失敗していい
専門家とは、非常に狭い分野で、ありとあらゆる失敗を重ねてきた人間のことだ。
ニールス・ボーア(物理学者)
ああ、慰められますね。私だって、思い出したくもないような失敗を山のようにしてきました。どれも「もう二度と同じ事はしたくない」と思えばこそ、それまでのやり方を根本的に改めようという決心も付くんですね。
今ではさすがに演奏の途中で止まってしまうことは無くなりましたが、最後にこれをやったのは・・・。記録を調べたら出てきました。2011年1月20日です。お客様が十数人というアットホームなコンサートで、もう逃げも隠れもできない状況です。お互いにとても気まずい雰囲気になってしまいました。
演奏の途中で止まってしまう、というのは、やってはいけない失敗の中でも最たるものです。だって、明らかに練習不足が原因なのがバレバレなんです。もっとも、すごい上がり症の人なら練習を積んでも緊張で止まってしまうかもしれませんが、私は練習さえきちんとしてあれば緊張はしません。
でもこの日は、会場に着いた時点で自分でも浮き足立っているのが分かりました。だって、練習でも一度もちゃんと弾けてないんです。その前の数日間は練習していても気もそぞろです。「本番まであと2日しかないのに、まだ全然弾けない。どうしよう・・・」という言葉ばかりが頭の中に鳴り続けて、練習で自分が弾いている音もまともに聞けない状態です。今にして思えば、こんな練習は事実上何もしていないのと同じです。
このときの失敗は、「そろそろ行き当たりばったりの練習で本番に臨むのはやめなさい」という天の導きだったんだと思います。この日のお客様には申し訳ないと思う一方で、私が生まれ変わるきっかけにお付き合いいただいたことに感謝もしています。
おかげで今では、どんな曲にもある程度の「練習期間」というものが必要なんだということが、私の中で当たり前になっています。数日にまとめて長時間練習したって、時間は稼げても期間が足りないのです。人間の脳は一晩寝ることで記憶を定着させるから、という理由も知りました。
確かその頃からだったと思いますが、本番に向けての練習計画表を作るようになりました。毎日の練習結果も記入し、このままのペースで間に合うのか、または他の用事を延期するなり断るなりして練習時間を作る必要があるのかどうかを日々チェックするようになりました。
誰の言葉だったか思い出せないのですが、「計画とは、作った計画自体にはそれほど意味がない。物事は計画どおりには進まないものだから。それより、計画を立てる過程で、あらゆることを検討する、そのプロセスに意味がある。」というのです。素晴らしい言葉だと思います。
この言葉を知ってから、私も練習計画表を作る気持ちが楽になりました。計画は毎日臨機応変に変更を加えていいんですから。目的はコンサートを成功させることであって、練習計画どおりに練習することではないんですから。
この言葉を知るまでは、私は「きちんと守れるか分からないのに練習計画表を作ると、計画を守らないという悪いことをする状況を自分自身で作ってしまうのだから、今回だけは作るのをやめよう」と、計画作りから何度も何度も逃げ出していました。そしてその都度、痛い目にあってきました。
今ではもっと自分に寛容になりました。失敗したっていいんですね。その失敗から何かを学んで成長しさえすれば、失敗したっていいんですね。
追伸
世の中には、失敗を恐れるあまりに、大切な夢の実現に向けての一歩を踏み出さないまま一生を終えてしまう人がとても多いのです。あなたはいかがですか? 何か大切な夢をあきらめかけていませんか?
