リコーダー少年

あるところに、幼い頃から音楽が大好きな少年がいました。彼はリコーダーが得意で、小学校の帰り道はいつでもランドセルを背負ったままリコーダーを吹きながら帰ってくるという、かなり変わった男の子でした。

両親は特に楽器が弾けたりするわけでもない普通の人でしたが、毎月1枚クラシック音楽のレコードを買ってあげるなどして、音楽好きの少年を応援していました。また親戚に音楽の教員をしている叔父さんがいて、リコーダーが好きだという少年のためにヘンデルのリコーダー・ソナタのレコードをカセットテープに録音して送ってくれたりしていました。バロック時代にはピアノの代わりにチェンバロという楽器で伴奏していたのだということも、送ってもらったカセットテープで初めて知りました。

ヴィヴァルディの協奏曲集「四季」もよく聴きました。小学生ですから音楽史の知識などありませんでしたが、子供心に「ヘンデルとかヴィヴァルディの音楽は楽しくて、それにきれいだな」と親しみを感じていました。

ピアノを習い始める

そのころは小学生の女の子たちの多くがピアノを習っていました。少年は自分では学校一番のリコーダーの名人だと思っていましたが、ピアノが全く弾けないことで悔しい思いもしていました。6年生になった春のこと、少年は両親に頼み込み、念願のピアノ教室にかよい始めたのです。

リコーダーではヴィヴァルディのリコーダー協奏曲を吹き散らかすほどに上達していた少年ではありましたが、ピアノとなると分からないことだらけです。左手のためのヘ音記号の読み方を習うところからコツコツと勉強するのは、また新鮮な楽しみでもありました。一人でメロディも伴奏も両方弾けるというのは、これといってリコーダーのグループに属することもなく一人で吹いてばかりいた少年にとっては特に嬉しいことでした。

いよいよバッハを弾く

それまでリコーダーを吹いていた時間が全部ピアノを弾く時間に変わり、かよい始めた近所のピアノ教室の一番新しい生徒だった彼は他の生徒を次々に抜き去り、2年後には一番上手な3人の中に入ってバッハの「インヴェンション」という曲集に取り組むまでになりました。

バッハにはリコーダー独奏のためのソナタなどは無いので、リコーダー少年だった彼にとってはそれまでバッハとはあまり接点がありませんでした。管弦楽組曲第2番のフルート独奏のパートを耳で覚えて吹き散らかしていたくらいでした。それでも、ヘンデルやヴィヴァルディでじゅうぶんに親しんできたバロック音楽の最大の天才バッハの音楽なのだから、さぞ素晴らしい音楽なのだろうと期待していました。

裏切られた期待

ところがです、バッハのインヴェンションのレッスンが始まってみると、期待していたのと全く様子が違うのです。

バッハは練習曲なのだから、拍をしっかり守って、感情は入れないで、楽譜に書かれたことだけを正確に弾きなさい。

トリルなどの装飾音は、正確に16分音符や32分音符として左手の細かい音と対応させて弾きなさい。

ヘンデルのリコーダー・ソナタの天真爛漫な喜びや、うっとりと流れる曲線美、ヴィヴァルディの協奏曲の目もくらむような華やかさや、劇的な明暗のコントラスト・・・。それらの、リコーダーを通して大好きになっていたバロック音楽と、これが同じ時代の音楽、それもバロック時代で最も偉大な天才とされる作曲家の音楽とは到底思えません。一言で言えば「つまらない」のです。

「何かが間違っているに違いない」と子供心にも先生の指導に疑問を持った少年ですが、レコードで買って聴いてみたピアノでのバッハ演奏がまた同じように四角四面で面白くなかったものですから、自分ではどうしたらいいのか分かりません。ツェルニーの練習曲と同じくらいつまらないと思いつつもインヴェンション全15曲と、その上の課題であるシンフォニア全15曲のレッスンをどうにか終える頃には、もうすっかり「バッハ嫌いの少年」ができあがっていました。

チェンバロによるバッハ演奏に出会う

そのころ、ようやく日本にもチェンバロによるバッハ演奏のレコードが手に入るようになりつつありました。少年は偶然一枚のレコードを手に入れました。バッハの「フランス組曲」という曲集をチェンバロで演奏したものです。そこには、以前から親しんでいたヘンデルやヴィヴァルディの生き生きとしたバロック音楽の世界が見事に息づいていたのです。少年は「これだ!」と思って、そのレコードの真似をし始めました。

