苦いけど美味しい(写真付き)
チェンバロスタジオの近くを散歩していて見つけました。春の風物詩「フキノトウ」です。
フキノトウって、ほろ苦いですけど、でもその苦さが美味しいんですよね。先日仕事で、新潟市内のレストランで昼食をとったときのことです。白身魚にフキノトウのソースがかかっていました。フランス料理にフキノトウを使うのは正統派ではないでしょうけれど、でも美味しかったですよ。春にしか食べられない味覚です。
小さい子供は苦い味が嫌いですよね。あれは生存本能なのだそうです。理由は、概して苦いものは毒である場合が多いから。同じ理由で、小さい子供は酸っぱいのも嫌いです。それも生存本能で、概して酸っぱいものは腐敗している場合が多いから。
でも大人になれば知識も付くので、そういった危険な味も良さが分かってきます。おかげでいろいろな味が楽しめるわけです。世の中の食べ物が甘いものだけになったら? 私は甘いものが好きですが、いくらなんでも食べ物が全部甘いなんて、想像しただけで気分が悪くなりますね。
さて、私は職業柄、こういったことを考えるとすぐに「じゃあ、音楽だったらどうだろう?」と考えてしまうんです。音楽で「苦いけれど美味しい」って、何があるでしょうか?
「不協和音」というのが多くの人が思い浮かべる答でしょうか? そう、確かにそうですね。楽典を勉強された方ならお分かりでしょう。音楽が全部ドミソ、ファラド、ソシレなどの美しい(けれど単純な)和音だけからできていたら、その甘さに飽き飽きしてしまいますね。
ここではもう一つの「苦いけれど美味しい」を提案してみます。「ホ長調」の響きです。
ホ長調というと、ヴィヴァルディの協奏曲「春」がまさにホ長調です。春の喜びをそのまま表した、ウキウキするような明るい曲ですよね?
でも、当時の鍵盤楽器の調律法でホ長調を弾くと、じつはかなりギラギラとした濁った3度の響きなんですよ。
詳しい調律理論は説明しませんが、当時の調律法では一つ一つの調性が一つ一つ響きの個性を持っていました。「ヘ長調は牧歌的」とか、「ニ長調は神の栄光」とか、「ヘ短調は救いようの無い絶望」とか。観念論ではなくて、実際の3度の響きの濁り具合に違いがあるんです。
それなのに、バッハのホ長調の曲には、ゆったりと穏やかな感じの曲がけっこうあります。これはどうしたことでしょう?
かつては私も悩んでいました。こんなギラギラした響きで、こんなに穏やかな曲を弾くなんて、と。
今の私はこう考えています。楽譜の見た目がゆったりと穏やかな感じだからって、平和にホワーッと弾けば済むという単純な話ではないんだと。テンポは遅くても、一つ一つの音が研ぎ澄まされたような輝きを帯びているというか、言葉で説明がしにくいですが、決してフワフワと、あるいはベタベタと弾かない、とても言うのでしょうか、そんな感じです。
言葉で説明しにくいので、実際にバッハのゆったりしたホ長調の響きをお聴き下さい。3年前の6月、コロナが始まって大騒ぎをしていた頃に収録したビデオです。
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バッハのホ長調の作品というと、まずフランス組曲第6番と無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータ第3番が思い浮かびますが
どちらも6曲の曲集の最後の曲ですね。
「本当に悲しい時は泣いていい」の記事に書かれていたように、
フランス組曲の第1番から第3番までの、たとえようのない悲しみ、
無伴奏ヴァイオリンのためのパルティータの、ロ短調の第1番から始まって第2番のシャコンヌで頂点に達する悲しみと厳粛さ、
それを最後のホ長調の曲で拭い去って、輝かしい未来への希望を指し示す、そういう感じがします。
フランス組曲第6番の穏やかな楽章というと、サラバンドよりもメヌエットが思い浮かびます。
ただ、悲しい曲の後にいきなりホ長調の曲を持ってくるのではなくて、
フランス組曲だと落ち着いた変ホ長調の第4番、晴れやかなト長調の第5番の後、
無伴奏ヴァイオリンのためのソナタとパルティータだと、ハ長調のソナタ第3番
(特に第2楽章の長大なフーガは、厳粛さではシャコンヌを凌駕すると思います)
の後に、輝かしいホ長調の曲が来るのは、6曲セットの曲集を編集する際の
バッハの周到な配慮の表れだと思います。
ホ長調のようにギラギラした感じではないですが、ホ短調も苦味を感じさせる調ですね。
チェンバロのためのパルティータは、フランス組曲と違って、曲集の最後の曲がホ短調です。
イギリス組曲第5番はホ短調ですが、ホ長調の第2パスピエが対照的なのが印象に残ります。
「ギラギラした」輝かしさよりも、光あふれる爽やかな「キラキラ」した感じ、
冬枯れの薄暗い林の中に、樹のない明るい場所があって、そこにフキノトウが群生している(笑)
そんな感じがします。
また追伸ばかりで申し訳ないですが、不協和音は「苦いけれど美味しい」と同時に
「何度もかみしめるうちに味わいがわかってくる」物だと思います。
特に、短調の曲で、ここぞというところに使われる減7の和音(減7度の跳躍)は、
それに続く協和音との対比が「後味を引かない苦味」を感じさせます。
バロック音楽を特徴づける「緊張と緩和の対比」が最も顕著に感じられるのは
短調の曲の最後が長和音で終わるピカルディ終止ですね。
「魂の叫び」の記事で演奏されていた、ベームのシャコンヌが、その好例だと思います。