「すみません」と言わない

「すみません」

便利な言葉ですね。とても便利な言葉です。ほとんどどんな時にも使えてしまいます。謝るときだけでなく、感謝するときにも使っています。 言葉本来の意味は「こんなに悪いことをしたのだから、どんなに償っても済みません」だと思うのですけれど。

でも、何年か前に読んだ本でのアドバイスに従って、私はそれ以来「すみません」という言葉を一度も使っていません。といっても、謝らないとか、感謝しないとかいうわけではありませんよ。

その本によれば、私たちが使う「すみません」のほとんどは「ありがとう」と言い換えられるというのです。で、ごく稀にそう言い換えられないとき、それは「すみません」では済まないくらい悪いことをしたときなので、潔く「ごめんなさい」と言うべきだ、というのですね。

そうそう、私はちょっと店員を呼んだりするときは「お願いします」、道を空けてほしいときは「失礼します」と言い換えています。

いずれにしても、良いことをしてもらって感謝するのか、悪いことをして謝るのか、はっきりさせるのが大切だということです。

例えばあなたが旅行に行って、お友達にお土産を買ってきて手渡したとしましょう。そのとき、どう言われると気分がいいですか?

1.「わー、私こういうの好きなんです。どうもすみません!」
2.「わざわざすみません。」
3.「まあ、こんなことしてくれなくてもいいのに。無駄使いさせてしまってすみません。」

分かりやすいように、語尾を少し言い換えてみましょう。

1.「わー、私こういうの好きなんです。どうもありがとう!」
2.「わざわざすみません。」
3.「まあ、こんなことしてくれなくてもいいのに。無駄使いさせてしまって悪いですねえ。」

どうですか?

1.は感謝です。
3.は謝ってますね。お土産をもらって謝る、って、考えてみれば変な反応だと思いませんか?
2.は声の調子によってどちらとも取れます。

私なら、言われて嬉しいのは断然1.です。お土産を買うときって、「あの人は喜んでくれるかな?」「喜んでくれるといいな」と思って買いますよね。喜んだときの笑顔を思い浮かべながら、あれでもない、これでもない、と迷った末に買いますよね。だから1.を言われればすべてが報われます。

言われて嬉しいのが1.だから、私は自分が言うときも1.を言うんです。相手の反応が変わりますよ。絶対笑顔になってますよ。

それだけではありません。「すみません」を「ありがとう」に言い換えると、もっといい事が起こるんです。一日に何度も自分の口から「ありがとう」の言葉を発していると、「私には良いことがたくさん起こっているんだ」と潜在意識が感じるらしいんですね。何だか良く分からないけど幸せを感じるし、結果として免疫も高まって病気をしなくなったり。

言葉の持つ力は大きいです。特に口癖となるような言葉はいつのまにか潜在意識に働きかけるので、 積もり積もってその人の人格にまで作用するとのことです。裏づけとなる最新の研究結果もたくさんあるそうですよ。

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「すみません」と言わない” に対して10件のコメントがあります。

  1. Y.M. より:

    感謝の気持ちを素直に表すことは、とても大切なことだと思います。
    もし、私のコメントに対する八百板さんの返信の1行目が「すみません」だったら
    「は?」と思ってしまいますね。

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。
      もしかすると、良いことをしてもらっても素直に感謝できないのは、「自分はそんなことをしてもらうほどの値打ちのある人間じゃない」という自己肯定感の低さが根底にあるのかもしれません。だとしたら事は重大ですね。

  2. より:

    初めてコメントします。おっしゃっていること、よくわかります。特に4年間オランダで暮らした経験から「すみません」はほぼ使わなくなりました。とても日本的な雰囲気にいたとしても「ありがとうございます。お気を使っていただいて」等に言い換えるようにしています。なんだか自分の人生を能動的に楽しんでいる自覚が湧くようになりました。

