(この文章は私の旧サイトに2001年5月に掲載したものを転載しました。今読み返すと、若気の至りで偉そうなことを言いながら的外れなことも多々ありますが、それも全部含めて私を知っていただける材料としてお読み下さい。)

はじめに

2001年4月21日~22日に山梨県甲府市で行われた第15回古楽コンクールのチェンバロ部門に出場しました。前回2年前(1999年)に初めて出場した時には全く歯が立たずに予選落ちでしたが、それを契機に楽器も新調して臨んだ今回は目標としていた本選出場を果たす事ができました。ここに準備段階からコンクール終了後までの様子をレポートします。

古楽コンクールとは

今回で15回目となるこのコンクールは、古楽(20世紀までの間に現代的に改良された一般の西洋楽器ではなく、特にルネサンスやバロック等の古い時代に使われていた楽器やその複製を用いて、曲が作られた当時の様式に立ち戻って演奏すること)に関する日本で唯一のコンクールです。過去の受賞者の多くが日本の古楽界をリードする優秀な演奏家となっており、実績と権威のあるコンクールです。

毎年4月に山梨県甲府市で行われ、旋律楽器および声楽の部門とチェンバロ部門とが1年ごとに交代し、今年は2年ぶりのチェンバロ部門が行われました。

要項の発表

募集要項が前年の11月に発表になりました。本番まで5ヶ月というのは一見すると長いようですが、滅多に演奏されることの無い曲は海外に楽譜を発注して何ヶ月も待たなければなりませんし、コンクールで試されるのは「いかに指が動くか」ではなく「いかに国と時代ごとの様式を理解し実践できるか」が重視されると思われ、一度も勉強したことのない国および時代様式の曲を5ヶ月間でものにするのは困難ですから、実際には要項が発表になった時点ですでに結果のかなりの部分は決まっているともいえるものです。今回の課題曲も150年にわたるチェンバロ音楽の広い範囲から選ばれていました。

課題曲は以下のとおりです。

G.ド・マック:ガリアルダ第2番と
G.M.トラバーチ:カンツォーネ・フランチェーゼ第1番(1603年)
M.ヴェックマン:任意のトッカータとカンツォーネを各1曲
J.K.ケルル:パッサカリア ニ短調
D.ブクステフーデ:パルティータ ”Auf meinen lieben Gott”(BuxWV 179)
H.パーセル:グラウンド ト長調(Z645)
J.S.バッハ:シンフォニーア第5番、第9番、第14番のうち2曲を選択
任意のフランスの作品を12分程度にまとめる(チェンバロ課題)か
J.S.バッハの任意の作品を12分程度にまとめる(オルガン課題)のいずれかを選択
自由課題10分程度
パルティメント(本選):5分程度[4月20日にコンクール会場で発表]

 

選択課題で私が選んだ曲と予選前日に発表になったパルティメント課題は以下のとおりです。

トッカータ第2番、カンツォーネ第3番
シンフォニーア第9番、第14番
F.クープラン:プレリュード第2番、第2オルドルより(第2クーラント、カナリー、幸せな思い、蝶)
W.バード:The Barley-break(戦争ごっこ)
B.パスクィーニ:ソナタ ト短調 第1楽章

 

今回の特徴として、チェンバロ以外にも手鍵盤のみのオルガンも演奏手段として選択できるようになったことがあります。両者は全く別の楽器に思え、もちろんチェンバロならでは、オルガンならではという曲が多く書かれたのも事実ですが、一方でルネサンスからバロックの初期にはどちらで演奏しても美しく響くような作曲をすることが広く行われていたことと、その伝統がバッハなどのバロック後期に至っても残されていたことが最近では意識されるようになっています。

また、今回初めて登場した「パルティメント」とは、和声を表す数字付きの低音声部だけが書かれた楽譜を見ながら即興で独奏曲を演奏するもので、前回までの通奏低音課題に代わるものです。

