(この文章は私の旧サイトに2003年4月に掲載したものを転載しました。今読み返すと、若気の至りで偉そうなことを言いながら的外れなことも多々ありますが、それも全部含めて私を知っていただける材料としてお読み下さい。)
はじめに
2003年4月26日~27日に山梨県甲府市で行われた第17回古楽コンクールのチェンバロ部門に出場しました。2年前は本選に進むことができましたが今回は予選敗退でした。こういう状況で詳細を長々と書いてもほとんど言い訳になってしまいますので、これまでの経過、現在私が置かれている状況、今後の展望などを記すにとどめます。
この2年間の経過
2年前のコンクールを契機に世界的なチェンバロ奏者である渡邊順生師匠に弟子入りして以来、ほぼ毎月一度のペースで横浜の師匠宅に通いました。新潟から横浜まで、思えばかなりの額をJR東日本に貢いだものです。本選に出場していい気になっていた私が初めに受けたレッスンはまず正しい座り方と正しい手の構えでした。そしてその正しい構えによって可能になる正しい打鍵方法については、強い音、弱い音、軽い音、重い音、粘った音、乾いた音など、いまだに新しい曲を見ていただくたびに新しい技法を教わるほどで、全貌も見渡せない上にそのうちの一部しかまだ自分のものになっていません。何と奥の深い世界なのでしょう。
技術と並行して、曲の様式の理解とその表現方法も学び続けました。フレスコバルディのトッカータを演奏するには、音楽修辞学的な思考を理解すると同時に、明暗を強調するバロック的思考(ラファエロの絵画に対するカラヴァッジョの絵画のように)が大切であるとか、「クーラントという舞曲は太陽王ルイ14世が得意としたもので、威厳を持って演奏される」と私は理解していたのに、「この曲が書かれた頃の初期のクーラントはもっと軽かった。その頃のルイ14世はまだ若かったし。」とか、ドイツのフィッシャーの組曲では彼が勤めていた宮廷がどのくらいフランスの近くに位置しフランス趣味がもてはやされていたかを音楽事典(全巻並べると1mにもなる巨大なもの)を引用してフランス風のリズムで演奏すべきだとか、通い始めて1年ほどは毎月のレッスンのたびに自分の音楽観が半分入れ替わるほどの強烈なインパクトがありました。
世界的な奏者である師匠のレッスンはやはり世界的なチェンバロ製作家スコブロネックの楽器で行われます。非常に敏感な楽器で、気を抜いて演奏するとすぐに汚い音が出る代わりに、注意して正しく演奏すると実に多彩な音を出すことができます。レッスンのときにできた技術が家に帰ってからどうもうまく実践できないでもどかしい思いをしていた一年前の今頃、日本に数台しかないスコブロネックの楽器を手に入れることができました。それからはレッスンのための練習はもっぱらこの楽器で行い、チェンバロから多彩な音色を引き出す技術はその頃から少しずつ身についてきたように思います。
一年前の夏頃からそろそろコンクールを意識して苦手な分野の克服に重点を置くようにしていただきましたが、あれよあれよという間に11月の要項発表、そして4月の本番がやってきました。学ばなければならない量に比べて2年間はいかにも短すぎたというべきか、私の進歩が遅かったというべきか、ともかく消化不良のまま本番を迎えることになりました。
会場で
予選本番のステージ上で、私はいつになく動悸が高まり、演奏に集中できないまま終わってしまいました。普段の演奏会では練習不足の曲になると緊張して動悸が高まるのですが、何ヶ月も前に演奏会で心を込めて弾けたそれらの曲は練習不足などではなかったにもかかわらず、練習不足とは別の不安(周りには自分より優れた人がいて比較される、聴く人は私の演奏を楽しむためでなく欠点を探そうとしているという思いや、演奏会でうまく弾けたと思ってその後に見ていただいたレッスンで「まだまだ駄目だ」といわれて一から出直したことなど)が私の心を支配していました。また、前回は追う立場でしたが今回は追われる立場(少なくとも予選を通過しないと格好がつかない)であったことも、変に気負ってしまって演奏に集中できない原因になったと思います。
予選敗退の結果発表の場で、毎年古楽情報誌にコンクールのレポートを執筆されるある高名な先生にお話を伺いました。前回は私が好き勝手し放題に楽しんで弾いていた気持ちが客席に強く伝わってきて、「これは単なる我流なのか本物なのか、本選でもう少し弾かせてみよう」と審査員に思わせるものを持っていたけれども、今回はきちんと勉強をしてきたことはよく演奏に現れていたがそれらを実践することで精一杯で、自信を持って聴き手にアピールする演奏ではなかったとのことでした。他の楽器製作家の方とも話をしましたが、全く同じ答が返ってきました。翌日の本選にいらっしゃった渡邊順生師匠にこの事を報告すると、一言「それは宿命だ」と言われました。
無知の知
以前は「レッスンを受けないのに私はこれだけのことができる」と思っていましたが、今は「世界的な師匠のレッスンを受けていても今の私にはこれしかできない」ということを知っています。このごろは一つのことができるようになるとその先の二つのことを知らない自分に気がつくといった具合で、チェンバロの世界の奥深さに恐ろしくなるほどです。しかしソクラテスの「無知の知」ではありませんが、自分がどれだけ知らないか、できないかを認識することから出発しない限り真の上達はあり得ないわけで、独学から出発してかなりの期間を我流で通してきた私が本物になるためには、今の状態は避けて通ることのできない段階だということです。
演奏会の選曲も慎重になってきました。よく理解できていない曲をはったりで誤魔化したりすることはもうできなくなった代わりに、正しい知識と技術の裏付けのある曲は今までになく堂々と自信を持って演奏できます。駆け出しの頃は「1年間に演奏会で新しいレパートリーを100曲弾く」などという変な目標を掲げたりしていましたが、今は自己研鑚とお客様に満足をお届けすることとをきちんと区別して考えています。
演奏活動についても、昨年あたりまでは宣伝効果を求めることもあって「毎月異なる内容の自主公演をする」などという無茶を続けてきましたが、今年からは演奏活動は春と秋に集中させ、夏と冬は来シーズンの準備とともに2年後を目指した研鑚に充てることにしました。
今後のこと
2年後のコンクールで私が自信に満ちて演奏しているか、それとも今以上に自分の無知を認識して怖じ気づいているか、それは何とも予想がつきかねますが、私は二つのことを信じています。一つは、今よりも確実に上達し続けること。もう一つは、日常の演奏活動では今以上に質の高い演奏をお届けできることです。演奏会ではコンクールと違ってあら捜しや他人と比較されるわけではありませんから、その時の自分なりに「これはきちんと表現できる」と納得したものを心を込めて演奏していきます。チェンバロ奏者なら誰でも演奏したがる有名な曲がなかなか私の演奏会に取り上げられないときは、その曲はまだ研鑚中ということですから気長にお待ち下さい。これが私の「品質保証宣言」です。