夢をあきらめないでください。どうすれば失敗を恐れずに一歩を踏み出せばいいのか分からないのでしたら、私にぜひお手伝いをさせてください。私の「音楽活動コンサルティング」で無料電話相談を承っています。無料電話相談を受けたからといって、コンサルティングの契約をしなければならないという義務はありませんのでご安心下さい。
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おはようございます。
ずっと前のブログの記事に、こう書かれていましたね。
「今や私たちは、音楽の殆どを録音で聴きます。録音だと些細なミスがやたらと気になります。だからその感覚で、コンサートで演奏するときにミスを恐れて弾きたい曲を諦めたり、演奏活動自体が怖くて始められない、といった話もよく聞きます。」
失敗を恐れるあまり萎縮して何もできなくなってしまうのは味気ないです。
失敗を機に「それまでのやり方を根本的に改めようという決心」をつけ、
改善、向上につなげていく、その心構えが大切だと思います。
ずいぶん前のブログを覚えていてくださるんですね。嬉しいです。
恐れによって動けなくなるのは、自己防衛本能なので仕方ない面はあります。
なので、恐れているのに動こうとするのではなく、
恐れないように考え方を工夫するのがポイントですね。
記事の内容にとても助けられました。アマチュア時代、音大時代を通して「練習のどのフェーズでどんな内容のものをどの位の期間やって、演奏会に臨んだらいいのか」を分からないままにやっていました。特に音大時代は、ソロ曲を1ヶ月に一曲発表しなくてはならず、その他にも常に10曲以上持っている状態が続いたので、混乱する事が多かったです。当然、おさらい会ではいつも技術的にも音楽的にも満足できませんでした。
3回生の時に大きな出会いがあり、レパートリーを受け取ってから演奏会までのステップが見えるようになりました。
今、本などの助けもあり、自分の音楽の創造の過程を計画的に進めることができるようになってきました。まだまだ失敗もあるかもしれませんが、前向きな姿勢で進めていきたいと記事を読んで励まされました。
嬉しいコメントをありがとうございます。
でも、ご自分で本を読むなどして解決されたのですね。素晴らしいです!
『失敗をしていい』とは正に金言ですね!
よく恩師から演奏会前に
「リスクを背負え!」
と肩を叩かれましたことを思い出しました。
間違っても良いから積極的な演奏をしろと叱咤激励されていたのです。
練習の時、間違ってしまうと焦ってしまう。
それは、今思えば危ない練習方法だったのですよね。
今回の八百板さんのブログはタイムリーで、6月7月にかけての演奏会のプログラムがとても重くて逃げたしたい気持ちだったのです。
更に悪いことに喉の調子が悪く練習が出来ない日が4日も続いてしまいました。
先方からは曲目の確認と新たな依頼~~(*_*)
今日、喉の調子が幾分良くなったので試運転状態での練習に踏み切りました。
でも、計画をたてないのは良いですね!
出来ないことに対して罪悪感を感じてしまう。
昔、アニメで「慌てない、慌てない、一休み、一休み」の言葉に子供ながら感銘し、その言葉を唱えていたのに、いつの間にか忘れてました。
細切れ練習で、間違えない練習。
そして、演奏会では積極的な演奏を目指そうと思います。
コメントありがとうございます。
新潟屈指のフルートの名手ならではの重みのあるコメントですね!
じゅうぶん練習を積んだ後に失敗のリスクを取るのは音楽家として素晴らしい姿勢です。
これは私ももっと挑戦したいです。
反対に、かつての私のは練習の必要量を見誤って手遅れになるという格好悪い失敗です。
これはもう二度としたくありませんね。
差し出がましいかもしれませんが。
管楽器奏者の方が、喉を痛めてしまわれると大変ですね。
八百板さんの著書に、
「限りなく遅いテンポで、絶対に間違えなくなるまで練習する。
そのテンポで絶対に間違えなくなったら、少しだけテンポを上げる」
というようなことが書かれていたと思います。
あ、でも、管楽器の場合、「限りなく遅いと、息が続かない」
という問題があるでしょうか?