その演奏は、楽器の音色がピアノと違うだけではありませんでした。弾き方が全然違うのです。レコードと同じようにするには、かなりテンポをゆらしたり、楽譜に書いてない装飾音などもどんどん追加したり、同時に3つ以上の音を弾くときには楽譜に書いてなくても積極的に分散和音にしたり、といったことを意識的に施す必要がありました。

ピアノ教室を辞める

ちょうどレッスンでフランス組曲の第6番のサラバンドを習っているときでした。少年は思い切って自分が正しいと思うスタイルを先生の前で弾き、「僕はこういうバッハが本当だと思うのです」と訴えました。先生の答えはこうでした。

そういうバッハを弾きたいのなら、音楽大学の古楽科にでも行って勉強すればいい。バッハは練習曲なのだから、そのように正確さを欠く演奏は許しません。

少年はその日を限りに4年間かよったピアノ教室を辞めました。

レコードとCDが先生代わり

もう誰も自分がやりたい音楽を邪魔する人はいない! 一方で、もう誰も自分に音楽を教えてはくれない。「バッハの本当の弾き方をどうやって勉強したらいいのだろうか?」と少年は思いました。どこかに専門書などあるのかもしれませんが、どこにあるのか、そもそも存在するのか、何も手がかりが無ければ子供一人の力ではどうすることもできません。

ですから少年はひたすら新しく発売されるレコードと、その頃ようやく発売され始めたCDに手本を求め続けました。まさに手探りでした。素晴らしく自由なバッハ演奏もあれば、練習曲としか思えないバッハ演奏もありました。それでも、「どうやらヘンデルやヴィヴァルディと共通したバロック音楽らしい美しさにあふれたバッハを聴きたかったら、チェンバロの演奏を買ったほうが失敗が少ないらしい」ということに気がついて、同時に自分でもチェンバロが欲しくて欲しくて仕方がなくなってきました。

憧れのチェンバロを手に入れる

両親から「音楽家なんかを目指して人生を棒に振るものではない」との忠告をずっと聞かされて育った少年は、勉強を頑張って大学の工学部に進学し、入学祝に小さなチェンバロを買ってもらいました。かつて「リコーダー少年」だった彼は、「バッハ嫌いの少年」を経て、今や「チェンバロ青年」に成長しました。

授業が終わって帰宅すると毎日毎日チェンバロを弾きました。楽譜を買って、CDを買って、CDの演奏を真似て弾き散らかす、そんな日々が続きました。大学院まで進学してもチェンバロ熱は下がらず、卒業して機械メーカーに就職しても続きました。「私は誰のレッスンも受けていないのに、こんなにバロック音楽らしい美しさにあふれたバッハを弾けるんだぞ!」と彼は鼻高々でした。

脱サラ

そんな彼に大きな転機が訪れました。会社での責任が次第に重くなるにつれて、チェンバロを弾く時間が全くといっていいほど取れなくなったのです。一方で、彼がチェンバロを持っているという噂は少しずつ広まっていて、「小学校で子供たちに聞かせてほしい」「私たちの弦楽合奏のコンサートにゲスト出演してほしい」といった依頼が来るようにもなっていました。選択を迫られた彼は、会社を辞めてチェンバロ演奏家として生きる決断をしました。30歳の時です。

本物の情報源から得た最大の教え

その歳にして初めてプロのチェンバロ奏者の門下に入った彼は、すぐに自分が実は何も分かっていなかったことに気付かされました。彼がプロの演奏を真似して、テンポをゆらしたり、装飾音を追加したり、分散和音を多用したりしても、「理由も分からず形だけ真似したって説得力が無い」と言われました。それに、世間に流布しているいわゆる「バッハ演奏の規則」なるものには、かなり出所の怪しい間違ったものがたくさんあることも知らされました。自分が間違った演奏を真似し続けてきたと知って、彼は非常にショックを受けました。

それまでさまざまな情報に場当たり的に接するしかなく遠回りしてきた彼は、今度こそ本物の情報を求めることに意識を集中しました。海外から来日する一流のチェンバロ奏者のマスタークラスを次々に受講し、何度も何度もコンクールに挑戦しました。そして、単にこの曲をどう弾くかということを超えた、多くのことを学びました。

  • 「バロック時代の演奏スタイルは、本を読めば解決するような単純な問題ではない。」
  • 「その時その時で最善と思われる演奏をたくさん聴いて研究しなさい。」
  • 「音楽以外の芸術や歴史や文化との関連を意識するように。」
  • 「すべての表現に自分で納得できる理由を持ちなさい。」
  • 「常に最新の研究に目を光らせること。」

