オルガン演奏の新時代
先日、チェンバロ教室の生徒さんから「同じCDが2枚あるので1枚どうぞ」とプレゼントしていただきました。日本人の若いオルガン奏者が国際コンクールの第一位を受賞した記念のCDです。なのにドイツからの輸入版。日本人奏者によるCDが外国から発売されるとは、本当に世界から認められたという事ですよね。
さてそのCD、バッハが若いときに作った「トッカータ ホ長調」ではじまるのですが、その演奏を聴いてすごく嬉しかったです。オルガンの世界にもようやくこういう演奏が現れたのかと思って。
チェンバロは歴史から一旦姿を消した楽器です。それが20世紀に復興するに当たっては、単に楽器を復元するだけでなく、「楽譜にこう書いてある音は実際にはどう演奏されていたか」という演奏習慣の復元をも伴って、作曲家が本当に望んでいたことに迫ろうという価値観が提示されました。
「トッカータ」というのは、本来は即興で演奏される音楽、そして即興で演奏されたかのように作曲される音楽です。チェンバロ用に作られたトッカータを楽譜どおりに弾いても、大抵はつまらない音楽になります。なので、この楽譜から当時はどれほど自由に弾いていたのか、という研究と実践の積み重ねで、チェンバロのトッカータ演奏は近年ずっと進化し続けてきました。そしてその進化は今も続いています。
一方で、オルガン演奏は昔から現代まで途絶えることなく続いています。今ではチェンバロ奏者がバッハのトッカータをこんなにも自由に扱っているというのに、オルガン奏者が弾くバッハのトッカータはほぼ隅から隅まで楽譜通りです。一瞬の間とか、ふっとテンポが宙に浮くとか、一気になだれ込むとか、そういう揺らぎが無いのです。
その揺らぎが、先日いただいたCDの演奏にはちゃんとあったのです。チェンバロ奏者の私ならこう弾くだろうな、というところを、そのように弾いてくれているのです。だから嬉しかったのです。
本当はこういう事を書くのは差し障りがあるのですが、どんなに学者たちが研究して「バッハの時代はじつはこう弾いていたという証拠がたくさん見つかりました」といっても、なかなか演奏の現場には反映されないのです。
まず、お客様が「そんな演奏は聴いたことがない」といって喜んでくれないから。「私たちが聴きたいのは、昔から聴き馴染んだスタイルの演奏だ」というわけです。
それから、意欲的な若手奏者が最新の学説を取り入れようと思っても、保守的な大御所の手前、反感を買うような演奏をするのは得策ではない、というのもあります。学問的にはとっくに結論が出ている事柄でも、大量の録音を残してしまった大御所は今更「あれは間違いでした」とは言えないのです。
そんな保守的な世界が、オルガン演奏の分野でも変わりつつあると分かって嬉しいですね。歌の世界も少しずつ変わってきているし、オーケストラの世界も変わってきています。「変わる」といっても、奇をてらって好き勝手に変わるのではなく、歴史を研究し、作曲家が望んでいたであろう姿に向かって変わっていくのです。
これは真実を探求することです。真実を探求するクラシック音楽の流れは、これからますます目が離せませんね。
追伸:
オルガン奏者がなかなか「揺らぎ」に満ちた演奏をしてくれないので、機会を見つけては私もオルガンを弾きます。私が弾いたバッハのトッカータをお聴き下さい。
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大変勉強になりました。
ありがとうございます。お役に立てて嬉しいです。
学問的復興と(歴史的経過での)聴衆受けとの温度差を改めて感じさせられました。これからは色々な演奏スタイルに関心を持って音楽を聴いていきたいものです。
長井様、コメントありがとうございます。
もちろん、聴衆の中でも柔軟な感受性と真実を求める好奇心とから、積極的に歴史的演奏を支持してくださる方がたくさんいます。古楽の復興はその人たちのおかげです。
イギリス留学中、恩師からJ.S.バッハのフルートソナタのレッスンを受けた時、最初に言われたのは「どこの墓場からバッハを連れて来た‼」更に「お前のバッハは先人が演奏したのを模倣しているに過ぎない。バッハは生きているんだ!今、お前と生きているんだ」と、その時かけられたアドバイスはバッハを演奏している時に必ず思い出す言葉です。留学前はいつも外国人のフルート奏者がこう言ったから、そのようにしなければならない風潮があり自分の演奏は手枷足枷で、自由という言葉には語弊がありますがイギリスに行って初めて今生きている喜びをバッハの作品を通して演奏しました。
それ以来、誰がこう言ったからこのように演奏しなければならないという、自分の体に合わない服を着ての演奏はやめました。
もし、そのような演奏を聴いたら「どこの墓場からバッハを連れて来た‼」です。
「バッハは今生きている」とは、素晴らしい言葉ですね!
演奏をするときに「良いことをしよう」という積極性よりも「悪いことをしないようにしよう」という守りの姿勢になってはつまらないですよね。
聴き手は音楽の知識は多くないかもしれないけれど、自分の心から演奏しているのか、それとも外見だけ他人のものを真似しているだけなのか、その温度差は音楽の知識の量とは無関係に敏感に察する能力を持っていると思います。
バッハのトッカータほどでは無いですが、モーツァルトにも同様の事が言えますね。ピアノソナタの反復を一回目と全く同様に弾く演奏が未だ横行しているのは滑稽ですらある。それなら反復する意味が無いし、演奏容易な
曲こそ(学習者に)即興や装飾のセンスを磨かせる目的でスカスカの譜面にしているのは明らかなのに。
また緩徐楽章のパウゼ、ちゃんとカデンツァを挿入して弾いてるのはグルダ・ジメルマン・シフぐらいのもの。少しでも和声に対する注意を払えば、そういう作法と自発的に分かるはずなのになぁ。
コメントありがとうございます。
モーツァルトのソナタの中に、チェンバロの演奏にも適したものがいくつもあります。それらを私が弾くときは、かなり思い切った装飾や変奏を加えていますよ。このごろは古楽器を使ったそういう録音も増えています。こういう動きが広がっていって、「モーツァルトもおもしろい!」と思ってくれる人が増えるといいなと思います。
八百板先生。
うわぁ、先生のモーツァルト、バッハと同じ位聴きたいです!