それにしてもマイナーな曲が多いと思いませんか? CDで手に入らない曲も多く、他人の解釈を真似して切り抜けることなどできないようになっています。要綱が発表された時点で私の手元に楽譜があったのは半分以下で、残りはいつもお世話になっている楽譜屋さんに早速海外から取り寄せてもらうことにしました。楽譜を手に入れる際に全集をそろえるのが私の主義なので、このときの出費はかなりの高額になってしまいましたが、こんなことでもなければ買わなかっただろう人類の遺産が大量に手に入ったのは良いことです。

参考までに、これらの作曲家の生没年と活躍した国は以下のとおりです。

G.ド・マック 1550-1614 イタリア
G.M.トラバーチ 1575-1647 イタリア
M.ヴェックマン 1616-1674 ドイツ
J.K.ケルル 1627-1693 ドイツ
D.ブクステフーデ 1637-1707 ドイツ
H.パーセル 1658-1695 イギリス
J.S.バッハ 1685-1750 ドイツ
F.クープラン 1668-1733 フランス
W.バード 1543-1628 イギリス
B.パスクィーニ 1637-1710 イタリア

本番までの準備

2年に一度のコンクールですので全てに優先して準備を進め、万全の態勢で臨みました。と言いたいところなのですが、生活の心配をしないで勉強に専念できる学生の身分とは異なり、既に演奏家として一人で生活している身ではそういう贅沢は許されません。機械技術者の職を辞して3年、ようやく県内でもチェンバロ演奏家として認知され始めてあちこちから演奏の依頼を受けるようになったこの時期に、「コンクールの準備のために今後半年間は演奏お断りです」とは言えません。1月中旬からコンクールの前の週まで、週末に演奏の仕事が無かったのはたったの2回だけというスケジュールの中で、プログラム中に違和感の無いように数曲ずつコンクール課題曲を紛れ込ませて何とか準備しました。本番前にお客様に聴いていただくことによって練習だけでは見えなかったいろいろなことに気付くこともできましたが、えてしてコンクール課題曲などというものは演奏会でお客様の耳を楽しませるという目的には向かない曲が多いものです。「ではここでちょっと気分を変えて、すごく地味な曲をお送りしましょう。」とか何とか言って弾かせてもらいましたが、必ずしもベストとは言えないプログラムをお聴かせしてしまったお客様、ごめんなさい。

4月19日(予選2日前)

予選で使用する楽器の試奏とパルティメント課題の発表が予選前日(4月20日)にあります。私の試奏時間は夕方に割り当てられていたのでその日の朝出発しても間に合うのですが、新潟-山梨間の長距離をただただ一人寂しく高速を飛ばして移動するのもつまらないので、前日の夕方に家を出て一般道で行くことにしました。実は2年前のコンクールの時も、それに夏に山梨や長野などで行われる各種講習会などの時も同じ事をしています。道もよく分かっているし、途中に通る長野南部の松原湖というお気に入りの場所があって、そこの無料町営駐車場に夜中過ぎに着いて朝まで車中で寝て(布団や枕も積んであります)、午前中は湖の周りを散策したりボートに乗ったりして寛ぎ、山梨県に入ってからは野辺山高原で世界有数の電波望遠鏡を見学したりしながらのんびり行くと、午後の適当な時間に会場に着くことができるのです。

4月20日(予選前日)会場で

予選使用楽器の試奏に割り当てられた時間よりもだいぶ早く会場に着きました。今回応募した18人中、まだ数人しか来ていません。今回の目当ての一つは楽器展示会場に置かれて自由に弾ける30台近くものチェンバロで、人が少ないうちに着いて静かな環境で好きなように試奏しようと前々から予定していました。本選に進めばこれらの膨大な楽器の中から好きな楽器を選んで演奏できるのですが、逆にいえば本選ではふさわしい楽器を的確に選択したかどうかまで審査の対象になるかもしれません。「この楽器はあの曲に向く」「この楽器の音は魅力的だけど、自分の楽器とはタッチが違いすぎて本番のステージ上で表現しきれる自信はない」などと、結構真剣に試奏しました。

