疲れた頭には虫の声
私が音楽監督を務める「新潟バッハ管弦楽団&合唱団」の上越会場の練習に行ってきました。現地で指導するのが2時間半なのに対して、往復が3時間。このところチェンバロを真剣に練習して疲れ気味のところに、往復3時間の運転はちょっと疲れますね。
で、夕方私のお城「見附チェンバロスタジオ」に戻ってきて、車を降りた途端、秋の虫たちの大合唱に包まれました!
実際は包まれたのではなくて、隣家の庭の方から聞こえてきたのですが、あんまり気持ちがよかったものだから「包まれた」と感じてしまったんですね。そのまま吸い寄せられるように隣家の庭のほうに歩み寄って、疲れた頭に思いっきり虫の声のシャワーを浴びました。
虫の声には人間の耳に聞こえない高次倍音が含まれているそうです。コウモリの声なんか完全に人間に聞こえませんね。本で読んだのですが、人間の耳に聞こえない高周波には、疲れた頭を休めたり、免疫系を活性化したり、さまざまな体調不良を改善したりといった効能があり、はたまた「癌が消えた」なんていう研究結果まであるそうですよ。耳に聞こえないのですから、脳や神経などが直接その振動を受け取っているのでしょう。
さて、虫たちの合唱は決して我々音楽家が言うところの純正な和音ではありません。大体似たような高さの音とはいえ、半音くらいのばらつきは当たり前のことです。西洋音楽の作曲理論で半音のぶつかりといえばかなり厳しい不協和音とされています。でも虫たちの合唱は、楽譜にすれば不協和音なのかもしれないけれど、ただただ美しいです。
これは、「とても高い音域での半音は決して汚い響きではない」ということを反映しているんだと思います。
ちょっと理屈っぽくなりますがお付き合い下さいね。まずは自然倍音列の話です。
どんな楽器でもいいので「ド」という音を鳴らしたとします。この「ド」の音にはたくさんの倍音が含まれています。まずオクターブ高い「ド」。次にオクターブ半高い「ソ」。その次に2オクターブ高い「ド」。さらに次は2オクターブと長3度高い「ミ」。さらに次は2オクターブ半高い「ソ」。
このように、一つの音を鳴らすと、それより高い様々な音が同時に微かではありますが鳴るのです。「ド」の中に「ソ」や「ミ」が入っているんです。つまりこれ自体が美しい「ドミソ」の和音を成しているというわけです。大体の傾向として、高い倍音になるほど含まれる音量は小さくなります。それでも、楽器によって全体に倍音が強かったり弱かったり、または「ソ」や「ミ」など特定の倍音が強かったりという違いが、楽器の音色の違いとして私たちに感じられます。倍音の少ない音は「ぽー」という軟らかい音、倍音の多い音は「キーン」とか「ジャーン」という硬い音です。
さて、倍音が全部「ドミソ」だけなら話は簡単なのですが、そういうわけにはいきません。さっきの「ソ」の次は「シ♭」です。その次は3オクターブ高い「ド」ですが、さらに次は「レ」です。その次の「ミ」を経て、次はなんと「ファとファ#の間くらいの音」です。どうですか?「ド」の中に「シ♭」や「レ」や「ファとファ#の間くらいの音」なんていうのが含まれているんですよ。
このように文字で書くと「こんなにいろんな音を同時に鳴らしたら、ものすごい不協和音になるじゃないか」と思いますが、それでも私たちの耳には美しいと感じるのです。何オクターブも上の方で鳴る半音やもっと狭い音程は、べつに不協和音とは感じないんです。
もう一つ理屈を考えてみましょう。今度は「倍音を含んだ音どうしの関係」です。
「ドミソ」の和音を鳴らしてみます。これが汚いなんていうはずがありませんよね。
ところが、先ほどの自然倍音の話を思い出しましょう。「ド」の中にはすぐ次の次、オクターブ半高い「ソ」が含まれています。この低めの倍音は結構大きな音量で含まれています。同様に、「ミ」の中にはすぐ次の次、オクターブ半高い「シ」が結構大きな音量で含まれています。同様に、「ソ」の中にはオクターブ半高い「レ」が結構大きな音量で含まれています。
ということは、「ドミソ」のオクターブ半上に「ソシレ」が結構大きな音量で重なっているというわけです。並べ替えてみれば「ドレミソシド」ですよ。「シ」と「ド」は半音です。でも、どんな楽器で弾く「ドミソ」も美しいでしょう?
虫たちの合唱に戻りましょう。今スタジオの外に出て聞き直してみましたが、あの高い音は鍵盤の中央の「ド」より3オクターブ上の「ド#」でした。チェンバロの音域はそこまでありませんが、目の前にある私のチェンバロにはオクターブ高い音が鳴る「4フィート」という弦のセットが備わっているので、その弦だけ鳴るようにして最高音域の「ド」と「ド#」の半音を同時に弾いてみました。確かに刺激的だけど、でもきれいですよ。とても高い音域の半音は汚いどころか美しいのです。
鈴だってそうですよね。「リンリンリン」と鳴らされるたくさんの鈴が、きちんと調律されているわけがありません。半音やもっと狭い音程がいくつも重なっているはずです。それでも鈴の音は美しいです。やっぱり、とても高い音域の半音は美しいのです。
つい文章を書くのに熱が入って頭が疲れてしまったので、今からまた外に出て虫の声を聞いてきますね。
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暑さを増幅するようなセミの鳴き声が、いつの間にか聞こえなくなって、
涼しさ、爽やかさを感じさせる秋の虫の声が聞こえるようになりましたね。
一生に一度、命賭けで求愛の歌を歌う虫たちの熱意が、知らない間に
私たち人間の心をも浄化しているのかも知れません。
秋の虫の声が聞けるのも、そう長い期間ではありませんね。
それを思うと、彼ら(鳴くのは雄ですね)の束の間の熱意も、いっそう価値あるものに思えてきます。
虫の声の合唱!!!きっとお疲れも吹き飛んだことでしょう。
虫の声を楽譜で表せるなんてすごいですね。
自然倍音列という言葉も初めて目にしました。この文はプリントして
楽器の前に立ってみようかと思いました。
ありがとうございます。
私は根が理系人間なので、自然の美しさの理由までつい理屈で考えてしまいます。