すごい曲だと理解するだけではダメ(ビデオ付き)
本当に大変な曲でした!
バッハのシンフォニア第9番ヘ短調。あなたは聴いたことはありますか? 弾いたことは?
この曲がバッハのシンフォニア全15曲の中でも異例の存在である事は、世に出回っている楽曲解説などでも十分に指摘されていると思います。3つの主題による厳格な3重フーガ。半音階、増音程に減音程、修辞的沈黙、十字架の音型・・・。異例の表現がものすごい密度で凝縮されています。
これほどの事柄が同時にいくつも重なる曲ですから、確かに練習は大変です。でもテンポは遅いですから、よく練習すれば技術的なことは解決します。
問題は、練習して弾けるようになっても、曲が長くて、それなのに同じようなことばかりが繰り返されて、弾いている自分自身が退屈(?)してしまうことです。退屈という言葉が不適切なら「間が持たない」とでもいうのでしょうか。「こんなに同じことを繰り返さなくたって、もっと短くたっていいのに」と思うようでは、何か根本的なことが間違っているはずなのです。
こういうことって、クラシック音楽に結構あるんですよね。音楽界の評価では「偉大な曲」ということになっているのに、率直に言ってつまらない。演奏者は感極まったような難しい顔して弾いているけど、これって弾いてる人の自己満足じゃないの? と私は子供のころからよく疑問に思ったものです。
演奏者が感動しても、聴く人も感動するとは限らないのです。
それなのに、このシンフォニア第9番では弾いている自分が満足してないんです。そんな状態でビデオ収録はできません。かといって、理屈で考えて取って付けたような表現を加えたって、なおさら自分が嫌になります。こうなったら、自然にアイデアが生まれるまで、じっくりと弾き込むしかありません。
いつもの2倍もの期間をかけて弾き込むうちに、いろいろなことに自分が縛られていることに気付きました。
- 長調と短調では、同じ主題であっても同じように弾く必要は無いのでは?
- 高音域と低音域では、同じ主題であっても同じように弾く必要は無いのでは?
- 主題の同じ音に付けられた同じ装飾音でも、速さを統一する必要は無いのでは?
- 演奏時間4分半のあいだ、テンポが一定である必要も無いのでは?
そしてついに、練習している自分が完全に曲の虜になるような解釈に行き着きました。すごい表現の密度で、一度弾くだけで心がヘトヘトです。「これだ! 今の自分にとっての最善のシンフォニア第9番だ!」
批判は覚悟の上です。でも、こういう演奏なら退屈なんてしないでしょう?
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この曲は、手許にあるCDで何度も聴いて、何度も聴き流してきた曲でしたが、
これほど情感豊かな、さながらバッハが八百板さんに乗り移ったような演奏は、初めて聴きました。
楽譜を見て気づいたのですが、半音下降の中にダブルフラットがありますね。
バッハのチェンバロ曲で、ダブルフラットを楽譜で見たのは初めての気がします。
余談ですが、
>音楽界の評価では「偉大な曲」ということになっているのに、率直に言ってつまらない。
に関連して、「題名のついている曲よりも、ついていない曲の方が自分は気に入っている」
ということがしばしばあります。
「世間の人は、なんでこの曲の良さがわからないんだろう?」と思うような。
お褒めのお言葉、ありがたく頂戴します!
作曲家は題名をつけなくても後世の人が題名をつける曲は、たしかにどんな人にも気にいられるような曲が多いですね。
題名が付いていない曲の良さを分かるためには、音楽を味わう耳を持っている人に解説してもらいながら聴くとか、ちょっと工夫するといいですよね。やがて音楽を味わう耳が育ってくれば自分でもどんどん知らない曲を楽しめるようになります。
f moll.
間違いなく、
h moll
と共に、バッハにとって特別な短調ですね。
先生はJazzのウラコードをご存知でしょうか。
属和音は、Ⅱ7♭に置換して演奏して良い、という奏法です。
C dur だったら、半音上のDes7がG7と同値と見做されるわけです。
f (moll)と h(moll) は、正しくその関係です。
バッハはウ知っていたに違いない、としか思えません。
平均律Ⅰもf mollとh mollは、他の短調曲よりも深刻の度合いが群を抜いていると感じます。
情報ありがとうございます。
ジャズのウラコードのことは全く存じません!
今の和声理論はバッハより後の古典派の時代に確立したものなので、バッハの和声はしょっちゅう今の和声理論から外れます。
バッハより昔の教会旋法に立ち戻ることもあれば、まるで20世紀音楽のように一瞬「無調」になることだってあります。でもそれは奇をてらってのことなんかではなくて、対位法を追求していった結果なんですよね。