受付でパルティメント課題の楽譜と応募者名簿を受け取りました。「今年は男性は何人いるかな?」と見てみれば、何と私1人! 前回は4人いたのに。そういえば前回のコンクールの取材記事に「男性が4人も応募したことは特筆に価する」と書いてあったっけ? これは男性として責任重大だ、と勝手に気負ってしまった私ですが、日本中の音楽大学チェンバロ科の男女比率からいえばこんなものなのかも知れません。パルティメント課題は左手だけ書かれた楽譜がA4で1枚、パスクィーニ作曲のソナタの第1楽章と書かれています。パスクィーニは確かイタリアの音楽家で、バロックの中頃にコレッリらと一緒に仕事をしていた人のはずだ、ということまでは私の記憶の中にもありました。めでたく予選を通過すれば今から40時間後くらいに本選でこれに基づいて即興的に演奏することが求められますが、楽曲分析から始める必要のあるその準備は今夜の夜なべ仕事に回すことにして、はやる心を抑えて試奏に専念しました。

予選使用楽器の試奏は特別に設けられた部屋で1人当たり15分です。通して演奏すると1時間かかる課題曲のうち、明日の予選でどれを弾くことになるかはまだ発表されていません。楽器やストップ(音色を操作する仕掛け)の選択の大体の方針はここに来る前から決めてはいましたが、実際に与えられた楽器で弾いてみると予期していた音色と異なる部分も多く、あれこれ迷っているうちにあっという間に持ち時間を使い果たしてしまいました。

4月20日(予選前日)宿で

宿に帰ってからはパルティメントの準備です。曲の冒頭を見るとこの曲がフーガであることが分かります。左手だけの楽譜に和音を示す数字が付いているのを見ると、ついアンサンブルの通奏低音を弾く時のくせで右手が和音中心になりがちなのは一種の職業病かもしれませんが、「これはフーガである。その中でも比較的演奏効果に重きを置いたイタリアのフーガである」 と自分に言い聞かせて右手を作曲していきました。普通は作曲した結果をト音記号とヘ音記号の2段を使った大譜表に書き直すものなのかもしれませんが、私は大譜表を初見で演奏するのが苦手なので、通奏低音を弾く時と同様、渡された左手だけの楽譜の余白に右手の音の概略を文字で(ド=cなどと)書き込みました。(余談ですが、このように文字を使った記譜法はバロック時代に実際に広く使われており、バロック後期のバッハでさえ紙の余白が足りなくなってくると突然この省スペースな記譜法に切り替えたりしていたほどです。)

4月21日(予選)朝~出番前まで

予選の演奏順を決めるくじ引きと演奏曲目の発表が朝一番に行われました。予選で演奏するのは

①のトラバーチのカンツォーネまたは②のヴェックマンのカンツォーネ(各自で選択)
⑥の中から指定された1曲
⑦の中から指定された1曲

で、演奏時間にして12分程度です。 私が演奏するのはトラバーチのカンツォーネ、バッハのシンフォニーア第9番、クープランのプレリュードで、演奏の出番は午後4時前と決まりました。

楽器展示会場に行くと午前中に弾くことになった人たちが懸命に最後の追い込みの練習をしています。私が弾くのは6時間以上も後なので、そこはあくまで紳士的に(ただ一人の男性ですから)その人たちがあまり弾きたがらない空いている楽器を選んで練習するようにしたつもりです。

抽選から1時間ほどで予選の演奏が始まりました。この期に及んで練習ばかりするよりも他の人の演奏を聴いた方がいいと思った私は、途中の休憩と自分の出番直前以外はずっと客席にいました。前回2年前と比べて大きく異なったのは、他人の演奏を聴いても「何だか冴えない演奏が多いな」と感じたことです。もちろん、自分に自信を付けるために無意識に他人の演奏を低く評価する心理は働いたでしょうが、それでも「この人の演奏で他の課題曲も聴いてみたい」と感じたのは5人ほどでした。結果的にはその5人ほどの人たちがほぼ本選に出場することになるのですが。

