短調の中の長調、長調の中の短調

雪国らしい、天気が変わりやすい季節になりましたね。

雪国にお住まいでない方のために説明すると、雪というのは(今の季節はまだ雨の日もありますが)一日中ずっと降っているのではありません。一日に何度も、突然すばらしい晴天になったりするんです。冬型の気圧配置のときに日本海で発生する雪雲は積乱雲です。つまり真夏の入道雲と同じです。なので、霰や霙が雷とともに激しく降ったと思ったら、突然晴れたりします。かなり劇的です。雪国の冬というと暗くてジメジメしたイメージがあるかもしれませんが、違うんです。

かつて私は横浜に住んでいた時期があります。太平洋側の冬は天気の変化が少ないですよね。毎日晴れ。来る日も来る日も晴れ。その頃は冬とはそういうものだと思っていましたけれど。

雪国の冬の天気は音楽にも通じる深いものがあると思います。

短調の曲を注意して聞いてみると分かりますが、ほとんどすべての短調の曲は途中で長調の部分があります。作曲家は気まぐれでそんなことをするのではなく、素晴らしい効果を生むために、しかるべき所にこれを仕込みます。悲しみの中に、ふと幸せだったときのことを思い出すとか、一時にせよ希望を見出すとか、そういう意味付けをしたくなります。

今日はチェンバロ教室のレッスンで、大人の生徒さんが練習しているヘンデルのメヌエット(ヘ長調 HWV520)にこの逆が出てきました。前半8小節、後半16小節の短い曲で、後半の前半分がニ短調に転調します。明るく伸びやかな曲なのに、そこだけ物悲しい気分。短い曲ですが、この転調によって音楽に深みが与えられます。

この生徒さんが前に練習していたメヌエットはもっと短く、後半も8小節でしたが、その曲は短調に転調せずに終わっていました。つまり、二部形式の後半が長いというのは、短調に行ってから長調に戻ってくるのに必要なことなんですね。

この生徒さんは「前の曲に比べて、今度の曲は途中で短調になるのがとても味わいがあっていいですよね」と感想を聞かせてくれました。ご自分で弾くとなったら、長調の前半だけとか、短調になる後半の前半分だけとか、短い部分に区切ってじっくり練習することになります。音楽を聞いて楽しむだけの人よりも、同じ曲からも深いものを感じることができるでしょう。これって、楽器を弾く人の特権だと思うんです。特に鍵盤楽器なら、自分の中だけで和声も完結しますから、長調や短調といったことへの感受性は他の楽器よりずっと高まるのです。

 

追伸:
自分もチェンバロを弾けるようになったらいいな、と思いませんか? チェンバロ教室のページも覗いてみていただけると嬉しいです。

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