あなたも私も世界一

そう、世界一です。冗談ではありません。

例えばあなたが駅前のいつもの定食屋さんでお昼ご飯を食べたとしましょうか。そのとき、その定食屋さんはあなたにとって世界一のお店だったのです。

「いやいや、ごく普通の定食屋だよ」ですって? もちろん、東京の一流ホテルのレストランとか、赤坂の料亭とか(私は経験ないので想像するしかありませんが)、味で言えば上には上が限りなく存在します。

でも(ここが大切)、私は「世界一の味」とは言っていません。いつもの駅前にいて昼時におなかをすかせているあなた。できるだけ手頃な値段で手頃な味のお昼ご飯を今すぐ食べたいあなた。そこそこの味が約束されていることを経験で知っているお店で食べたいあなた。これらの条件を満たすお店を世界中から検索したとしても、やっぱりそのいつもの定食屋さんを選んだはずですよね。

 

もう一つ例をお話ししましょう。もうだいぶ前ですが、妻とフランスを旅行したときのことです。

地方にある大きくもない町で、たまたまバスの乗り継ぎで時間が空いたので、ふらふらと散歩して通りがかった教会に入ってみました。中では一人のご婦人が由緒ありそうな古いパイプオルガンを練習していました。おいおい、子供でもそのくらい弾けるでしょう、という超簡単な曲を何度もつっかえながら。

数日前にパリのノートル・ダム寺院の礼拝に居合わせて、感動的なオルガンの即興演奏に鳥肌が立ったばかりだったので、この落差は何なの? と一瞬思いましたが。

でも、このご婦人だって、その教会にとっては世界一のオルガン奏者です。毎週日曜日の朝に必ず礼拝に出席して、礼拝が滞りなく行われるのに必要な演奏を、おそらく無償でおこなう。この条件を満たすのは、そのご婦人が最高の存在なのだと思います。

これは、誰が何を選ぶ場合についても言えます。あなただってそうです。誰かが何かについて、他の人でなくあなたを選べば、その都度あなたはその誰かにとっての世界一なのです。どうですか? 気分がいいでしょう?

 

私自身はこの考え方で本当に救われました。

考えてもみて下さい。世界的なチェンバロ奏者のCDが国内でも大量に出回っているし、しかも近年はYouTubeで無料で聴けるんです。どうして私のコンサートのチケットを「買ってください」と言えるでしょうか?

「いや、生演奏は録音とは比べられない価値があるんだから、自信を持ってコンサートをすればいいのですよ。」と言ってくれる方もいます。でも、新幹線に乗って東京に行けば、それこそ毎週のように、日本を代表するチェンバロ奏者のコンサートが聴けるんです。どうして私のコンサートのチケットを「買ってください」と言えるでしょうか?

「いや、東京まで行ってくる時間もお金ももったいない。ここ新潟にいてチェンバロの生演奏が聴けるのはあなたのお陰なんだから、自信を持ってコンサートをすればいいのですよ。」

そうです。これが「世界一」ということです。特定の誰かにとっての世界一になれば道は開けるのです。今の自分は誰にとっての世界一なのか、をよく考えて、その誰かに焦点を合わせて全力を尽くせばいいのです。

 

録音も便利ですけれど、音楽はやはり生物(なまもの)だと信じる私です。「自分は今住んでいる新潟県の方々にとっての世界一になって、チェンバロの素晴らしさやバロック音楽の素晴らしさをコンサートやレッスンで伝えていくんだ」これが私の使命だと思って20年間活動を続けてきました。

それがです、どうやら新潟県外の方々にとっても世界一となれる瞬間があるんだ、ということに気が付いたのです。

きっかけはFacebookです。手始めに2つのDVDを作り、それから本を自費出版しました。そうしたら、Facebook経由で日本中からお買い上げいただいているのです。そして最近では、Facebookとも関係がなさそうな方も本を注文してくださるようになりました。検索でこのウェブサイトにたどり着いたのでしょうか? 自分でも何が起こっているのか実感が湧きません。

「この広い日本のどこかで、私が発した情報が誰かの役に立っている」というのは、嬉しいと同時に責任も感じます。独りよがりなことを言って、自己満足に酔っていないか、自分の言動を客観的に見直すことも必要になるでしょう。

