どうして音楽は美しいのか?

私は毎日自宅から見附のスタジオまでの通勤の車内で、自己啓発関連の音声教材を聞いています。その中で、「なるほどなあ」と思うことを言っていましたので、あなたにも知っていただきたくてお知らせしますね。

どうして人は星空を美しいと感じ、天の川に永遠性を見出すのか?
星自体が美しかったり、天の川自体が永遠だからではない。
星や天の川を見ることがきっかけとなって、見る人の心の中にすでにある美しさや永遠性が呼び覚まされるからだ。

これって、深い考え方だと思うんです。あなたも私と同じで音楽に夢中でしょうから、音楽に置き換えて考えてみましょう。

音楽を聴いて、喜びや、悲しみや、安らぎなど、さまざまな感情を覚えます。時には、喜怒哀楽という基本的感情を超えて、崇高さや偉大さに心打たれるという高い次元の感動に襲われることもあります。

でも、同じ場所にいて同じ演奏を聴いても、人はそれぞれに違うことを思います。ある人は感動のあまり涙を流し、その同じ時に別の人は退屈して居眠りをするということもあります。演奏者自身が考えもしなかったことを、聴き手がメッセージとして受け取るということだってあります。

これはどう説明したらいいのでしょう? 崇高な音楽を聴いても居眠りする人がいるのはなぜでしょう?

もちろん、楽譜自体が崇高というわけではありませんね。それを演奏する奏者が必ずしも崇高な人物だというわけでもないでしょう(本当にすぐれた巨匠ならまだしも)。

曲が崇高なのでしょうか? 確かにそれは大いに考えられます。でも、その同じ曲をシンセサイザーにプログラムして「再生」ボタンをクリックすれば人は崇高さに涙を流すかというと、そんなことで済むなら生身の音楽家なんて必要なくなってしまいますね。

冒頭の音声教材の表現を借りるなら、答はこうなるでしょう。

どうして人は音楽を聴いて、喜びや、悲しみや、安らぎや、崇高さや、さまざまな感情を覚えるのか?
曲自体がそういった性質を持っているからではない。
演奏を聴くことがきっかけとなって、聴く人の心の中にすでにある美しい感情が呼び覚まされるからだ。

これでいろいろなことが説明できます。

  • BGMとして聴いてつまらなかった曲が、コンサートで集中して聴いたら感動した。
  • 若いときに聴いてつまらなかった曲が、多くの人生経験を経てから聴いたら感動した。
  • CDで音だけ聴いてつまらなかった曲が、生身の音楽家が真剣な表情で演奏する姿を見ながら聴いたら感動した。

音楽を聴いて感動するかどうかは、聴く人の心に美しい感情が育まれているかどうかによるでしょう。でもそれだけでなく、ちゃんと育まれていてもそれに気が付いていなければ感動しないんですね。

私は、特にコンサートには「あなたも心の中に美しい感情を持っていますよ」と気付かせるきっかけとしての力を持っていると思うんです。もちろん、ただ生演奏だというだけでは力不足です。集中して聴いていただける環境を整え、演奏者は雑念を振り払って音楽に没頭します。

チェンバロ教室の発表会に望む生徒さんには、私はこう言っています。

間違えることを気にするより、曲の美しさに心を集中しましょう。そうすれば、聴く人も同じように曲の美しさを聴こうとしますから、間違いが気にならなかったり、間違いに気付かなかったりしますよ。

教室の生徒さんだって、聴く人の心にある美しい感情を呼び覚ます力を持っているのです。だから、「プロの演奏を2000人のホールの一番後ろで聴くよりも、アマチュアの演奏を目の前で聴く方が感動した」などということも起こるのです。

時々「生のコンサートはオーディオ装置よりも音がいいから価値がある」と言う人がいます。逆に「生のコンサートは録音と違って、聴き取りにくい楽器の音量を機械的に補正できないから、すべての音を聴き取るには向かない」などと言う人もいます。

いずれにしても、もったいないですよね。「音を聴く」というレベルを超えて、コンサートにはもっともっと大きな可能性があることに気が付いてほしいものです。

 

追伸:
上に書いた、チェンバロ教室の発表会に望む生徒さんに私が言っているアドバイスについて、私の著書「超効率バッハ練習法」の第10章では次のように表現しています。

演奏とは実に不思議なもので、演奏者が「間違えないように、間違えないように」と思いながら弾くと、お客様も「間違えるかな? 間違えるかな?」と、そんな事ばかり気になるものです。逆に、演奏者が「このメロディーのここが大好き」「この音の重なりのここが美しい」と思いながら弾けば、お客様も同じことに意識が向きます。音をいくつか間違えたって気にならないし、間違いに気付かないことだって多いのです。演奏は録音とは違って「人間が人間に向かって、同じ空間を共有して伝えるもの」なので、心のあり方がそのまま伝わるのです。

