ツバメと音楽
この春はじめてのツバメが我が家の近くに来ました。
朝、聞き覚えのある鳴き声にハッとして、これは何の鳴き声だったかな? と数秒耳をそばだてて、そうだツバメだ! でもまだ3月だし、本当かな? と思って、声のするほうへ歩いていくと、いましたいました。電線に止まっている一羽のツバメがいました。
すぐに娘を呼びに行って、一緒にしばらく見ていました。
そろそろ朝ごはんの支度ができる頃だから帰ろう、と娘に声をかけて、裏の五十嵐川の土手を回り道して帰りました。天気は快晴。川岸にはネコヤナギの花が咲き、セグロセキレイも飛びながら鳴いていました。
フランスの作曲家ダカンが作った「つばめ」というチェンバロ曲があります。比較的易しい曲で、子供のためのピアノ曲集にも載っていることがあります。でもこの曲はツバメの声を描写したのではなく、クルクルと飛びまわす様子をひたすら描写したものです。
同じくフランスの作曲家クープランには「さえずり」という曲があります。こちらのほうが鳥の鳴き声らしく、たくさんの装飾音に彩られた繊細な曲です。でも、最新のクープラン研究の成果をまとめた書物によると、社交好きの公爵夫人とその取り巻きの女性たちのお喋りだということです。そう言われてみれば、小鳥らしくない色っぽさも感じられます。
フランスのチェンバロ曲にはこうした標題がつけられたものが多いです。曲に標題をつけるというフランス人の好みは、ドビュッシーなど近代の作品にも受け継がれていますね。ただし、クープランの場合はこの標題を字面どおりに受け取ってはいけないんだそうです。ほぼすべてのクープランの標題には、辞書に書いてある意味のほかに何か当時のクープラン周辺の人や物事を指しているらしいですよ。最新のクープラン研究による標題の裏の意味を見ていくと、彼はけっこう皮肉屋だったみたいです。
このごろ、真面目一辺倒かと思っていたバッハが実はユーモアの精神にあふれた人だと感じられます。昔の曲をただ正確に弾くだけでなく、作曲家を個性ある人間として感じられるようになると楽しいですね。
ところでツバメも柳もセキレイも、美しいですが皮肉もユーモアもありません。ただただ真摯に生きているその姿は、もしかして余計なことを考える人間よりもずっと崇高な存在なのか? などと思ってしまいました。それほど、今朝の光景は美しかったです。
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何年か前、友人が一生懸命燕の巣の写真を撮っているのを見ていました。子燕が口を開けて多分鳴いていただろうと思います。親燕がえさを子燕に運んでいました。その鳴き声や子燕の口元を見ていたのですが、あまり鳴き声には感動していませんでした。ただただ友人の熱意に驚いていました。 クープランのことは全く浮かびませんでした。
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コメントありがとうございます。
燕のひなは可愛いですね。燕の子育ての時期が来るのが楽しみです。
燕の鳴き声自体は美しいというほどのものでもないのでしょうけれど、先日は今年初めて聞いた興奮や晴天など、さまざまなことが絡み合って、私にとって特別な経験となりました。同じ鳥の声でも、雨の日に聞けばまた違ったふうに聞こえたり、同じ晴れの日でもこちらの気持次第でまた違って聞こえます。
同じものを聞いても美しいと感じられる心の状態をいつも保つことができたら、人生は何倍も美しいものになるでしょうね。