渾身のヴァイオリン(写真付き)
渾身のヴァイオリンでした!
バッハのヴァイオリン独奏曲全15曲を1年かけて4回シリーズで制覇しようという、とんでもない企画が始まりました。じつは、企画に携わる私にとって、大きな賭けでもあったんです。よほど勉強熱心な人を対象にした講習会ならともかく、こんなにエンターテインメント性の少ない真面目なコンサートが成立するんだろうか? お客様は集まってくださるだろうか?
でも今回はヴァイオリンの風岡さんの音楽人生の総決算という位置付けに撤することにしました。選曲も真面目、チラシも真面目。せめて曲の順番だけはお客様の聴きやすさを考えて工夫をしました(1曲目は豊かな和音に満ちた通奏低音付きの曲、途中に無伴奏ヴァイオリン曲、最後に再びチェンバロが一緒になって華やかに終わる構成)。蓋を開けてみれば満席で、急きょ座席を追加したほどでした。
ヴァイオリンと通奏低音のための作品が中でも一番くつろいで作曲されていて、演奏する側も伸びやかに演奏できたと思います。お客様にとっても、コンサートのオープニングとして、自然にバロック音楽の世界に入ってこられたでしょうか。
これに対して、ヴァイオリンとチェンバロ(右手が即興の和音ではなく、バッハによってしっかり作曲されている)のためのソナタになると、本来ならもう一人ヴァイオリンが必要なところをバッハ特有の「そぎ落とし」をした結果なので、演奏する私たちにも集中力が必要です。
その行き着くところが無伴奏ヴァイオリン曲ですね。ヴァイオリン一人で旋律も伴奏も全部同時に弾く。それどころかヴァイオリン一人でフーガまで弾く。大変な集中力を要するということは今までも知識としては知っていましたが。今回は同じ舞台に立つ立場でそれを実感しました。無伴奏曲の演奏中は私は舞台袖で音だけ聴いていたのですが、ヴァイオリンの音が大きいことといったら! 実際に全部フォルテで弾いたわけではなく、演奏に引き込まれてそう聞こえたのでしょう。70年近い人生をかけた渾身の演奏でした。
いつもなら、バロック音楽のコンサートを企画すると、チェンバロの私だけがプログラムの始めから終わりまで弾きっぱなしなのですが、今回は全く逆です。私の出番は4曲中の始めと最後だけ。風岡さんは途中2曲の無伴奏を含む全曲を弾きっぱなしです。だから私としてはいつもより疲れないはずなのに、でもどこかでいろいろ気を使っていたのか、本番が終わった夜はなんと12時間も寝てしまいましたよ。
風岡さんはこの日、夕食を取らずに夜の本番を迎えました。お昼にしっかり食べたから本番前は食べなくていいというのです。若い頃は大切な本番の日は朝から何も食べなかったともおっしゃっています。本番中にハングリーなほうが良い演奏ができるからだそうですが、私は絶対ダメです!
私は、本番前にちゃんと食べて、幸せ感に満たされて、お客様にも幸せをプレゼントしようというスタイルです。たくさん食べたい言い訳だろうって? そうかもしれませんね。
風岡さんのスタイルは私と反対です。「ハングリー精神」というだけでなくて実際にお腹をすかせて、厳しく音楽に向かいます。聴き手はその演奏に接して、寛ぐのではなく、襟を正して引き締まる思いです。だからって、聴き手は冷たく突き放されるのではありません。狭い空間での生のコンサートという特殊な場でしか伝えられない、音楽の真剣さや厳しさを教えられます。そしてコンサートが終わって、「音楽を分かち合える幸せ」という言葉の意味を今まで以上に深く考え直すことになるのです。
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