バッハのフーガを埋め尽くす十字架(写真付き)

バッハの平均律クラヴィーア曲集第2巻から、イ短調のフーガです。ジグザグに動く4つの音符を結ぶと、楽譜に十字架が現れます。写真で赤い線で結んだのがそれで、「十字架の音形」と呼ばれています。
特に冒頭の4つの音(ミ、ド、ファ、ソ#)は、ヘンデル(メサイアの”And with his stripe”)やモーツァルト(レクイエムの”Kyrie eleison”)も使った伝統的な主題です。死ぬほどの苦しみを表す特別な場面で象徴的に使われました。いけない音程である減七度を含み、その異様な響きは一度聴くと忘れられません。
それにしてもバッハのこの曲は十字架で埋め尽くされていますよ。十字架の主題だけでなく、相手を務める32分音符の対主題も、核となる音を結ぶとやはり十字架(青い線で結んだもの)が現れます。バッハはとにかく何でも徹底的に追及する人ですね。
こんな曲を練習していると、胸が苦しくなってきます。だんだん弾けるようになってきて感情移入できるようになってくると尚更です。でも音楽家は気晴らしに楽器を弾くのではないですから、それも務めのうちです。
「務めのうち」なんて言いながら、じつは自分でこの曲を選んだんですけどね。楽譜をもう1ページめくれば対照的にさわやかな曲があるにもかかわらず。
音楽は、単に癒しのメロディーで耳に心地よいだけではないと思うんです。たぶん、喜怒哀楽を始めとしてあらゆることが音楽に託されているのでしょう。今の私は「胸が苦しくなる」くらいのことしかはっきりとは分かりません。でも、練習していて気持ちがいいわけではないのにこの曲に引き付けられるのは、バッハがもっと高い次元の何か大切なことをこの曲に託したからなのでしょう。
追伸:
メルマガ会員の方には、今週末のコンサートでこの曲もお聴きいただけます。門外不出の名器スコブロネックで弾く十字架の嵐は迫力ですよ。コンサートの詳細は会員ページにありますし、何なりとお気軽にお尋ねください。
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昨年10月の記事「新潟大学で通奏低音の講義」でも
十字架の音形を取り上げてらっしゃいましたね。
(あの十字架には減7度の音程はありませんが)
ヨーロッパの作曲家にとって、特別な意味を持つ音形なのでしょう。
ありがとうございます。
この種の象徴は、まだまだたくさんあるんですよ。折を見てご紹介します。
考えてみると、バッハの名前そのものが
BACH=シ♭ラドシ(ナチュラル)という、
音域は狭いですが「十字架の音形」になっていますね。
きっとバッハは、若い頃から、他の音楽家以上に
それを意識していたのではないでしょうか。
そうですね。私もそう考えています。
「務めのうち」-このことが心に残りました。家合映子(゜))<<。
ありがとうございます。「音楽家の務め」というような真面目なことを考えさせられる、バッハの作品の力ですね。
きれいな写真ですね。
丁寧に、きれいに線が引かれています。
作曲した方は十字形を意識して使われたのか、それとも
その考えた(浮かんだ)メロディが十字形になったのか
どちらが先だったのかなあ など考えています。
線は写真の上に画像編集ソフトで書き込みました。
「十字架の音形」はバッハよりもずっと昔からの伝統で、バッハもそれに従ったというわけです。
お返事、ありがとうございました。
どちらも新しい知識になりました。
十字形の音符の形は前にお聞きしていましたが、いつ頃からとかなどは
しりませんでした。これから少し調べてみようと思います。
「十字架の音型」とパソコンで打ち込んだら、実にいろいろ載って
いました。1.「白鳥の湖」のモチーフは十字架音型?」
2.バッハの神学文庫>>1神のダンス
3.バッハ、ミステリー作曲家としての実像に迫る
・・・とかたくさん出てきました。そして八百板先生のこの文も出ました!!
読むのも理解するのも大変だと思いました。それよりも聴いて何かを感じる
ようになるのがいいかなと考えているところです。
そうですか、私の文も出てきたんですね!
この種の話題は、それを理解できないと音楽が楽しめないと考えるのではなくて、それほどまでに作曲家が意味を込めようとした大切な曲だと考えればよいと思います。
そんなに沢山十字架があるとは知りませんでした。私でも丁寧に見ていけば探せそうです。
ありがとうございます。
ジグザグの音の動きなら全て十字架の線を引くことができますが、その中でも特異な音程を含んでいたり、合唱曲なら歌詞の内容が関連しているなどの限られた場合にだけ、作曲家が十字架を意識したと考えることができます。その判断は最後は演奏者の主観になりますけれど。