オンライン・ビデオ教材「バッハ最愛の鍵盤楽器クラヴィコード」(新版)

~ バッハの教育用諸作品の本当の美しさを再発見 ~

 

2.バッハにとってのクラヴィコード

2.1 幼少時代のバッハとクラヴィコード

彼は、早くから両親を失い、10歳のときに、生地アイゼナッハからほど近いオールドルーフでオルガニストをしていた兄ヨハン・クリストフの下に引き取られ、そこで鍵盤楽器やヴァイオリンの手ほどきを受けることになる。

バッハは、ひょっとしたら時々、兄に連れられて行って、教会に設置されたオルガンに触れる機会もあったかもしれない。しかし、当時のドイツの鍵盤楽器事情に照らして考えると、つましいオルガニストの家庭で、10歳の少年が練習用に与えられた楽器が、小型のクラヴィコード以外のものであった可能性はほとんど考えられない。

(中略)

クラヴィコードにおける孤独な精神世界が、彼の精神的成長を促したことは、想像に難くない。自室で独りクラヴィコードの神秘的な音色に耳を傾けながら、ゼバスティアンは、神の懐に抱かれているのを感じつつ、やがて彼が創造する極大の世界を夢想していたのかもしれない。

渡邊順生著『チェンバロ・フォルテピアノ』東京書籍、2000年

 

2.2 クラヴィコードを用いたバッハの鍵盤楽器教育

私はまず、彼の楽器演奏の教え方について若干述べておこう。

彼がそこで最初にやったのは、すでに述べたような彼独自の打鍵法(注)を教えることであった。この目的のために弟子たちは、この明確で綺麗な打鍵を常に心掛けながら、何ヵ月ものあいだ両手のすべての指のための独立した楽句ばかりを練習しなければならなかった。数ヵ月のあいだは誰しもこの練習から解放されず、バッハの信念によれば、そのような練習は最低六ヵ月から一年つづけねばならなかった。

しかし、弟子の誰かが数ヵ月たって忍耐力を失いそうになると、バッハは親切にも、すべての練習課題を採り入れた一連の小品を書いてやった。初心者のための六つの小前奏曲〔BWV933~938〕や、さらには十五曲の『二声インヴェンション』〔BWV772~786〕がその例である。このどちらも彼がレッスンの際中に書きおろしたもので、もっぱら弟子の当面の必要を考慮に入れたものであった。

だが彼はのちにそれらを美しい表現豊かな小品へと書き改めた。指の練習のための独立した楽句であれ、そのために書かれた小曲であれ、それらは両手のあらゆる装飾音の練習と結びついた。

ヨハン・ニコラウス・フォルケル著『バッハの生涯および芸術作品について』1802年

(注:同じ書物の中に詳しく書かれた、クラヴィコード演奏に最高度の明確さを与えるバッハ独自の打鍵法のこと)

 

2.3 バッハの鍵盤曲に見るクラヴィコードの大いなる可能性

2.3.1 リュートの模倣

例:リュートまたはチェンバロのための 前奏曲、フーガ、アレグロ 変ホ長調 BWV998

 

2.3.2 ソロ歌手のように

例:フランス組曲 第5番 ト長調 BWV816より サラバンド

 

2.3.3 教会の合唱を思わせる

例:シンフォニア 第1番 ハ長調 BWV787

 

2.3.4 底抜けの賑やかさ

例:平均律クラヴィーア曲集第1巻より 前奏曲 嬰ハ長調 BWV848/1

  

2.4 無伴奏ヴァイオリン曲をクラヴィコードで弾いたバッハ

バッハの弟子アグリーコラ(Johann Friedrich Agricola, 1720-74)によると「バッハはしばしばクラヴィコードで、自作の無伴奏ヴァイオリン・ソナタを即興的に必要な和音を加えて演奏した」

例:

無伴奏ヴァイオリン・ソナタ 第1番 BWV1001より アダージョ、フーガ

無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第2番 BWV1004より シャコンヌ

無伴奏ヴァイオリン・パルティータ 第3番 BWV1006より ロンドー形式のガヴォット

このことの意味:

バッハは無伴奏ヴァイオリン曲を純粋なヴァイオリン音楽とだけ考えていたのではないし、クラヴィコードを純粋な鍵盤楽器として考えていたのでもない。