午前中の6人の演奏を聴いて「これはもしかすると本選まで行けるかもしれない」と感じた私は、昼休みは予選の練習をやめてパルティメントの吟味に専念しました。やはり楽器が無い状況での作曲には限界があり、前夜に宿で作曲した右手はかなり書き直す羽目になりました。

4月21日(予選)出番~結果発表まで

午後3時半過ぎ、いよいよ私の出番です。この2年間で何十回もソロの演奏会をこなしたおかげで舞台度胸は付いたつもりでしたが、いつもは洒落も交えたトークで客席を和やかにしながら演奏するのに、今日は黙って出て黙って弾いて黙って帰ってくる上に、広すぎる会場に聴衆は審査員を含めて数十人という冷めた雰囲気。結構弾きにくかったです。いつもトークをしながら和やかになっていたのは客席だけではなく、むしろ上がり性の私自身だったのだということに気付かされました。

予選の演奏がすべて終わったあとは展示会場で楽器のデモンストレーションが行われました。その間に予選の審査が行われ、デモンストレーションの終了と同時に本選出場者と演奏曲目が発表されました。本選の演奏曲目は課題の⑦⑧⑨で、30分弱の分量です。そして問題の本選出場者は私を含めて6人!「やった!」と大声で喜びたかった私ですが、そこは紳士的に(落ちた人がたくさんいるのですから)冷静に振る舞おうと思うのですが、多くの楽器製作家の方々から「おめでとう」と言われれば、どうしても口元が緩んでしまいます しかし会場が閉められるまでの短い時間に本選で使う楽器を決め、製作家の方と調律などの相談もまとめた上で報告しなければならず、喜びに浸っている時間はありませんでした。

楽器選びで走りまわっている間に本選の演奏順がくじ引きで決められました。私は3番目、11時半頃の出番となりました。

4月22日(本選)朝~出番まで

出番は昼前なので何も朝一番に会場に来なくてもいいのですが、宿にいてもすることが無いので結局会場が開く前に着いてしまいました。本選で使われる楽器9台は前夜のうちにみなステージに移されていたので展示会場はだいぶ寂しくなりましたが、それでも本選に選んだ楽器と似た性格の楽器を選んで最後の追い込みの練習です。作曲はしたものの練習があまりできていないパルティメントに不安があったので、さすがに自分の演奏が終わるまでは人の演奏を聴きに行っている余裕はありませんでした。

いよいよ私の出番です。本選は聴衆も昨日よりずっとたくさん集まっています。課題⑦⑧⑨の演奏順は奏者に任されているので、直前までの練習の成果を手が忘れないうちにパルティメントを最初に弾きました。ミスタッチは無かったものの十分に心を込めて演奏したとは言えませんでしたが、左手だけの楽譜を渡されて40時間でここまで準備できればいい方だと自分に言い聞かせました。なお、他の演奏者はやはり大譜表に書き直して演奏していたようで、私が渡されたA4の紙一枚をペラッと譜面台において弾き出したことについて、「あれは本当に即興で演奏しているみたいで格好が良かった!」などと冷やかしてくれる人もいました。

最も得意とする自由課題のバードは最後に回して、次にクープランを弾きました。実はフランスの音楽はあまり得意ではないのです。指は他の国の音楽に比べてずっと簡単なものが多いのですが、元来理屈っぽい私にとってはフランスのエスプリとか雅とかはドイツの難解な対位法よりよっぽど難解です。頭で理解したつもりのことも心で分かっていないと本番で出せないもので、クープランの演奏中に「これで賞は逃したな」と悟りました。

となれば得意のバードは好き勝手に弾いて聴衆にバードの素晴らしさを教えてあげよう、と開き直った私は、いつにも増して誇張した表現でバードを楽しく楽しく演奏しました。

4月22日(本選)出番が終わって

午後からはやっと開放された気分で残りの人の演奏を聴きました。さすがに本選に残る人の演奏はどれも安心して聴けるものでしたが、2年前の本選を聴いたときのような「この人には絶対かなわない」といった無力感を覚えることはありませんでした。自分には真似できない部分がある一方で、自分の方が優れていると思える部分もあったのが、やはりこの2年間の成長の証と言えると思います。

