本当に悲しい時は泣いていい(ビデオ付き)

今日はいつもとは反対のことを言いますね。

私は日頃、何かと落ち込むことがあっても、「すべての知らせは良い知らせ」という言葉を信じて、「これもきっと何かいいことが起こる合図なんだ」と自分に言い聞かせるようにしています。実際それによって、日常よくある罠にはまり込んでしまう事がずいぶん防げています。

でも、本当に悲しい時は泣いていいんです。だって、バッハ自身がそうしたんですから。少なくとも私にはそう思えてならないのです。

その根拠は、バッハのフランス組曲です。

フランス組曲はバッハの代表的な組曲集の一つで、6つの組曲からなります。特に第5番などはこんにちのピアノ教室でもよく演奏される、人気の曲です。

このフランス組曲は、その初稿が再婚したばかりの2番目の奥さん(アンナ・マグダレーナ)に贈られた楽譜帳に載っていることから、「再婚した若い奥さんへのプレゼントとして作曲された」などと説明されることが多いです。じっさい、アンナ・マグダレーナ自身もそう思っていたらしい形跡があります。

でも変なんですよ。フランス組曲の前半(第1番から第3番まで)が短調で、しかもそれらが尋常でない悲しみを帯びているんです。

6つの組曲はこの順で作曲されたことはほぼ疑いないらしいので、いきなりそんなに悲しみにあふれる組曲を続けて3つも贈るなんて、ちょっと普通じゃありませんよ。

その「尋常でない悲しみ」というのは、私が言っているだけかもしれません。私だってかつてはそんなふうに感じませんでした。でも、今の私にはどう考えてもフランス組曲前半の短調は悲しすぎるんです。それも、バッハの個人的な感情をあらわにしたような悲しみです。この時代は、後のロマン主義とは違って、原則としてそういう作曲家の個人的な感情を曲に反映させるものではありませんでした。

私の見解はこうです。フランス組曲の第1番から第3番までは、死に別れたばかりの最初の奥さんの追憶ではないかと。

フランス組曲は、後半に移ると第4番で穏やかになり、第5番で吹っ切れたように明るいメロディーがあふれ、最後の第6番はギラギラと輝くほどのエネルギーに満ちていきます。

バッハと最初の奥さんとは相思相愛の恋愛結婚だったそうです。殿様のお供をして旅から帰ってきたら奥さんが亡くなっていたというのは、バッハにとってよほどショックだったでしょう。その尋常でない悲しみを、悲しみに満ちた組曲を作曲することで、そして曲の中で思い切り泣くことで克服していったのだと思います。

では、フランス組曲全6曲の冒頭、第1番の第1楽章アルマンドをお聴き下さい。いつものバッハとは違ってほとんど長調に転調することなく、数ヶ所だけ長調に立ち寄っても1小節も続かずにすぐ短調に戻ってしまいます。こんな曲をメトロノームどおりに練習曲のように弾くなんて、私には絶対にできません。

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本当に悲しい時は泣いていい(ビデオ付き)” に対して9件のコメントがあります。

  1. 高野知行 より:

    なるほど!
    貴重な気付きでした
    トンボーのようにも聞こえました
    リュートでも聴いてみたいです

    1. 八百板 正己 より:

      ありがとうございます。
      バッハよりだいぶさかのぼったフローベルガーという音楽家が作ったチェンバロ組曲には、第1楽章がアルマンドの代わりにトンボーが充てられているものが数曲あります。
      バッハは子供時代にフローベルガーの音楽も勉強したそうなので、もしかしたら知っていたかもしれませんね。

  2. 家合映子 より:

    演奏を聴かせて頂いて、曲の解釈が…、伝わってきたように感じました。

    悲しい時には悲しい曲を聴くと良い(心が癒される?)、と聞いたことがあります。

    1. 八百板 正己 より:

      ありがとうございます。
      あまりに悲しい時に、能天気な明るい曲は受け付けないですよね。

      1. 家合映子 より:

        確かに…。

  3. 小林まどか より:

    八百板先生の奏でられたフランス組曲を聞いて、不覚にも涙してしまいました。
    フランス組曲を聞きはじめたのは約30年位(35才頃)ほど前に、私の最初の結婚が終わった時でした。
    それ以来、好んで聞いていたフランス組曲を聞くのが大変つらいことがありました。(イングリット・ヘブラーの演奏では悲しみに耐えられなくなりましたが、逆に淡々としていたグールドの演奏に慰められました)
     バッハは確かに死別した最初の奥様を思って作曲したのでしょう。先生に教えて頂いてから、また、先生のこの曲への解釈とまるですすり泣いているかのような音の流れに出会い、私のフランス組曲への感じ方が変わりました。
    私の人生へのバッハからの、八百板先生からの、大きな贈り物となりました。
     大変ありがとうございます。
    このように美しいフランス組曲に出会えて幸せに思います。

    1. 八百板 正己 より:

      泣いて下さるなんて、音楽家冥利に尽きます!

      いろいろご苦労があったとお見受けします。
      それらがすべてバッハのこの曲の美しさに涙を流されるほどの、豊かな感受性を小林さんに育んだのだと考えましょう。
      美しいものを美しいと感じる心は、誰もが持っているわけではない貴重な宝です。

  4. 八百板先生、こんにちは。芹澤です。

    後半部は、まるで🎻のシャコンヌを鍵盤で弾いているかの様な錯覚に陥りました。
    これは両曲とも d moll なのと無関係では無いと想います。
    モーツァルトもベートーベンも、d moll には特別の意味を持たせた曲ばかりです。
    死別した妻の悲しみと共に、深い人生の慟哭をありのままに綴っている、という
    気がいたします。

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。
      無伴奏ヴァイオリンのシャコンヌも、とっても悲しいですよね。涙なしには聴けません。

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