あなたにお願いがあります。もし私が自己満足に酔っていたりしたら、ぜひご指摘ください。そんな言いづらいことをはっきり言って下さるなら、あなたは間違いなく私にとって世界一のお客様です。

 

追伸

私が作った本とビデオ教材については、こちらのページでかなり詳しく書いてあります。

「もっと違う、こういうことを学びたい」とのご要望もお聞かせください。あなたにとっての世界一になるために、あなたが必要とすることで私にできることは何なのか、教えてください。

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あなたも私も世界一” に対して7件のコメントがあります。

  1. 山川明子 より:

    このお便りは私にとってはタイムリーで、大きな勇気をいただきました。
    合唱の伴奏をやっているのですが、9曲もあり、弾きにくい曲も多く、本番を前に不安でいっぱいの朝を迎えていました。そこで、八百板先生に、アドバイスを下さい!とメールでお願いしようかな、と思ったときにこのメールマガジンが…!
    そうだ、団員さんにとっては私は世界一の伴奏者!やれるだけやろう!
    と、不安な気持ちが吹っ切れました。ノーミス、というわけにはいきませんでしたが、まずまずで、楽しく歌えたようですし、お客様も喜んでくださいました。
    先生、どうもありがとうございました! このタイミングのよさにも驚きです。
    これからも、先生のメールマガジンを光としてがんばっていきます。

    1. 八百板 正己 より:

      山川さん、とても嬉しいコメントをありがとうございます!
      上には書きませんでしたが、私は自力でこの考えにたどり着いたのではありません。ある教材(音楽関係ではありませんが)でこの考えを学んだときには私も大きな勇気をもらいました。その教材を作った人も、おそらく他の誰かからこの考えを教えられたのでしょう。ですから、山川さんも誰か困っている人がいたら、この考えを教えてあげてください。

  2. 星野裕子 より:

    フランスで、御婦人の練習風景を聴かれたそうですが、恐らくオルガンを本格的に学んだのではない (恐らく、ピアノ等の鍵盤楽器経験も無い?)、一般の方がオルガンに触れる機会があるのは、さすがキリスト教会の伝統のあるヨーロッパだな、と思いました。
    新潟市のりゅーとぴあでは、昨年(2020年)から専属オルガニストになられた方が、オルガン演奏経験がなくても、ホールの大オルガンで、誰でも参加OKの演奏体験を企画されていますが、その企画にしても年1回で、恐らくピアノ等の経験のある方々が殺到すると思われます。。。
    長岡リリックホールには、寄贈されたポジティブオルガンがありますが、普段は地下の練習スタジオ前にあるガラスケース内に収められていて、前回誰かが弾いたのはいつでしょう?という状態です。。。
    伝統が違うといえばそれまでですが、変にオルガンをありがたがる事なく (ヨーロッパでも昔は「神、教会の楽器」という意識は強かったのかも知れませんが)、日本の文化の中で、上手く活用していく道はないものでしょうか。

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。
      日本でオルガンを一般の方々がもっと当たり前に触れられるようになるには、一般の方々が「もっと頻繁に演奏を聴きたい」「私も弾きたい」「習いたい」と発言するのが一番でしょう。りゅーとぴあも長岡リリックホールも公共施設ですから、多くの市民から強い要望が寄せられれば道は開けると思います。

      1. 家合映子 より:

        星野裕子様、また八百板先生に返信です。
        もし一般の方々が、もっとオルガンに興味をもって、真剣に取り組まれるようになれば、教会の奏楽者もうかうかしておれなくなりますね。

        1. 八百板 正己 より:

          でも教会の奏楽者の方々の姿勢に一般の人が学ぶべき事もあります。それは、「オルガン演奏で自分の腕を自慢しても仕方がない」ということです。音楽にはそれぞれ目的がある、ということがもっと知られてほしいものです。

          1. 家合映子 より:

            耳の痛い話です。音楽を通して自分の弱さ、醜さを見せられてしまう、ということがあります。音楽にはそういう怖さがあります。それでも、学んでゆくしかない、というのが今の自分だと考えています。私も、礼拝のご用のためにオルガンを学び始め、続けてきた人間です。教会の現実につまずきもしてきましたが・・。何度でも基本に立ち帰ること、そして、神様から与えられた賜物を、与えられたいのちの中で、用いて頂けるよう、祈り願いつつ、歩むことを許して頂きたいものだと思います。

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