身につける技術は生涯の財産
じつは今頃になってやっと年賀状を書き終えたのです。ここ数年ずっとこんな感じです。早々に私宛の年賀状を投函下さった方々には「ごめんなさい」と言うしかありません。
そのかわり、というほどのこともありませんが、私は毎年100枚近くの年賀状の宛名を全部手書きします。プリンタで印刷すれば楽なのは分かっていますが、一年前に頂いた年賀状をまた見直しながら宛名を手書きすることだけはこれからも続けます。
子供のころからずっと、自分が書く字の汚さに嫌気がさしていた私は、毎年この時期になると「あーあ、字がきれいだったらなあ」と思い続けたものでした。
確か25歳くらいの時だったと思います。 一念発起してボールペン習字の通信講座を受講しました。教科書どおりの模範的な楷書を書けるようになって、その時から年賀状の宛名を書くのが楽しみになったのを覚えています。
今51歳ですから、私は自分の人生の半分以上を、通信講座で習ったような字を書ける男として過ごしてきたことになるんですね。習ってからこんなに年月が過ぎれば、もちろん習った当初の教科書どおりの模範的な字からは相当崩れています。そのかわり、習いたての頃にはちょっと気を抜くと汚い字に戻ったりしましたが、今では意識しなくても当たり前になっています。
身につければ生涯の財産になる技術といえば、楽器演奏もそうですよね。西田敏行の歌に「もしもピアノが弾けたなら」というのがありました。そう、鍵盤楽器が弾けるっていうのは、大いに誇りに思っていいことです。今これを読んでくださっているあなたなら、ピアノでただ流行歌に簡単な和音をつける程度ではなくて、バッハが弾けたりもするのではありませんか? それは世の中の基準からすれば賞賛に値するすごいことですよ。
でも私はこれを職業にしているのですから弾けて当たり前です。私のすることで賞賛に値することがあるとしたら、ごく普通の人でも一念発起して鍵盤楽器でバッハ(にこだわらなくてもいいのですが、まあ象徴としてバッハ)を弾けるように、それも他のどんなピアノ教室で習うよりも素晴らしく幸せに弾けるように力をお貸しすることです。
幸いにしてあなたが新潟県にお住まいなら、私の愛用のチェンバロを使って、あなたもバッハを素晴らしく幸せに弾けるように私にお手伝いさせてください。新潟県外にお住まいの方にも、私の分身としての音楽教材を来年はもっともっとお届けして、私が今までに知りえたノウハウを余すところなくお伝えします。
今あなたがバッハを素晴らしく幸せに弾ける人になれば、残りの生涯はずっと「バッハを素晴らしく幸せに弾ける人」として過ごすことができるのです。早ければ早いほど幸せでしょう? 来年の抱負の一つに加えませんか?
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この記事が公開されてすぐコメントさせていただいたと思ったのに、なぜか表示されなかったので。
「生き方の指針」カテゴリーの記事は、どれを読んでも八百板さんの前向きの姿勢が伺われます。
私も、楽器演奏はすぐにはできなくても、生涯の財産となる技術を身に付けたいです。
人生80年時代、手習いを始めるのに、遅すぎることはないですよね。
Y.M.さん、嬉しいコメントをありがとうございます!
「生き方の指針」カテゴリーの記事は、自分を戒めるために書いているようなところがあります。文章にして公開すれば、私自身がそれを守っていこうという気持になりますからね。
Y.M.さんだって、もし音楽が大好きなら、安物の中古のキーボードひとつ手に入れれば、数年のうちにバッハを弾けるようにだってなりますよ。