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。

      オランダにいらっしゃったのですね! 憧れです。古楽復興のメッカ、オルガンの巨匠スヴェーリンクが活躍したアムステルダム、私もいつか行ってみたいです。

      そうですね、これからは日本のよさを残しつつも、「自分の人生を能動的に楽しめる」ような行動をいろいろ取り入れていきたいですね。

  3. N.Mより より:

    楽しみに読んでおりますが、今日は3/21。非常に遅れて読んでおります。
    以前、悪くもないのにと言ったら、と外国の方に怒られて困った、という様な話を聞いた事があります。確かに国際社会では、日本のは使わない方が良いかも知れません。でも、曖昧なを、私はそう嫌いではないです。日本語は場を読む言葉だ、という言語学者の本を読んだ事を思い出しました。は、どの場をもカバーする言葉で、言われた方も、どういう意味のなのか推測して受け取る、と考えると、凄い高度な事をしている、と言えるかも知れません?…と、長く書きましたが、読んでいただけたのでしょうか?

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。
      日本語が言葉の意味をそのまま受け取らずに場を読む、とは確かに高度なことですね。
      私の場合はその高度なことを的確に使い切れないと思うので、使う言葉自体を変えてみようとしているわけです。これから先、自分の言葉の使い方もまた少しずつ変わっていくのでしょうね。

  4. 芹澤ヨシノリ より:

    根が深い問題だと思います。
    これは明治維新以降の日本人一般大衆の、総合的な集合意識の、一つの例に過ぎないと存じます。
    世界中の国や民族の支配層は、日本の支配層が羨ましくて仕方なく、出来れば自分が日本を統治したいと思っている。
    実際に近年、あからさまにそれを狙っている他国の支配者たちが、そのような動きを見せている。
    統治者に対して、自ら「どうぞ王様、自ら私達を厳しく取立て、支配してください。」という、良くても悪くても何でもかでも「すみません」と自責なニュアンスを含んだコトバを発する潜在意識です。
    なので支配層側も、「うむ、苦しゅーない、表を上げよ」と、手加減的な顔を見せれば堂々と圧政を敷ける。
    まぁ、それで殺さず生かさずみたいな妥協点を維持しているので、本当は我々国民が「すみません」を連発することで、手加減を心得た統治者を雇っているのかもしれません。

    1. 八百板 正己 より:

      なるほどなるほど。
      でも、本当に他国に侵略されたら、他国の支配層はきっと日本人に手加減しませんよね。
      まあ、国際政治のことは自分一人が言葉遣いを変えたからどうなるものではないでしょうけれど、自分の人生は大きく変えられると思うんです。

  5. 星野裕子 より:

    先生が例文に出した、語尾を言い換えた3番は、年配の方々の方言で、以前よく聴かれたような。。。「わ~りぃですねぇ」と、謙遜した言い方ですが、ほのぼのとした口調で語られる事が多かったせいか、ちょっと懐かしい感じがします。

    私は、いわゆる「スピリチュアル系」というジャンルの本もよく読むのですが、先生が書かれているような事も、よく載っています。
    「受け取り上手」という言葉もあって、相手からの好意を素直に喜んで受けとると、相手も嬉しいのはもちろん、幸せの循環が起きたり、更に良いことがもらたされる事もある、など。
    今度は自分が、他の誰かに、良いことの循環を回していこう、とも思います。
    「すみません」と言ってしまうと、せっかくの相手の好意を、しっかりと心の中で受け入れていない状態になっているのではないでしょうか? 結果、「こんな事をして頂いて、嬉しかった」という記憶が残らなかったり、自分も幸せの循環をしていこう、という思いも沸いて来なかったり。
    無理に自分から良いことをしようとすると、押し付けになってしまう事もあるので、まずは、他の方からの好意を、素直に喜んで「ありがとう」と声に出すことから心がけたいです。

    1. 八百板 正己 より:

      なるほど「受け取り上手」ですか。
      ありがとうございます。私も勉強になります!

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