怖い顔してバッハ!
ああ、怖い!
この顔、この気迫、この緊張感!
私が敬愛する「オランダバッハ協会」が演奏する、バッハのカンタータ第44番の冒頭です。
すっかり圧倒されてしまった私は、聴き終わってから歌詞の意味を調べてみました。そうしたら、私を圧倒した冒頭の2重唱の歌詞はたったの一行「人々はあなたたちを追放するだろう」これだけです。
この一行からあの物凄い演奏をするには、この歌詞の裏にある状況設定の理解や背景知識などがたくさん必要なのでしょう。キリスト教の教義についての詳しい知識も必要なのでしょう。
詳しいことはともかくとして、私は自分の演奏を振り返って思いました。「自分は、こんなに激しい感情をもってチェンバロを弾くことができるだろうか?」と。
もちろんチェンバロ曲には歌詞がありません。でも、バッハの頭の中にはきっと、どんなチェンバロ曲にも歌が作れるほどのはっきりとしたメッセージがあったと思うんです。
バッハの時代から「優れた音楽家になるには、優れた演奏を、特に優れた歌をたくさん聴くべきだ」と言われているそうです。今回その意味を、あらためて感じました。チェンバロが上手になるためには、チェンバロの演奏ばかり聴いていてもダメだということなんですね。
では、その怖い顔の演奏をお聴きいただきましょう。あなたはどう感じますか?
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一介のキリスト教徒として、知っている範囲で書きます。
これは、ヨハネ福音書第15章から第16章にかけて、いわゆる「最後の晩餐」の時に
イエスが弟子たちに、イエスの言葉を信じないユダヤ人が、弟子たちを迫害することを予告する場面です。
「人々はあなたがたを会堂から追放するだろう。」
(「会堂から追放する」というのは、ユダヤ人たちは既に、イエスをメシアであると公に言い表す者を会堂から追放すると決めていたことを指します。ヨハネ福音書第9章22節)
の次の行は
「しかも、あなたがたを殺す者が皆、自分は神に奉仕していると考える時が来る。(合唱)」
この後すぐ、ヨハネ受難曲で描かれているように、イエスはイスカリオテのユダの裏切りによってユダヤ人に捕縛され、十字架に掛けられて死ぬ、そのことを悟っています。
しかしイエスが最後に弟子たちに言った言葉は、強く胸を打ちます。
「あなたがたには世で苦難がある。しかし、勇気を出しなさい。わたしは既に世に勝っている。」
なるほど、そういう事でしたか。
詳しい解説をどうもありがとうございます!
やっぱりこういうことは信者さんに聞くのが一番ですね。