楽譜にない音を足しちゃいました(ビデオ付き)
なんと華麗で堂々としたフーガでしょう! こんな曲の最後を楽譜どおりになんて弾いていられません!
平均律クラヴィーア曲集第1巻のト長調のフーガ。名前だけ聞くと何だか難しそうな印象かもしれません。でも、聴けばきっと気に入っていただけると思いますよ。
この曲に限りませんが、当時の楽譜というものはメモのようなもの。細かい表情を付けるのはほぼ演奏者に任されていました。ですから、楽譜にない装飾音を加えるようなことはしょっちゅうです。
でも今回は装飾音じゃないんです。私も滅多なことでは使わない「奥の手」です。
この曲はバッハのフーガの中でもとりわけ華やかで、大規模で、堂々としています。その最後には、まるでパイプオルガンの足鍵盤を思わせる持続低音が現れ、その上に32分音符を含む即興的なパッセージが駆け巡ります。
その最後の見せ場の持続低音が、楽譜どおりだと全く物足りないのです。
少なくとも、ずっと伸ばしていると消えてしまうので何度も弾き直す必要があります。そのくらいは他の曲でもよく使う手ですが、今回はさらに思い切ったことをしました。
その持続低音をオクターブにするのです。
楽譜に書かれた音は低いソの音。そのオクターブ下のソは、バッハがこの曲を作ったときに所有していたチェンバロの音域を超えてしまいます。だから楽譜には書いてないのです。その証拠に、同じ曲集のハ短調のフーガでは、同じような最後の持続低音が最低音のドを伴ってオクターブでちゃんと楽譜に書かれています。
バッハが生きた時代のドイツは、ちょうどチェンバロの低音域がだんだん広がっていく時期でした。なので、バッハのチェンバロ曲でもパルティータの後半やゴルトベルク変奏曲にはこの低い低いソが出てきます。
楽譜にない音を弾くというのは、けっこう勇気の要ることです。まして今回のようにビデオにして公開するなら尚更です。でも、バッハだって低い低いソまであるチェンバロを所有してからは、きっとこの曲の最後の持続低音をオクターブで弾いたに違いない、と私は信じています。
信じているから弾きました。お聴き下さい。最後の低音のオクターブ、かっこいいでしょ?
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先生、間違っていたらごめんなさいですが、最後の左の音をG2G3でやるということでしょうか?
手元の譜2つ(schirmerと全音)をみたのですがいずれもそうなっているので、いまはそれが普通なのかなと。
https://vmirror.imslp.org/files/imglnks/usimg/b/bc/IMSLP457638-PMLP05948-Bach-WTC1msP202.pdf 古い版をIMSLPでみると51頁の下から3段目みたいにたしかにソは1音になっているのですが…
楽譜まで検討してくださって嬉しいです!
リンクを張ってくださった楽譜はバッハの自筆譜ですね。
今はバッハに限らず、できるだけ作曲家が書いたことに忠実な原典版を使うのが主流ですから、まず出発点としては作曲家の自筆譜に従うのが最良です。
その上で、作曲家自身や同時代の人々がおこなっただろうと考えられる追加を、時代考証に基づいておこなって演奏を仕上げるわけです。
いまだにピアノ界で使われ続けている古い楽譜の中には、バッハの時代の演奏習慣の研究が不十分だったこともあって、作曲家の意図とは全然違う追加がされているものも少なくありません。楽譜選びには注意が必要となります。
どこかでオクターブに代えて、あとの怠け者の人たちが原典にあたらずその有名な版だかを孫引きしちゃったのかもですね。むかしの譜から探すの、バッハみたくきれいな譜でもやっぱり結構むずかしいので、今回はみつかってよかったです。
そういうこと、すごく多いんです。
今はインターネットで作曲家の自筆譜や初版が無料で確認できるのに、いまだに19世紀に編集されたミスだらけの楽譜がまかりとおっているんです。
おはようございます。
主題の2回の七度の跳躍が印象的で、後半の様々な転調の妙が楽しめるフーガですが
最後の持続低音をオクターブにすることで、まさにパイプオルガンで、
ペダルの16フィートストップを使ったような壮麗な効果が上がっていると感じました。
七度跳躍が短調では減七になることまで気が付いてくださったのですね!
私は減七のときだけスタッカートをやめました。