本選の審査が行われている間に、去年のコンクールで入賞した声楽とリコーダーの人を中心としたコンサートがありました。コンサートが終わっても結果発表までに1時間もあり、展示されている楽譜やCDを見たりして時間を潰していましたが、楽器製作家の方など、会う人が結構「君の演奏は上位に入賞するよ」などと言うものですから、自分ではステージ上で既に賞は取り逃がしたと観念していたのに今ごろになって変な期待をさせられてしまいました。

夕方6時も過ぎてようやく表彰式が始まり審査結果が発表されましたが、私はやはり賞を取ることはできませんでした。

コンクール終了後、近くのホテルでパーティーが開かれました。本選出場者は結果に関わらず招待されます。結果発表までは審査員の先生方と出場者との会話は禁じられているのですが、終わってからは積極的に講評を仰ぎなさいというのが招待の理由だそうです。先生方の講評を総合すると、私の場合は知らなければいけない様式等の理解不足ということになるようです。つまらないミスなどは全く評価に影響を与えていないことも分かりました。つまりは今の自分が持っているものをほぼそのとおりに評価してもらえたということですが、前日の今ごろは本選出場の喜びで一杯だったのに、目標としていた本選にいざ出てみると賞を取れなかったことで落胆しています。人間とは欲深いものです。

パーティーが終わって、その日は横浜の親の家に泊まることにしていたので、夜の中央自動車道を一生懸命飛ばして夜中にたどり着きました。

4月23日、24日(本選翌日、翌々日)マスターコース

コンクールの関連イベントで、審査員としてフランスから招いたF.ランジュレ女史のマスターコース(公開レッスン)に参加を申し込んであったので、横浜の親の家から東京の会場まで2日間通いました。私は本選で演奏した苦手のクープランをそっくり見ていただきましたが、やっぱり知らないことがたくさんありすぎると認識させられました。

マスターコースが終わって、この機会にと東京や横浜で予定していた買物も済ませ、横浜を出発したのが夜の11時前。眠い目をこすり、何度も仮眠を取りながら深夜の関越自動車道を運転し、自宅に着いたのは翌朝の6時でした。

おわりに

音楽大学を出ず、海外留学もせず、しかもこの1年ほどは岡田龍之介師匠から「大体言うことは言ったから、あとは自分でやりなさい」と言われてコンクール課題曲もすべて独力で準備し、それで本選まで進むことができるならば音楽上の経歴が無いというコンプレックスを跳ね返すことができるだろう、と自分では今回のコンクールを位置付けていました。

結果としてその目標はほぼ達成しましたが、新たな課題も明らかになりました。数多くの本番で鍛えた度胸と、洒落たトークと、常に忘れぬ笑顔とでお客様を楽しませることと、世界的な奏者の目に適う確かな力を身に付けることとは、かなり別のものだということ、そしてその確かな力を身に付けるために、どうしても教わらなければ気付かないこともたくさんあるということです。

本選後のパーティー会場で、世界的なチェンバロ奏者である渡邊順生先生からレッスンに来るように誘われました。苦手な分野を残したままではプロとしてやっていけない、と助言をくださる方もいました。「2年後は必ず上位入賞をしなさい!」とハッパをかけてくださる方もいました。もちろん賞は欲しいですが、それ以上に思うのは、「賞を取るほどの知識と技量が備われば、いま疑問符だらけで演奏している曲も強い確信を持って、喜びに満ちて演奏できるようになるだろう」という期待感です。

平日の日中にやっていたアルバイトをやめて、これからは自由に時間の融通ができるようになります。今までになくじっくり勉強することもできますし、なかなか聴きに行くことのできなかった東京での演奏会などにも行きやすくなります。次回2年後は上位入賞、それもどうせなら今回・前回とチェンバロ部門に該当者無しだった1位を取ってみせよう、と今のうちしか言えない大言壮語を吐いて、本レポートの締めとさせていただきます。