オンライン・ビデオ教材「バッハ最愛の鍵盤楽器クラヴィコード」(新版)
~ バッハの教育用諸作品の本当の美しさを再発見 ~
3.バッハの時代の強弱に関する重要な規則
3.1 ヴォーカル・ピラミッド
この概念を一言で説明するとこうなります。
「イタリアとドイツでは、ルネサンスから19世紀半ばまで、低音は強く歌われ、高音は落ち着いて繊細かつ滑らかに歌われた。」
下が重く、上が軽いという意味でヴォーカル・ピラミッドというそうです。
こんにち、大抵の楽譜には強弱の指示がびっしり書き込まれるのが当たり前で、それに従ってさえいれば演奏者は強弱について悩むことはありません。ですが、時代が遡るにつれて作曲者による強弱の指示は少なくなりますね。そこで、少なくとも私のような鍵盤楽器奏者が受けた教育においては、楽譜に強弱の指示がないところであっても、「旋律が高音に向かって上昇するときにはクレッシェンド(だんだん大きく)、低音に向かって下降するならデクレッシェンド(だんだん小さく)だ」と、しつこく指導されたものでした。それは人間の本能的欲求とも合致しているようだし、疑ってみることもありませんでした。
それが全く逆だというのですから、私はショックだったのです!「今まで自分が受けてきた音楽教育は何だったのか?」「今まで自分は、歴史的事実と正反対の演奏を実践し続けていたのか?」
でも、以下のように歴史的に重要な音楽理論書においてことごとく同じことが指摘され続けてきた証拠を見せられては、もう迷っている場合ではありません。
美しくはっきりと歌うことを望むのならば、3つの発声方法を採用すべきだ。それは、朗々としたトランペットのような低音域、中庸の中音域、そして繊細な高音域であり、高音になればなるほど繊細になる。
Conrad von Zabern, De mode bene cantande, 1474.
大きな声を使うのはまず重い(低い)音である。高音は滑らかで細い声を使う。
Johannes Cochlaeus, In cantus choralis exercitium, ca. 1507.
高旋律を歌う歌手は柔らかく滑らかな声で歌うが、低音歌手は鋭く重い声である。中音域の声は調和された音であり、心地よく、外声部と巧みに合わせることができる。
Hermann Finck, Practica musica, 1556.
声部が上に行けば行くほど、落ち着いてやわらかに歌う。また低くなればなるほど、一層の力が必要となる。
Wolfgang Caspar Printz, Musica modulatoria vocalis, 1678.
音符が高ければ高いほど柔らかさをもってあつかい、叫ぶことはしない。
Pierfrancesco Tosi, Opinioni de Cantori Antichi e Moderni, 1723.
200年もの間用いられてきた優れた法則があることに感嘆すべきだ。それは、一つ一つの声部において、高音に行くほど、だんだんと、穏やかに、軽快に発声すべきであり、また低い音域では同様な法則で声は力強くなり、満たされ、活気があるように発声されるべきだ。
Johann Mattheson, Der volkommene Capellmeister, II, 1739.
自然な発声とは音楽によるが、低音域はヴィブラートをかけて、力で支える。また高音域は優しさを持ち、音色の釣り合いをはかる。生徒に対しては、全音域の発声を作り上げるには、優しさと釣り合いをもった十分な指導が必要である。
Giambattista Mancini, Riflessioni prattiche sul canto figurato, 3rd edition, 1777.
もし声楽の中に不平等さを求めるのならば、音が高くなるにつれて、中間の音よりも上品で繊細な声になるべきであり、低くなるにつれて、たっぷりと太い声になるべきだ。
Johann Adam Hiller, Anweisung zum musikalisch-richtigen Gesang, 1774.
