあります。演奏者はコードを見て、ふさわしいリズムにのせてコードを弾いて伴奏を付けるのでしょうが、バロック時代の伴奏の付け方も、これとちょっと近い考え方なのかなと思いました。
            伴奏に対するスキルや考え方の柔軟性は、ポピュラー畑の方々の方が、クラシック演奏家の方よりありそうですね。

          2. 芹澤克昇 より:

            八百板先生。
            芹澤です。
            仰せの通りですね。
            口先からの批判や悪口からは、何も生まれませんから悔い改めます(..;)。

  2. aoki より:

    先生、関係のないことなんですが、疑問に思っていることがあるのでよろしければご意見お聞かせください。前からときどきバッハの曲って右手音が高すぎ?みたいな感じ、つまり中央ハC4あたりから上でひいている音が、その1オクターブ下の左のC3あたりの音にくらべて合わない合わないという気がしていたのです。今回マタイの一部を編曲したのであまりに右が高くていやだなと思い、ひょいと電子チェンバロをやってみたら、これは違和感がない。それでふとおもったのですが、オクターブとか波長という意味ではピアノであろうがチェンバロであろうが同じはずですが、でも上のようなこと(音のハーモニーとして、ピアノだといらいらするけどチェンバロだとしない)ってあり得るでしょうか。言葉だとうまく表現できなくてごめんなさい。

    1. 八百板 正己 より:

      もしかしたら調律が狂っているだけかもしれないと思うのですけれど。
      調律師さんに見てもらって、調律が問題ないなら、調律師さんがいる場で「この音とこの音のオクターブが合わないように聞こえるのですが。」と質問してみるのが一番でしょう。

  3. aoki より:

    ありがとうございます。昨日ちょうど調律をしていただいたので試してみます。

    1. 八百板 正己 より:

      調律したばかりなら、実際の音が狂っているわけではなさそうですね。

      楽器の音色によって感じ方が変わるということはあると思います。チェンバロなど倍音が豊かな楽器だと、右手の音は左手の音の上に積み重なる倍音の中に溶け込んで聞こえますが、倍音の少ない楽器だと、あくまで右手と左手の音どうしの比較というふうに聞こえます。

      その上で、もし合唱などの純正ハーモニーを聞きなれた耳だと、その単音の右手が平均律という音律の特性上、和音の第3音(ドミソの和音ならミの音)を弾いた時にとても高く狂って感じられるということはあり得ます。

  4. 八百板 正己 より:

    星野裕子さま

    コメントありがとうございます。システムの都合で星野様のコメントにはこれ以上コメントを重ねられないのでここに書きます。

    たしかに、ポピュラー畑の人、ジャズもそうですよね、の方々はとても柔軟な弾き方をします。というか、音楽とは本来そういうものですから、クラシック音楽がどうしてそうなってしまったのか、考えさせられますね。

  5. 芹澤克昇 より:

    星野裕子さま。
    今回の八百板先生のご教示内容から些かスピンアウトしますが、私的な事を・・・。
    拙の妻は、音大ピアノ科在学中にジャズピアノも併せて学習・修得し、クラシックの曲に取組む場合でも、楽譜にコードネームをドンドン記入して練習します。
    拙もそれを真似てみたところ、暗譜が劇的に楽に出来るようになるのに驚きました。
    極めて月並みな事なので、今さら自分が言うのも野暮なのですが、鍵盤奏者とは「弾く」という行為と同時に「和声分析」も演奏行為の要素である事を実感したものです。
     また、これをやっていく内に、思わぬ伝統継承を発見したりもするようになる。
    一例だけあげますと、ショパンバラード4番の72~73小節にコードネームを付けて練習したら ~ ここ、本当に覚えにくかったので ~、この和声進行をグリーグがピアノ協奏曲の終楽章で敷衍しているのに気付きました。
    もっとも此のやり方が、八百板先生ご夫婦を始めとするプロの鍵盤奏者の方々から見たら正しい方法論かどうかは預かり知らぬところですけれど。
     もう一点。
     ホリー・コールのヒット曲「Calling You」を主題歌とする映画「バグダットカフェ」で、黒人青年がバッハの平均律Ⅰ/D durの前奏曲を、各小節を全音符の和音に置き換えて練習するシーンにいたく感動した覚えがあります。
    これは今回の動画で八百板先生がご教示された、和音からフレージングを読み取るのと、ちょうど正反対の作業ですね。
    練習に当たって青年が、各小節にコードネームを書き入れていたか否かまでは観切り出来ませんでした。が、拙ならば弾く前に絶対書き込みしてから練習にかかるところです。

    1. 八百板 正己 より:

      コードネームを書き込むのもいいと思いますよ。妻は正統的な「調と度数」を書き込んでいますが、私は職業病で通奏低音の数字を書き込みます。要は弾く人がそれによって曲の和声を理解できればいいのですから。

      1. 星野裕子 より:

        芹沢様、八百板先生、私の横槍の文章に御回答頂き、大変ありがとうございます。
        以前から独学でのピアノ練習時に、コードネームや、Ⅰ-Ⅳ-Ⅴの記号を書き入れていましたが、最近は、一般むけに、アナリーゼの為これらの情報を書き込んである楽譜も販売されており、素人の推測だけでは分からない部分の確認に大変役立ちます。

        1. 八百板 正己 より:

          そういう楽譜が売られているんですね? ちゃんと勉強してピアノを弾こうとする人がたくさんいるからなのでしょう。よい事ですね。

  6. K552 より:

    平均律クラヴィア1番プレリュード。
    確かにグノーのアベマリアとして初めて聴いた人が多いと思います。
    私ももちろんその一人ですが、今はほとんど聴きません。
    聴かないというより、甘すぎて聴けないのです。
    それと楽譜通りの演奏もつまらなくて聴けません。
    学生時代好きでよく聴いたイギリスのロックバンド、モット・ザ・フープルがライブの中でもキーボード奏者が前奏にこの曲を折り込んでいたのですが自由な演奏で盛り上げていました。
    ロックですから自由なのは当たり前かもしれないですけど、、、

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。
      バロックも本当は自由だったのですけど(もちろん「好き勝手」とは違いますが)、それが300年経って当たり前でなくなってしまったのを何とかしたいと頑張っているわけなのです。

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