あのパッサカリア

子供のときからずっと気になっていた感動の曲。私の中での呼び方を「あのパッサカリア」といいます。

小学校時代の私はリコーダー少年でした。父が買ってきてくれたリコーダーの曲集の中に、4小節の練習課題がいくつも載っていました。たいていは16分音符の連続で、テクニックの向上を意図して載せられていたのでしょう。それらにはすべて「ヘンデル作曲アレグロより」みたいなタイトルが付いていたように記憶しています。伴奏も何も付かないリコーダー1本のための練習課題で、しかも同じ形(例えば下降音階ラソファミレドシラ)を音程を変えて繰り返すだけですから、まあ単純で無味乾燥なわけです。それらの大半は短調のようでしたが、いくつかは長調のようにも思えました。単旋律なので良く分かりません。

ある日のことです。大して気にも留めていなかったそれらの練習課題が、意外な形で私の目の前に姿を現しました。まだピアノを習っていなかったと思うので小学校の5年生以下だったはずです。テレビで見ていたクラシック音楽番組の中で、ピアニストがその曲を弾き始めました。ピアノのソロコンサートだったか、ピアノ協奏曲のアンコールだったか、細かいことは覚えていませんが。

感動を呼ぶ4小節のお決まりの和声進行(理解しやすいようにイ短調に移して説明しましょう。ラドミ→レファラ→ソシレ→ドミソ→ファラド→シレファ→ミソ#シ→ラドミ)が何度も何度も繰り返されました。その和声進行に乗せて、私が日頃リコーダーで練習している練習課題が次々に現れるではありませんか! 私はテレビの画面に釘付けになりました。私が長調だと思っていた旋律も、同じ短調の和声進行の上に展開されていきます。ああ、これらはみんな同じ曲の一部だったんだ! そして、リコーダーの練習課題に載っていない、もっと複雑な、もっと感動的な変奏が畳み掛けられていきました。

その時にテレビ画面に曲目がどう紹介されていたのかは覚えていませんが、少なくとも「アレグロ」なんていう曲名でないことだけは確かでした。子供心に「曲名が違うじゃないか」と、リコーダー曲集の信頼性を疑ったのを覚えています。正しい曲名を覚えられなかったので、その感動的な曲との縁はそれっきりになりました。もし曲名をメモしたとしても、近くのレコード屋の店員に聞いたって全く埒が明かないのですから、始めから諦めていましたけど。

 

中学生になって、ピアノを習っていた私は親を説得して「国立大学に現役で合格したらチェンバロを買ってもらう」という約束をしました。ピアノ教室で渡される課題はほぼすべてロマン派の曲でしたが、私の頭の中はチェンバロのことでいっぱいです。先生に内緒でヘンデルのチェンバロ曲の楽譜を全部そろえて、一冊目の端から弾き始めました。

すると、一冊目の後ろのほうに、いましたいました! あの感動的な曲が! 組曲ト短調の最終楽章「パッサカリア」です。何年ぶりかの再会です。今度はどこにも逃がさないぞ。ここに自分の楽譜があって、自分の手で弾くんだから。

ちなみにその時の楽譜は今でも使っています。かなりボロボロです。

 

今でもコンサートで「あのパッサカリア」を弾きたくなります。でも、なかなかその機会はやってこないんです。すごく熱い感動的な楽章ですが、長大な組曲を第1楽章から順に全部弾いた時にだけその本当の価値が分かります。アンコールなどでそこだけ弾くと何だか取って付けたようで変なのです。弾きたい弾きたいと思いつつも、誤解を受けずに価値をお伝えできるのは当分お預けでしょうか。

 

追伸

「どんな曲か興味のある方は、Youtubeで検索してください」と書こうと思って、試しに「ヘンデル パッサカリア」で検索してみました。すると、検索結果のほとんどがヴァイオリンとチェロ用に編曲されたものばかりなのです。しかもみんなヘンデルを誤解しています。「ヘンデルはそんなつもりで書いたんじゃない!」と叫びながら、次に「ヘンデル パッサカリア チェンバロ」で検索してみました。相変わらずヴァイオリンとチェロ用の編曲がたくさん並ぶ中に、5つくらいチェンバロの演奏も表示されるようになりました。ピアノの演奏もいくつかあります。でも再生してみると、アマチュアがやっと弾いていたり、作品の表面的な大仰さを誇張しただけだったりと、お勧めできる演奏を探し出すのは大変です。