浅利さんは私の本を買って下さって、お弟子さんにも紹介して下さっています。私が書いたことはよく理解していらっしゃるんですよ。「忘れていた」というのはきっとご謙遜でしょう。ありがたいことです。
この記事を読んで日誌を開いてみました。
2011年1月20日(木)「先生の演奏会があるけれど行かなかった。その代わりに・・・」と書いてありました。この時のパンフに6つだけ〇がついていました。
今思うとみんな行けば良かったのにです。
音楽会に行ってもに私はそのメロディーをあまり覚えていません。聴いているときは感動したり、喜んでいたりしますが。もっと長く記憶出来るといいのにといつも思っています。
昔高校生のとき、礼法室という畳敷きの大広間で箏の演奏をきいたことがありました。観客は10人いたかいないかくらい。曲目も演奏された方のお名前も覚えていません。ただ終わった時、演奏者の女の方が「音楽は消え去るから尊いのです」と言われたのだけ記憶にあります。多分その言葉が不思議に思えたのだからでしょうか。今でもよくわからないでいます。
それと関連して思いだすのは「金の王子様」のお話。全身が金で覆われている美しい王子様が、その金をはいで燕が貧しい人の家に運びます。最後は誰も見上げる人がいなくなってしまう。神様は燕に「この世で一番美しいものを運んで来てくれ」とその鉛の塊になったものを運ばせるというお話。
演奏会で音楽家の方が失敗されたら、その音を取り戻すことはできないけれど何故かこの2つを思いだします。
ご丁寧なコメントをありがとうございます。
「音楽は消え去るから尊い」というのは私も同感です。
これについて書き始めると長くなるので、
この題材でブログを書くことにします。
つばめと王子様の話はオスカーワイルドの「幸福の王子様」という物語でした。だいぶ記憶違いや忘れていたことがわかりました。多分読んだのは何十年も前だったと思います。
先生が新しいブログを書かれました。ありがとうございます。
一人の物理学者の方の言葉・・確かに慰め、励ましとなりました。紹介してくださり、ありがとうございました。ただ、八百板先生の文章を読み進めていくうちに、やっぱり自分はまだまだだなあ、とも思いました。でもさらに自分は(自分の)人生の専門家になれば良いのかしらん・・とも考えてみました。(この年になっても(;´д`))心定まらず歩んでいる私です。他の方のコメントにも勇気づけられたり、それに対する八百板先生のメッセージの中にも同感したり・・で、皆様どうか(私も含め)、お体に気をつけて、これからもまたよろしくお願いいたします。
(゜))<<。
コメントありがとうございます。
専門家という言葉を、職業としてみないで対象を広げればいいんだと思います。
例えば所属する音楽団体で特定のパートを担当すれば、それはその音楽団体の中での専門家です。他の人にはわからない数々の失敗を乗り越えてこそ、そのパートを任せてもらえるようになります。家庭の中の役割だって専門家と言えるでしょうし。
家合さん!すばらしい言葉です!
「自分の人生の専門家」、目から鱗が落ちました。
この世の誰一人として、自分の人生を、他の人に代わってもらうことはできませんよね。
そして、誰もが無数の失敗を経て、自分だけの人生を築き上げていくのですから。
Y.M.様、返信を読ませて頂き、涙が出そうな気持になりました。ありがとうございます。(゜))<<。
八百板先生のブログにコメントを寄せられている方々の勢揃いのようで、皆さん、感心のあった内容だったのかな、と思わされました。
世の中がコロナ禍に突入する約一年前の文章ですが、2021年の今になってみると、個人的な仕事等の場面での失敗の事などに限らず、色々考えさせられます。
けさの某新聞の投書欄に、「コロナに感染しても謝らないで」との投書がありました。
感染した方々に、「すみません」と謝罪させてしまうような、周囲や世の中の「失敗や「まわりの迷惑になる」と考えられている事」を許さない、不寛容な雰囲気によって追い詰められる。
また、オリンピックで、惜しくも敗退した選手が、インタビューで、「メダルが取れなくて申し訳ありません」という言葉を発してしまう。
(国の威信を背負わされている選手の方々のプレッシャー!)
誰でも、意図せず失敗してしまうことがある、自分だってそう、だから、寛容になることが大事、と肝に命じなければ、と思います。
ありがとうございます。
一人一人が寛容になることを心がけて、少しずつでも世の中全体が寛容になっていくといいですね。