小雪なのは良いこと?悪いこと?

先日、三条市内で白鳥に餌付けをしている「白鳥の郷公苑」に家族で行きました。娘が小さかったときからほぼ毎年ここに連れてきて、日中でも百羽ちかく集まる白鳥に餌をあげるのを楽しみにしているのです。

ここに来始めた頃はまだ全く整備などされていなくて、五十嵐川のほとりに路上駐車して、階段もない土手の雪を踏みしめて川原に下り、家から持ってきたパンを投げるくらいでした。数年前に立派な観察舎と駐車場、川原に下りる幅広の階段も整備されて「 白鳥の郷公苑」 と名付けられました。

ところが、この日は白鳥が4羽しかいないのです。

今年は暖冬小雪なので、日中は田んぼに行ってしまっているんですね。白鳥にとっては人間があげる餌よりも田んぼの落ち穂のほうが好物なのでしょうか。雪が少ないのは日常生活にはありがたいけれど、良いことばかりではないんだ・・・。

仕方がないから近くを散歩することにしました。ここは三条でも山のほうにずっと入っていったところです。小雪とはいっても、一応は一面に雪に覆われています。

雪景色を見ながら歩いていると、白鳥の大群の鳴き声が聞こえてきました。「この先のどこかにたくさん集まる場所があるのかも!」と、声のするほうへ歩いていくと、何十羽もの白鳥の編隊が私たちの頭の上を通り過ぎていきました。するとまた別のほうからたくさんの白鳥の鳴き声がして、その群れも私たちの頭の上を通り過ぎて、少し先で向きを変えて、そうするうちにまた別の群れがやってきて・・・。ほんの数分ですが、私たちの頭の上は百羽を超える白鳥でいっぱいになりました。見上げていると自分が空に吸い込まれるような錯覚に襲われます。

その白鳥の大群は、ねぐらにしている「 白鳥の郷公苑 」に戻るにはまだ時間が早かったのか、そのまま近くの田んぼに降り立って、落ち穂拾いを始めました。

私たちはついさっきの夢のような光景を思い出しながら、「白鳥の郷公苑」に戻りました。白鳥は一羽もいません。さっきここにいた4羽の白鳥も、あの群れに合流して近くの田んぼに行ったのでしょう。

暖冬小雪だったからこそ見ることができた、頭の上が白鳥でいっぱいになる不思議な体験でした。

 

わたしたちはつい、何かとすぐに喜んだり落胆したりと、瞬間的な感情に振り回されます。先日の私だって、白鳥が4羽しかいなかった時点で被害者意識を持って暖冬を罵っていたかもしれません。でも冷静になって考えれば、雪が少ないのも白鳥がいないのも、私に向けられた悪意ではありません。

私は常々「悪いと感じる大抵のことは、もっと別の良いことを探しなさい、というサインだ」と思うことにしています。何年か前に出会った言葉「すべての知らせは良い知らせ」を、自分なりに分かりやすく言葉を補ったものです。言い換えると、目の前のことに囚われるな、ということでしょうか。

だいたい、悪いと感じることは自分では直接コントロールできないことばかりです。自分ではコントロールできないから被害者意識を持ちます。そうなったらもう悪循環です。

一方で、自分の心は自分でコントロールできます。自分の心の持ち方次第で自分に悪いことは起こらなくなるということを知ってから、私はずいぶん心が穏やかになったと思います


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小雪なのは良いこと?悪いこと?” に対して2件のコメントがあります。

  1. T.H より:

    「目の前のことに囚われるな」、「自分の心は自分でコントロールできます」と書かれておられますがどちらも大変凄いことだと思います。

     毎日いろんなことが起こったり、予期しないことが起こったりしています。良いことばかりではありません。自分をいつも平静に保てたらどんなにいいことか。

    音楽にむかわれるときっと心が洗われて平静になられるのかな?と。

    その人によりいろいろな手だてがあるのかなとも思ったりしています。

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。

      私の場合、音楽に向かうと心が洗われて平静になることももちろんですが、「音楽に向かうために意識的に心を洗い平静にする」必要があるのも確かです。

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