バッハのチェンバロ曲に民謡!(ビデオ付き)
民謡といっても、もちろん日本の民謡ではありませんよ。バッハの時代のドイツの民謡です。
バッハ晩年の超大作ゴルトベルク変奏曲。その最後の変奏に、バッハは2つの民謡のメロディーを使いました。「使いました」なんていう生易しいものではありません。2つの民謡のメロディーをバラバラに分解して、それらをごちゃごちゃに混ぜて、4パートの対位法のほとんどの部分をその民謡の素材だけで組み立てたのです。
シンプルな素材から感動的な対位法の傑作を作り出す、ということで言えば、バッハのオルガン用のコラール編曲は鳥肌が立つほど厳粛で感動的です。
それに対してこの変奏はなんて微笑ましいんでしょう! 高度な作曲技法ももう余裕で遊びながら使いこなせる、晩年のバッハが至った高い境地です。ゴルトベルク変奏曲全体の中でも、テーマのアリアに次いでこの変奏が人気があるというのもうなずけます。
今回、この変奏をビデオ収録するに当たって、その民謡の歌詞までちゃんと調べてみました。特に2つめの民謡は本当にふざけた歌詞でしたよ。気になる方はこのビデオをご覧ください。
それを踏まえて、この変奏を通してお聴きください。
あなたのコメントをお待ちいたします
下のほうのコメント欄で、あなたのお考えをお聞かせくださると嬉しいです。
(システムの都合により、いただいたコメントがサイトに表示されるまでに最長1日程度お時間を頂戴する場合があります。あらかじめご承知くださいませ。)
拝啓
八百板先生。
芹澤です。
妻のJazz🎤のレパートリーに「テネシーワルツ」があります。
ワルツというには非常に遅いテンポなんですが、勿論 3/4 なのと、バスは半音階下降なので、前奏をゴールドベルクのアリアで開始する編曲をした事がありました。
大バッハ先生への、神をも恐れぬ冒涜行為ですが、でも、バッハも民謡を引用してたんですね。
ベートーベンにもシューマンにも、膨大な引用や挿入がある。
テネシーワルツは民謡そのものでは無いですが、カントリーの定番ソングで、アメリカ人には其れ同然でしょう。
少し大先生に親近感を覚えました。
私自身はジャズは全然詳しくありませんが、ジャズとバッハってとても相性がいいらしいですよね!
おはようございます
バッハも民謡のメロディーを編曲して使っていたのもあるのですね!
よかったなあと思いました。よく親しまれている日本の「さくらさくら」も
桜変奏曲となっていて聴いたことがあります。楽譜だけは買うことが出来ました。
「赤とんぼ」や「夕焼け小焼け」も
変奏曲が出来ればいいのにと思っていました。 思っています。
たぶんそういう変奏曲はいくつも作られていると思いますけどね。私たちの所まで情報が届かないだけで。
じつは私自身もアンコール用の冗談ネタとして、ゴルトベルク変奏曲のアリアと赤とんぼのメロディーをごちゃまぜにした曲を作ってあります。
先生、いつか聴かせてくださいね!楽しみにしています。
秋にコンサートができるといいんですけどね。
「こんなにも長く離れていた」のがアリアの旋律で,「キャベツと蕪」が長大な変奏曲だと考えた人がいました.つまり「つまらない変奏曲が美しい主題を長らく追い出していて,やっと主題が戻ってきた」というバッハ一流の冗談なのだそうです.こんな手の込んだ変奏曲の最後を,バッハ一族が集まったときによく歌ったクオドリベットの形で冗談めかしているとすれば,バッハは冗談好きで頭の柔らかな人間だったようです.
コメントありがとうございます。
「いかめしくて近寄りがたいバッハ」というかつてのイメージは、バッハの一部の曲だけを取り出して、その時代の要求に合わせて作り上げられたそうですね。知人から譲り受けたバッハ叢書は今第9巻を読んでいますが、この件も含めてとても視野を広げてくれます。
厳粛で感動的なコラール、プロテスタントの礼拝では讃美歌としてよく歌われる曲も、
ルターが当時の民謡に歌詞を付けて讃美歌にした曲があるようですね。
日本に喩えると、江戸時代に作られた「さくらさくら」がルター派のコラール、
「だんご三兄弟」がゴルトベルク変奏曲で使われた民謡、そんな感じじゃないでしょうか。
古典派になると、ヒットしたオペラのアリアに基づくピアノ用の変奏曲が多く書かれましたが、
これも日本に喩えると「今年放送されたドラマ『○○』のオープニングに基づく変奏曲」
という感じだろうと思います。
私の中ではバロック音楽は今まさに生きている音楽ですが(私がバロック時代に生きているというか)。世の中に「バッハは古くないです」というメッセージをどうやって伝えたらいいのかと、いつも考えています。
バッハの受難曲の中にも、当時教会で毎週の礼拝の時に歌われていたような讃美歌が、よく引用されていますね。
いつも歌っていて、礼拝時に歌うのが半ばルーチンのようになってしまい、意味を深く考えることもしなかったであろう当時の人たちが、受難節に、バッハの作った音楽を聴き、受難の物語の流れの中に挟まれた「いつものあの曲」を聴いた時、「こんな意味があったのか、、」とか、イエスが捕らえられ拷問を受けている時の心情、傍観者である自分達、、などに気がつき、ハッとしたに違いありません。
日本では毎年年末にベートーベンの第九が演奏されますが、災害があった年や昨今のコロナ禍の折りには、「抱き合え、幾百万の人々よ!」と言う歌詞が、何か、天からのメッセージのようにも思えて来ます。コロナ以前にはプロアマ問わず演奏され、参加した方々は日本に沢山いると思われますが、今、この曲のメッセージを、音楽体験としてだけでなく、真に実行に向けて一人一人が動いていかねば、そんな時代になって来ているような気もします。
今年は教材購入のご縁で、こうして八百板先生のブログに、コメントを書かせて頂く機会が出来、大変有難うございました。
八百板先生の実演に、そのうちどこかの会場でまた接することが出来る日を、楽しみにしております。
良いお年をお迎えください。
ご丁寧なコメントをありがとうございます。
そうですね。本当に、音楽が発するメッセージや意味を聴き取ることは尊いことですね。
音楽を単なる「娯楽」としか思っていない人にももっといろいろお伝えしたいですね。