高層ビルの谷間から(写真付き)
用事で品川に行ってきました。
いやはや、久しぶりに行く都心に圧倒されそうでしたよ。どちらを向いても見上げるような高層ビル。車の音、電車の音。音、音、音。正気を保つために自然を探して写真に収めたのがこれです。今年初めての「エゴノキ」の花(撮ったときには名前を思い出せなかったのですが、フェイスブックに投稿したら教えてもらえました)。実際にはビルの谷間に頼りなさそうに咲いていたんですよ。花の真下に入って、精一杯腕を伸ばして、画面が花だらけになるように構えてシャッターを押しました。
荘厳なオルガン音楽とか、遥か無限の宇宙を思う深遠な対位法とか、バッハの偉大さとか。それらは良い意味で圧倒的で、私はつねに求めてさえいます。でもこの都心の「圧倒」は違いました。潰されてしまいそう! 潰されないように自分を守るには、感覚を遮断して無感情になるしかありません。こんな所に住んでいたら、心豊かな演奏なんてできるんだろうか?
私の住まいもスタジオも街中にあるので、「もっと自然が豊かな所だったらいいのに」と思っていました。でも、都心に比べればじゅうぶん自然が豊かな所だったんですね。四季の移ろいを感じるし、風の匂いも感じます。そういえば、この写真を撮っているときにスズメの声に気付きました。でも、「意識すればスズメがいるのに気付くことも可能ではある」というのと、「スズメがいるのは当たり前」というのは大きな違いです。
当たり前と思っていたことの価値に気付く。今の自分がじつは恵まれていたんだと気付く。
もしこのエゴノキの花が咲いていなかったら、都心の高層ビルの谷間で写真を撮ろうなんて思わなかったでしょう。この写真を撮ることがきっかけで、今の自分がじつは恵まれていたんだと気付くこともなかったでしょう。出会いの不思議です。
新潟県内ではエゴノキの開花はこれからです。同じエゴノキの花が、次はどんなことに気付かせてくれるのでしょうか?
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「エゴの木」というのは全く知りませんでした!
酢みそをかけて食べるエゴは知っていましたが。
白い花のつぼみは鈴蘭のよう、開いている花は桔梗の花に似ているなあと思いながら写真をみていました。緑の葉はあじさいの葉と思い比べていました。都会の雑踏、ビルの谷間は思い浮かびませんでした。清楚な感じをうけた素敵な写真でした。
ちょうど昨年植えた鈴蘭が1本だけ花をつけているところです。
エゴの木はこれからパソコンで調べてみようと思います。
コメントありがとうございます。
木に咲く花は地味なものが多いですし、似たものもたくさんあって、それなのに図鑑はとても分厚いので、私も調べるのを諦めたままになっている花がたくさんあります。せめて図鑑をいつでも手の届くところに置いてみることにします。
八百板先生、ありがとうございます。
娘さんの絵と、これからはこのメルマガで見る八百板先生が撮られた写真も、私の楽しみの一つとなりそうです。
先に書かれたコメントも読ませて頂きました。私には、そこまで細かい観察眼(もしくは知識)はすぐには持ち合わせていないなと思いますが・・ぱっと見て直感的に感動しました。生命の躍動感、というか・・。そして先に書いてくださったコメントからも学ばせて頂いたように思います。音楽の学びもこんな風にして深められていくこと、を思い起こしました。それから先生の書かれた文章を読みながら思い出していたのですが、私は新潟に来て二十数年になります。今でも教会音楽、オルガンの学び、レッスンのため、東京に年に数回ですが、足を運ぶことがあります。東京の中央線に乗るとホッとしている自分がいました。東京の町中の商店街を歩いていた時もそうでした。私が若い頃、教会音楽の学びをさせて頂いた、青梅線沿いにある学校のすぐそばの豚舎(今はもうありませんが)、そこから時折風に乗ってやって来る匂いーこれは最高でした。
家合さん、コメントありがとうございます。
素晴らしい写真を公開しているサイトは山のようにあるのに、私の写真を楽しみにしてくださるなんて嬉しいです。
中央線に乗るとホッとするとのことですが、思い出と結びついたものは単なる騒々しさとは違って特別でしょう。人それぞれの感じ方があるものですね。
八百板先生、お忙しい中、返信を頂き、ありがとうございます。
私にとって東京で学んでいた頃は、決して楽な時ではありませんでした。なのに東京の中央線の電車に乗って、ほっとしている自分を不思議に思いました。もしかしたら新潟より東京の方が、いくらかでも私の故郷に近いせいかもしれません。・・?。