バッハ演奏には、一度歴史から消えて伝統が途絶えた演奏スタイルを再現しなければならないという、バロック音楽特有の事情があります。いわば考古学のようなものです。歴史的な文献を研究する音楽学者たちと、それを実際に音にする演奏家たちによる共同作業が、今でも試行錯誤しながら続いているのです。

彼が海外の一流演奏家やコンクールなど本物の情報源から得た、彼をプロのバッハ弾きへと生まれ変わらせた最大の教えを一文で表せばこうなります。

バッハを弾くとき、それが偉大な天才音楽家の精神遺産であるという以前に、そもそも18世紀前半の中部ドイツの様式によるチェンバロ曲として聞こえなければ何も始まらない。

一流のチェンバロ奏者の説得力ある演奏の陰には、すべての音に綿密な時代考証の積み上げがあったのです。これでは彼がいくらCDの演奏を真似したって、あるレベルから先には進めないわけです。

バッハは私にとって最重要な作曲家

もうお気づきですね? この「彼」とは、他でもありません、私、八百板正己のことです。

私はかつて、的確な情報を得られずに間違ったバッハ演奏を真似しながら、本当の弾き方がわからずに苦労してきました。ですから、他の人が私と同じ苦労をしないで済むことを願って、バッハの本当の弾き方をお伝えする講習会を活動の初期から積極的に開催してきました。

チェンバロ演奏家を志してから現在までに出演した600回ものコンサートでも、演奏の頻度が断然多いのがバッハです。曲間のトークでは積極的に時代背景の解説をしたり、その曲に出てくるバッハの時代特有の演奏スタイルについてデモンストレーションをしたりしました。ただ曲を聴いてもらうだけでなく、バッハがその音を書いたのには歴史的な深い理由があったことを会場のお客様と共有するように努めたのです。

私が主宰するチェンバロ教室では、過去20年の間に100人以上の方に4500時間を超えるチェンバロ指導をおこなってきました。そこでもバッハの作品、特にかつて私をバッハ嫌いにした曲集「インヴェンション」は何度も何度も繰り返しレッスンで取り上げました。

私のチェンバロ教室には、普段ピアノ教室で教える側にいらっしゃる先生方も多いです。そういった専門の方ほど「本当のバッハ」の弾き方をお伝えすると、目を輝かせて

これなら楽しく弾けます!

本当はこんなに美しい曲だったのですね!

ここにこんな音が書いてある理由をやっと納得できました!

と喜んでくださいます。

時代考証の裏付けは避けて通れない

ピアノで弾くのであっても、もはやバッハを演奏するのに時代考証の裏付けは避けて通れない時代となりました。私がこれまで海外の一流のチェンバロ演奏家たちから学び、講習会やコンサートの場でお伝えし続けてきたバッハ演奏のキーワードは、次のようなものです。

バッハ演奏で考慮すべき時代考証のキーワード
  1. 調性格(バッハの時代の不等分調律法の響きの違いがもたらす、各調に固有の性格)
  2. 音楽修辞学(バロック音楽に持ち込まれた古代ギリシャの弁論術)
  3. 語る音楽としてのアーティキュレーション
  4. フランス式装飾音とイタリア式装飾音
  5. 古い時代のテンポ・ルバート
  6. メッサ・ディ・ヴォーチェ
  7. ヴォーカル・ピラミッド
  8. 構造としてではなく運動としてのポリフォニー
  9. 鍵盤音楽に託された他の楽器(オルガン、弦楽器、リュート、合唱など)の響き
  10. バロック時代の他の芸術(絵画、彫刻、建築)との関連
  11. 中世以来の「宇宙の音楽」の概念

どれ一つ取っても、それだけでバッハ演奏ががらりと変わってしまうほどの深い影響力を持つものばかりです。あなたが初めて耳にするのはどれですか? 知りたいものはどれですか?

これが私の使命

バッハを弾くという事でいえば、私よりも優れた人がたくさんいます。外国の一流チェンバロ奏者はもちろん、首都圏などには海外留学から帰国して全国的に演奏活動したり大学で教えたりするチェンバロ奏者も大勢います。でも、私にはアマチュア出身で遠回りして苦労した経験があります。かつての私と同じようにバッハの弾き方が分からずに困っている人には、こんな私だからこそ深く共感できます。こんな私だからこそ分かりやすくお伝えできます。私は、これこそが私の使命なのだと信じるようになりました。

バッハの弾き方についての私の知識と経験を今すぐ受け取って下さい

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