季節はずれにならないうちに(写真付き)
「早くしないと秋が終わって冬になってしまう!」
慌てて私のお城「見附チェンバロスタジオ」の一角に飾ってある写真を差し替えました。私がまだ学生だった時に趣味で撮り集めた季節の自然や風景の写真を飾っているんです。小さくて、それに部屋の反対側がガラスに写り込んでよく分からないかもしれませんが、青空をバックに、黄葉と柿の実、三原色揃ってます。少し前まではいいお天気が続いて、こんな感じのカラフルな景色もあちこちで見られましたが、急に雨っぽくなったし、気温も下がるって言うから、季節はずれにならないうちに飾らないと!
春は季節先取りで早め早めに写真を差し替えるんです。それが秋はなぜか遅れますね。いつまでも暖かい季節を見ていたいからなのでしょうか?
右側にある楽譜の額は、バッハのシンフォニア第10番の自筆譜をダウンロードしてプリントしたものです。スタジオの中にはこんな楽譜の額もあと4枚飾ってありますが、こちらは季節は関係ないので同じ曲が飾りっぱなしです。そういえば、バッハのチェンバロ音楽には季節を扱ったものがありません。季節どころか、自然を扱った曲すら一つもないんです。それどころか、バッハの場合は特定の何かを表現した「標題音楽」自体が数曲の例外しかありません。やっぱり私は日本人だからでしょうか、音楽で季節感が得られないなら、何かそれに代わるもので季節を感じていたいと思うんです。
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八百板先生
おはようございます。
素敵な写真ですね!
こんなに沢山
実がついて
後ろには、これまた
真っ青な空!
これは
横国近くの空ですか?
先生の趣味は
まだまだありそうですね!
自筆譜シンフォニア第10番の額も
お洒落です♪
四季を愛する日本人ですね。
独特の感性‥
どう表現されるかは
その人にもよりますが‥
ありがとうございます!
写真を趣味にしていた学生時代は特に田舎に憧れていましたから、週末になるといつもカメラ片手に田舎にかよったものです。この写真をどこで撮ったかは忘れてしまいましたが。
バロック音楽で季節を扱った曲というと、ヴィヴァルディの「四季」が有名ですが
言われてみるとバッハの器楽曲には、季節を扱った曲がありませんね。
南ドイツ人だったバッハが季節の移ろいに無関心だったわけではなくて、
季節ごとに変わる太陽、星座、雨、風、大地、生きとし生けるもの、
それらすべてを創造した永遠にして不変の、神の栄光は何よりも偉大であり
それを賛美するために音楽を書くことが、バッハにとっては
人生を捧げる意義のあることだったのでしょう。
コメントありがとうございます。
ヨーロッパの人々が今よりずっと信心深かったバッハのころは、おっしゃるように全ては神様を讃えることにつながったのでしょう。
同じ時代でもフランス音楽には自然の描写もわりとありますが、どうもその観察眼が大雑把な気がします。日本古来の短歌や俳句の豊かさと比べるとそう思ってしまうのです。
チェンバロの蓋の裏に神を讃える格言をラテン語で書く一方で
チェンバロの響板に草花の絵を描いていた、というのも
ヨーロッパ人の、宗教と自然に対する感性を表しているようですね。
日本だと……木目を活かすためでしょうか、楽器に絵を描くことはあまりしないような気がします。
同じバロック時代の楽器でも、絵が描かれるのはチェンバロだけといってもいいようです。他の楽器は木目を生かしていますから。おそらくチェンバロは、持ち主である貴族にとっては楽器であるより先に家具だったのではないかと思います。
とても素敵な写真の撮り方!
鈴なりの柿の実がバッハの楽譜をじっと見ているような?
そしていつも先生の弾かれるチェンバロを聴いているのですね。
きっと柿の実は黙って聴いていても、拍手をしたりうなずいたりしていると思います。
とても詩的な表現!
「柿の実がバッハの楽譜を見ている」とか
「柿の実がチェンバロを聴いている」とか。
私も詩に親しんで感受性を高めようと思います。