2年9ヶ月の封印を解いて

新型コロナが始まった2020年の春、あの頃のウイルスは本当に毒性が強くて怖かったですよね。私もチェンバロコンサートなんてやっていられる状況ではなくなりました。

それで私の音楽活動は全面的にインターネット上に移ったわけです。バッハのすべてのチェンバロ曲を詳細に解説して全部ビデオ収録しよう! 5年かかっても10年かかっても、とにかくこれをやり遂げよう! と。

当時の記録を調べてみたら、2020年の4月24日にインヴェンション第10番ト長調を最初にビデオ収録した、とありました。今から2年9ヶ月前のことです。

インヴェンションといえば、ピアノでバッハを勉強する人々にとって無くてはならない基礎的な曲集です。バッハのいろいろなチェンバロ曲を収録したい気持ちでワクワクしていた私ですが、せめてインヴェンション全15曲は早めに全曲完結させて、ピアノを学ぶ方々のご期待に応えたいと思っていました。

ところがです、それが2年9ヶ月もかかってしまったんです。

最後まで残ったのはインヴェンション第2番ハ短調。たかがインヴェンション1曲、ゆっくり弾いても3分かからない小品です。でも、どう弾いていいのか納得いかなくて、ずーっと悩んでいたんです。

頭で考えて何か工夫をしても、取って付けたようでわざとらしいのです。かといって、メトロノームどおりに弾くような曲ではない、と私は信じています。「表現を控えめに慎み深く」などと言いながら弾いても、単に表現が薄くなるだけで説得力がありません。

この2年9ヶ月の間、何度かチャレンジしてみたんですよ。でもその都度「ああ、今の自分には弾けない」と思い知らされました。それでずっと封印していたのです。こういう場合は自分が成長するのを待つしかありません。

今回、ようやく「これなら皆さんに聴いていただけるだろう」という解釈に行き着きました。またしても世間一般に弾かれるインヴェンション第2番とはかなり違う演奏になりました。でも、すべての音符の表現について、今の私ならはっきりと根拠を説明できます。

どうぞご覧下さい。

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2年9ヶ月の封印を解いて” に対して6件のコメントがあります。

  1. Y.M. より:

    今まで漫然とCDを聴いていた曲でしたが、八百板さんのビデオを拝見して、
    右手を下鍵盤、左手を上鍵盤と弾き分けているのを、なるほど、と思いました。
    街のピアノ教室だと
    「第1番、楽譜通りに手が動くようになりました」「では次は第2番を弾きましょう」
    「右手と左手がぶつかります」「そこは適当に。次は第3番を弾きましょう」
    こんなレッスンがまかり通っていそうな気がします。

    1. 八百板 正己 より:

      ありがとうございます。
      バッハはオルガン曲では平気で両手の音域を交差させます。
      そんなイメージで弾きました。

  2. 拝啓
    八百板先生。
    左右の声部が、まるでオペラのメゾソプラノとバリトンのデュエットの様に聞こえてビックリです。ピアノで弾くと、どうしても右手、すなわちソプラノ部ばかり聞こえてしまい、~ というより、ホモフォニーに洗脳されつくした現代人は、半ば無意識に其の様に聴いてしまうのですね。
    それだけではなく、強弱の容易なピアノよりも、その機能を持たないチェンバロの方が、遙かに声部を聴き分けられるのが、長年ずっと疑問でしたが、今回の先生の演奏で、音域による音色の多様さが、ピアノよりもずっと豊かだから、という風に思えました。
    もう一点。
    後半に進むに連れ、左右の入りのズレが目立つように感じました。
    これはコルトーがショパンを弾く時の流儀に通じます。
    ショパン演奏家の、奥様の影響なのでしょうか?😀。
    だとしたら、なんと素晴らしいご夫婦か、と羨ましい限りです。

    1. 八百板 正己 より:

      ご丁寧なコメントありがとうございます。
      いずれもごもっともなご意見です。
      その上で、あえて違う視点を書いてみますね。

      高い音の旋律ばかり聞こえてしまうのは、たぶん人類共通のことかと思います。
      世界中の民族音楽がみんなそうなっているでしょう。
      ここはむしろ、ヨーロッパの多声音楽というものの特殊性に注目したいですね。

      それとは別に、「多声音楽を演奏しているのにソプラノしか聞こえない」という場合、結構よくあるのが「演奏者の頭の中でソプラノしか鳴っていない」ことです。
      結局、音は出ていても、意図して表現したものしか聴き手に伝わらないのですね。

      声部間の縦をそろえないという弾き方は、私はバロック音楽の奏法として学びました。
      クープランが出版した「クラヴサン曲集」や「クラヴサン奏法」の中で、そのように右手の入りを一瞬遅らせる記号まで考案して記譜しています。
      その後、ラモーなど後に続くフランスの音楽家たちも同じような記号を装飾音表に載せて踏襲しました。

      そのように、右手の入りを一瞬遅らせることは、楽譜に書いてなくてもアルペッジョを施すことなどとともに、古典派やロマン派になっても演奏の伝統として受け継がれていきました。
      コルトーの演奏にそれが残っているのも、その伝統の継承の結果です。

  3. 芹澤です。
    「演奏者の頭の中でソプラノしか鳴っていない」
    👆
    衝撃的なご指摘です。
    ピアノ指導者は、ピアノの声部の弾き分けに、
    「音色を変えなさい」
    的なことを示唆します。
    しかし、それだと結局は各声部の音量差をつける以外に、
    学習者は思い付きません。
    そうやっても、多声的になるものではない、という事が
    良く分かりました。

    1. 八百板 正己 より:

      つまり、左手の音色を変えても、違う音量や音色でただ機械的に指が動いているだけだったりするわけです。

      左手を頭の中できちんと鳴らす練習方法はこれです。
      「右手を鍵盤で弾きながら、左手を声で歌う」
      インヴェンションをこの方法で練習すると鍛えられますよ。

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