本の内容に関心をお持ちくださいましたら、下のボタンから一週間の無料お試し付き購入を検討なさってみてください。

あなたのコメントをお待ちいたします

下のコメント欄に、ご感想、ご質問、ご意見など、何でもお寄せください。
あなたのコメントがきっかけとなって、音楽を愛する皆様の交流の場になったら素晴らしいと思うのです。
(なお、システムの都合により、いただいたコメントがサイトに表示されるまでに最長1日程度お時間を頂戴する場合があります。あらかじめご承知くださいませ。)

どうして音楽は美しいのか?” に対して10件のコメントがあります。

  1. T.h より:

    毎日、いろいろな欲望の渦の中で
    何かしら美しいものを求めて生きていると思っているのですが
      
      私の心の中に美しいものがあるか、ないか?

    残りの人生はこれを確かめるのに音楽を聴いていきましょうか?
    「ない」という答えが出ないように願いながら。

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。
      「ない」なんていう事はありません。
      必ずあります。
      そう信じて音楽を聴いていけば、
      もっと多くの美しさに気が付くことでしょう。

      1. T.h より:

        ありがとうございます。

  2. 家合映子 より:

    私は、音楽、というよりその内容にとても興味があります。そうでなければ、学びを続けてこれなかったでしょう。そういう意味で私は、純粋な音楽家ではないと思うし、また正直なところを言えば、自分のことを音楽家であるとは思えないのです。でも学びを続けていきたいと思います。それは音楽の中に、”共感”するものが隠されているからです。特にバッハの音楽などは私にとってはそうです。美しいと感じること、それが人に生きる力を与えてくれるーそんな文章に触れて、心に留めてきました。私自身の中に美しいものがなくても、美しいものが確かに存在し、それによってまた、人生の一歩を進めることが出来る、そしてそれを人々と分かち合いながら生きていく人生を歩みたいーなんて、そんなことを考えてみました。八百板先生、(そして皆さま)ありがとうございます。

    1. 八百板 正己 より:

      ご丁寧なコメントありがとうございます。音楽とご自身との関わりを深く考えながら音楽を続けていらっしゃる家合さんらしい考え方だと思って読みました。

  3. T.h より:

     
     楽譜が読める、楽器を奏でることのできる方々をいつもいいなあと思っておりました。いつか自分も弾けたらと願っていました。それでも少しは楽器に触れられてよかった人生です。「私自身の中に美しいものがなくても美しいものが確かに存在し、それによってまた人生の一歩を進めることができる・・・」という
    家合さんの投稿ありがとうございました。

    これからもまた音楽を聴きながら自問自答していこうと思います。
     

    1. 八百板 正己 より:

      ありがとうございます。ご自身が鍵盤楽器を弾くという挑戦を続けてくださったおかげで、音楽を聞き取ったり感じ取ったりする能力もずっと向上しましたよ。

    2. 家合映子 より:

      こちらこそ、ありがとうございます。

  4. 原明美 より:

    ニュースレターありがとうございました。
    貴重なジルバーマン楽器
    鍵盤色違い、弦の斜め張り、木目の美しさ、サウンドトーン,脚デザイン詳しく見られて
    とても嬉しいです
    チェンバロはどれをとっても楽器そのものが夢のように素敵な装飾
    そこからまたタイムマシンのように歴史を素敵な演奏音色で呼び覚ましますね。

    インベンションをもう一度勉強し直したかったのでありがたいです。バッハインベンション1番
    ロマン期のようにためたり、揺らしたり、歌いこんだりしても演奏良いのでしょうか?
    バロック音楽は淡々と演奏するように終止のテンポ感覚遅くするなどレッスンでは大雑把に
    まとめられた演奏だと思っておりました。先生の演奏は随分違ってショパンの揺れでもない心地良い揺れ、流れでテンポも速くなくこんな風に演奏できること聞かせていただけとても良かったです。これから何回も聞きます。ありがとうございました。

    1. 八百板 正己 より:

      ありがとうございます。
      お役に立てていますようで嬉しいです。

      「バロック音楽だから淡々と演奏する」のはおかしいですよね。
      芸術史的にはむしろ、バロック芸術(絵画や建築が典型的ですが)は前後のルネサンス芸術や古典派芸術に比べて「装飾過多、感情過多、曲線的、動的」といった性質を持っているのですから。

      バッハをロマン派のように揺らすのはいけませんが、バッハの時代にどう演奏されていたかを研究して演奏に反映していきたいものです。

八百板 正己 へ返信する コメントをキャンセル

メールアドレスが公開されることはありません。 が付いている欄は必須項目です