もちろん、強弱を決める要因には他にも、1拍目かどうか、フレーズの始まりや終わりかどうか、シンコペーションなど特殊なリズムかどうか、「叫び」を表す音楽修辞学的音形か、歌詞の内容はどうか、など様々なことが絡み合ってくるので、音の高さだけで決まるものではありません。「高音は繊細に、低音は力強く」を原則とした上で、何か特別なことを訴えるためにその原則を破ることもたくさん出てくるでしょう。
考えてみれば、弦楽器は低音のほうが太い弦が張ってあるので大きな音が出せますね。オーボエなど管楽器も低音のほうが大きな音が出しやすいと思うのですがいかがでしょうか? オルガンは、パイプの設計次第で音域ごとの音量はかなり自由に作れるものなのに、やはり高音ほど音量は小さく、低音は力強く作られています。新潟県見附市にある私のスタジオにショパン存命中に作られたピアノ(プレイエル1848年製)がありますが、このピアノの高音域は本当に小さな音しか出せないのに対して、低音域は雷のような音が出せます。楽器の特性として「高音は繊細に、低音は力強く」は自然なことのように思えてきます。
私が知っている楽器の中ではリコーダーが例外で、とにかく低音は小さな音しか出なくてイライラすることも多かったです。ですが、博物館に残されている歴史的なリコーダーを忠実に復元すると、ちゃんと低音が大きな音で鳴るのだそうです。これなどは、現代人の好みで楽器の理念が曲げられてしまった例で、「楽器から学ぶ」ということも気をつけないといけないと思った次第です。
もう一つ、イタリア語の発音でも似たようなことがあります。「イタリアーノ」という単語を辞書で引くと「アー」にアクセントが付いています。ところが、イタリア語入門書に付属のCDでイタリア人の発音を聴くと、「イタリ」を繊細な高い声で、「アー」を力強い低い声で、「ノ」を繊細な高い声で発音しているのです! 「フィレンツェ」も同様に、辞書でアクセント記号のある「レン」を低い声で発音していました。
3.2 メッサ・ディ・ヴォーチェ
「メッサ・ディ・ヴォーチェ messa di voce」とは、音の強弱に関するバロック時代特有の演奏表現です。
長い音符を持続するにあたって最初はクレッシェンドし、それから再度デクレッシェンドすることに熟練すると、その効果は歌唱全体にひろまる。なぜなら、ある程度の長さをもつ音符はすべて、クレッシェンドとデクレッシェンド、つまり音の強度の漸増と漸減で歌わなければならないというのが、良い趣味の主要規則だからである。なおこの漸増と漸減は、人体と絵画におけるいわゆる曲線美(ホガース著『美の分析』を参照のこと)にも喩えることができることである。
ヨハン・フリードリヒ・アグリーコラ著『歌唱芸術の手引き』1757年
上の引用は声楽に関する文献ですが、器楽も全く同様にメッサ・ディ・ヴォーチェが行われていたそうです。8分音符などの短い音符では不可能ですが、「ある程度の長さを持つ音符はすべて」クレッシェンドとデクレッシェンドを伴って曲線的に表現するのが当時の「規則だ」と書いてあるのですから、もはや無視するわけにはいかないと考えます。
CDやYoutubeなどで古楽アンサンブルの演奏を聴いてみると分かりますが、古楽器奏者たちの間ではもうずいぶん前から当然のこととして実践されてきています。ただし、現代の音楽教育システムに全くと言っていいほど欠けている概念なので、プロであってもバロック音楽を専門にする人以外には情報が伝わっていないのが現状です。
実践してみると分かりますが、何といっても演奏全体に曲線美が宿ります。バロック絵画やバロック建築から受けるのと同じ印象を受けます。そして、対位法的な曲では声部どうしの動きのやり取りが実に立体的に明瞭になります。例えば、ある拍だけを切り取れば単なる和音であっても、その各声部があるものはクレッシェンドの最中で、あるものはデクレッシェンドの最中で、あるものは音量が最高点に達している、というように、声部ごとの運動の方向性が瞬間瞬間ではっきりと表現されるのです。