太い音、細い音、硬い音、やわらかい音

音色を言葉で表すのって難しいですよね。「音色」という言葉自体、音の性質を色で表そうっていうんですから。

私の専門はチェンバロです。チェンバロを説明するときに「簡単に言えばピアノの先祖です」というようにピアノを引き合いに出します。その流れで、音色についても「ピアノに比べてずっと細い音です」と言ったりします。でも、細い音ってどういう音?

チェンバロはピアノに比べてずっと細い弦を、ピアノのハンマーに比べてものすごく小さくて薄い爪ではじきます。そのため、専門用語を使えば「倍音が強い音」が出ます。それを細い音と表現しています。

人の声でも「細い声」「太い声」と、同じ言い方をしますね。概して(概して、ですよ)やせている人は細い声、太っている人は太い声のような気がします。

ヴァイオリンの低い音はただ低いだけでなく太い弦を弾くので、基音が強い(=倍音が弱い)音がします。ヴァイオリンの高い音は細い弦を弾くので、倍音が強い音がします。この場合も「太い音」「細い音」と言って大丈夫でしょうか。

ただ、ヴァイオリンでは弦のどこを弾くかによって音色が大きく異なります。指板(左手で弦を押さえる板)に近いほうを弾くと倍音が弱くなります。駒に近いところを弾くと倍音が強くなります。この場合は「細い」「太い」ではなくて「硬い」「やわらかい」という言い方をするようですけど、ヴァイオリン奏者の方、合ってますか?

「硬い」「やわらかい」というのも、日常見られる物理現象からの類推ですね。硬い金属をたたけば倍音が強い「キーン」という音がするし、やわらかい木材をたたけば倍音が弱い「コン」という音がします。もっと柔らかい毛布をたたけば倍音がほとんどない「ばふっ(???字で表せません)」という音です。

私は以前チェンバロの音を「硬い音」、ピアノの音を「やわらかい音」と表現していたことがありました。ところが、とくにチェンバロを初めてお聴きになるお客様からの感想が「チェンバロの音はやわらかい」なのです。これはどういうことでしょうか?

初めてチェンバロをお聴きになる方にとって、チェンバロの音が小さいことがまず驚きのようです。そして「こんなに音が小さくて繊細な楽器」という感想から「繊細で優しい楽器」となって「優しい楽器が奏でるやわらかい音」となるようなのです。何度か私は「でも専門的に言えば、倍音が強い音、つまり硬い音なのですけれど」と言葉を返してみましたが、「いえ、柔らかい音です」と言い返されました。

では「明るい音」と「暗い音」はどうでしょう? チェンバロは倍音が強いから明るい音。ああ、でもこんなことを言うとピアニストから叱られますね。「ピアノは暗い音ではありません!」ってね。

「輝かしい音」と「落ち着いた音」は? これもダメですね。チェンバロで弾くアルマンドは落ち着いているし、ピアノで弾くポロネーズは輝かしいです。曲のイメージと切り離して音色だけを表現できません。

「冷たい音」と「温かい音」は? これは私のほうが願い下げです。「チェンバロの音は冷たくありません!」 言葉の連想としては、「冷たい氷は硬い」「やわらかい毛布は温かい」なのでしょうけれど。

「尖った音」と「丸い音」は? 丸い音という言い方は私も時々使いますけど、その逆を表すいい言葉が思いつきません。「チェンバロの音は尖っている」と言われては困ります。

これ以上はお手上げです。文学に親しむなどして語彙を増やしてから出直したほうがよさそうです。チェンバロとピアノの音色について、何かいい言葉を知りませんか?

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太い音、細い音、硬い音、やわらかい音” に対して1件のコメントがあります。

  1. 藤田弘一 より:

     単なる表現の問題ですが、「硬い音」を「硬質な音」と言い換えてみたらどうでしょう。チェンバロの音色を「硬い音」ではなく「柔らかい音」だというご意見には、「硬い」という表現の持つマイナスのイメージが影響しているかも知れません。例えば、「頭がかたい」よる「頭がやわらかい」と言われる方が、「かたい態度」より「やわらかな態度」の方が、好感されるだろうと思います。そうであれば、より評価的イメージが薄い、客観的な表現に置き換えるのも、一つの方法かなと思います。
     また、もし機会がありましたら、「倍音」と「基音」の違いについて、教えていただければ幸いです。もしかすると、すでに取り扱われたテーマなのかもしれませんが・・・・。

    1. 八百板 正己 より:

      藤田さん、コメントありがとうございます。

      なるほど、「硬い」という表現の持つマイナスのイメージですか。硬いものは何かと人を傷つけますからね。ぶつかれば打撲を負うし、こすれれば擦り傷を負うし、刺されば血が出ます。
      そういえば、何百年も前のフォルテピアノと現代のピアノを比べた文章の中で、こんなのを読んだことがあります。「今のピアノは大きくて重くて、うっかりぶつかればこちらが怪我をする。いっぽうでフォルテピアノは軽くて華奢で、うっかりぶつかると楽器のほうが壊れそう。」

      倍音と基音についてのリクエスト、ありがたく承りました。

  2. higurasi より:

    深い楽しいテーマです。。。微妙に変化しつつ決して退屈させない音の連なり、心に伝わる清々しさ、優雅さ、癒し、パワー、絶妙な「間」や「強弱」を伴なって演奏者が音楽を通して伝えてくれる、言葉での表現がとても難しい「すばらしいなにか」、~ 冷たい音といえば、フラメンコギターのひやりと氷水を背中に流されたような音もとても素敵です。考えるほどに面白い音の世界。。。
    先日のコンサートのあと、なにか肩の力が抜けてふわっと日常を過ごしている自分、音楽はいとも簡単に「脳」を通さず人生哲学をこころの深い部分で納得定着させるもののようです。
    どんな楽器でも出た音はその時点の演奏者そのものと言えるのかも知れません、そう考えると、音を愛おしむ気になります、美しい音色のバックにはとてもたくさんのことがあるのですね。

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。
      音楽をそのように深く捉えていただけて嬉しいです。
      「出た音はその時点の演奏者そのもの」であるだけに、演奏する側にとっては大変でもあります。練習して技術を磨けばいいという問題では済まないからです。人生には試練が絶えませんが、それは「今ここで人間性を高めて内面を磨きなさい」という導きなのでしょう。

  3. 家合映子 より:

    higurasi さんの、”美しい音色のバックにはとてもたくさんのことがあるのですね”に同感しました。”どんな楽器でも出た音はその時点の演奏者そのものと言えるのかもしれません”—私もそう考えます。ここに演奏者の努力、というかトレーニング?がある?(表現が難しいですが)—そういうことを、尊敬する諸先生方から教えて頂いたと思います。・・少しずれてきたかもしれません。またよろしくお願いいたします。

  4. T.H より:

    「チェンバロの音は 銀の鈴の音色」というのをずいぶん前に読んだことがありました。
    そのときからチェンバロの音ってどんな音がするのかな?金の鈴でなくて銀の鈴なの?

    今でも時々思い出しています。
    もう一つ「真実一路の旅なれど 真実鈴ふり思い出す」という文が頭によぎります。
    山本有三の作品や、北原白秋の詩の一節ということですが。

    メロディーによって音色はいろいろに変わって聴こえてくるように思います。

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。

      チェンバロの音を金でなく銀に例えるのは、「美しいのだけれども少し控えめ」という感覚かなと思います。これ見よがしに自己主張しない楽器だと思われているのでしょうか。

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