世界にたった一本のフルート?(後編)

今回のバッハのフルートソナタ全曲コンサートでは、浅利さんは「世界にたった一本かもしれない」という大変貴重なフルートを使ってくれることになりました。先日のインタビューの続きです。

八百板

作られてから130年も誰にも吹かれずにフランスのお城の塔に隠されていたという、今回演奏に使う名器ルイ・ロットは、木管でもキィは薄く作られているんですね? そのことによる音や演奏への影響はいかがですか?

浅利

キィに関しては作り手の意見を聞かないとですが、操作性は優れています。なぜ、これが継承されないのか不思議に思います。職人泣かせの技術だと思います。ルイ・ロットを直せる人は世界に何人いるのかな? と考えてしまいます。日本には信頼出来るのは一人だけです。

八百板

ルイ・ロットは吹きにくいのですか? えてして名器と呼ばれるものは普通の人の手に負えないものですけれど。

浅利

ルイ・ロットは歌口の穴がとても小さく、また今の楽器のような音が大きく鳴ったり、どんな息でも綺麗な音が出るような施しはされていません。その楽器に対しての知識と、無駄な息を無くし(息を少なく焦点を絞ること)、無駄な動作を無くさないとルイ・ロットは素直に音を出してくれないです。体の調子によってフルートの音が左右されます。

八百板

さすが名器! 奏者の技量が試されますね。

浅利

イギリスで恩師ウイリアム・ベネット先生には「全ての音をベタに鳴らしすぎだ!」とこっぴどく注意されました。そのうち、弱拍(2拍目の裏や4拍目の裏)は音を殺せと言われたのです。でも、すぐには出来ませんでした。私がその当時持っていたフルートはとても性能が良く、全ての音が鳴ったからです。そして、イギリス室内管弦楽団でベネット先生の隣に乗る機会があり、先生の音の抜き方の余りの美しさにフルートを落としそうになりました。

八百板

「全ての音を良く鳴らしては音楽が美しくならない」とは奥が深いですね。ところで、私が知っている浅利さんはバッハをいつもルイ・ロットで吹いていますが、楽器とバッハの音楽との相性が合うんですか?

浅利

そうですね~~気がついてみたら、バッハをルイ・ロットで演奏する回数は以前に比べたら多くなったと思います。

キザな言い方ですが木製のルイ・ロットは何処かパイプの煙のような、音に良い薫りがするような気がしています。パイプをくゆらせたことはありませんが、あのパイプの煙りから醸し出されるる何ともいえない薫りがバッハの曲には合っていると思っています。

木製ルイ・ロットの木目を眺めていると経年変化によってくすんだ箇所と造られた当時のまま艶が残っている箇所があるんです。それは使い古された道具のように美しい個性になっていて、一つ一つのヴァイオリンがそれぞれの音色を持っているのと同じに木管フルートもなんです。そして、その木目の艶の経年変化は、まるで囲炉裏の煙りで燻されたかのような色の変化をしていて、フルートに口をつけるとそこから漂う木の薫りは音にも作用している気がしています。

八百板

私と出会う以前にチェンバロとバッハを演奏する機会はありましたか? 納得いく演奏はできましたか?

浅利

イギリスで、幾人かのチェンバリストと演奏しました。国籍も違い、中々言語のコミュニケーションに難しい面もありました。そして、話す言語や宗教心によって、それぞれバッハのとらえ方が違っていて面食らったところもありましたが良い経験をしました。

特に西洋の中でも、地域によって宗教心は、深層心理の中だったり日常生活の中に常に神を感じていて、人によっては非常に厳格にバッハを演奏すべきとアドバイスされ、また他の人からはもっと革新的に演奏しても良いとアドバイスを受けたりしました。そして、ある先生からはレッスンで、「楽譜上では合っている。ところで君はいったい何の宗教を信じているのだ?」と質問され回答に苦慮しました。というのは、向こうでは無神論者は批判される対象になるからです。

八百板

浅利さんの中でバッハの占める位置というか、意味というか、他の作曲家と比べていかがですか?

浅利

私に占めるバッハの曲は全ての音楽に対する啓示だと思います。例えば、現代曲を演奏する時も、バッハの音楽からインスピレーションを得てそれを現代曲に引用しています。後世の作曲家がバッハの作品を書き写し作曲法を学んだように全てがバッハに繋がると考えています。

実際、私はバッハの無伴奏フルートパルティータを一日の始まりのウォーミングアップにしています。それを言うと皆さん「重くないですか?」と質問されるのですが、自分にとって禅の世界とでも申しましょうか、無になれるのです。無になることで、先ほどの宗教の話と繋がるのですが、音は放たれた瞬間消える儚さ。アルマンドの反復的な音の羅列からの光の変化。サラバンドの無常感。これらは、西洋で生活してみて逆に日本人としての感性「わびさび」を自分なりにバッハの作品群から受け取りました。

八百板

今回バッハのフルートソナタを全曲演奏しますが、浅利さんはどんなことを期待していますか?

浅利

今、私は57歳です。この57歳で出来るバッハはなんぞやと考えて演奏会に臨みます。それは今まで経験して来たものであり、これから更にどのようなバッハを演奏出来るようになるのか? と通過点です。

それからこれは誤解を恐れずに言いますが、他人に言われたり、教えられたりで演奏をこうやらなければいけないという考えには、私は疑問を持っています。演奏の解釈は独り部屋の中で譜面に向かってすべきことなのです。我々日本人には西洋の方々のような伝統を重んじての演奏は出来ないと思うのです。その伝統的な演奏を聴いて、それなりの解釈をして自分自身がこうあると理解した上での演奏であるべきと考えています。

音楽は全てにおいていろんな試みをすべきで、伝統は革新されるから守られるのだと思います。私の恩師、ウイリアム・ベネットは、「バッハは今も生きている。バッハはジャズだ! チャールストンだ!」とソナタのフレーズを歌いながら踊ってみせてくれます。それは私の身体の中に浸透しています。そして、その浸透したものが今回の演奏会で更に変化することを期待しています。

八百板

興味深いお話をたくさんありがとうございました。素晴らしい楽器ルイ・ロット、深い考えをお持ちの浅利さん、バッハ全曲、という得がたい機会に、私も悔いを残すことなくベストを尽くして臨みます。

 

追伸:
コンサートの詳細はこちらをご覧下さい。 世界に一本かもしれない名器を、あなたもご一緒に堪能しましょう。

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