皆さんにこんな苦労をさせては申し訳ありませんから、中でも比較的私の価値観と共通するところのある演奏を一つご紹介しておきます。といっても、私がいつも涙ぐんでしまう半音階の変奏のところで、わざわざ上鍵盤に移って熱を冷ましてしまうのはどうにも納得できないんですけれど。

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あのパッサカリア” に対して13件のコメントがあります。

  1. 家合映子 より:

    ありがとうございました。画像も素敵でしたし、演奏も。またこのブログ、開かせて頂きます。

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。彫刻の人物が人生について語り合っているような、そんな錯覚を私は抱きました。不思議ですね。

      1. 家合映子 より:

        “錯覚”ではなく、まさにそうだと、今も私は思っています。この様な動画を、また演奏を、選んで紹介してくださった八百板先生は、良いセンスを持っておられるのだなあ、とあらためて思いました。また、一つの彫塑の作品から、物語を色々想像します。”音楽と美術”っていいですね。ありがとうございました。

        1. 八百板 正己 より:

          写真の撮り方も上手なのだと思いますよ。この作品の所在地を調べようと思って検索したら、同じ作品とは思えないつまらない写真が載っていました。彫刻を見るときは、物としてではなく人間だと思って向き合うといいのでしょうね。

          1. 家合映子 より:

            写真の撮り方も大切なのですね。(でも)私、あの彫塑、とても好きです。

  2. higurasi より:

    いいですね~、音と絵で心はまるで夢の中にいるような、、素敵な小旅行ができました

    1. 八百板 正己 より:

      ありがとうございます。

      なるほど「小旅行」ですか。実際に彫刻があるのは東京都文京区大塚にある「教育の森公園」だそうです。現地では街の車の音とかがいろいろ聞こえそうで、夢の中にいるのとは違った感じなのでしょうね。

  3. higurasi より:

    どんなもの、どんなことにも美はあるのですね、今日のブログ、八百板先生が右足を引いた立ち姿がすでにバレリーナのように軽やかに美しく、人の所作はこうでなくては、と思いました。自分もスーパーで買い物をするときでも背筋を伸ばしてきれいに歩こうと思いました。同じ彫刻でもそこに物語を感じながら撮ったならばあのように詩情豊かな映像が生まれるのでしょう。いろいろ心がけたいと思う今日この頃です。

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。

      お褒めいただいて嬉しいですけれど、まともなのは右足を引いて構えているときだけでした。動き出したら背中が曲がっているのが、横からの録画でしっかりバレてしまっています。2年少々バレエ教室に顔を出したくらいではこの程度ですが、でも日常生活の中で背筋を伸ばす嬉しさを知ったのは収穫でした。

  4. T.H より:

    実は私も大変きれいな画像だなあと思って拝見していました。
    もっと続けられたらバレーダンサーになられるのでは?と。
    演奏家との両立は難しいでしょうけど。先生はどちらを選びたいとお考えでしょうね。

    1. 八百板 正己 より:

      私はやっぱり演奏です。

      舞台でバレエを踊るには、子供のときからの柔らかい体作りがどうしても必要です。ですが、音楽に生かすための教養として踊るのは何歳になってからでも実りある学びだと思っています。

  5. 佐々木 弘幸 より:

    譜面に忠実かどうかは別として、私としてはS.ロスの演奏が最も泣けると思います。

    熱さとはかなさと切なさのバランスが一番良いのではないかと。

    1. 八百板 正己 より:

      コメントありがとうございます。
      この曲自体がヘンデルの即興演奏の反映とも考えられますから、この楽譜に忠実である必要はないと私は思っています。
      たしかに、この曲を単純に熱さだけで押し切ってしまうのはもったいないですね。おっしゃるように「はかなさ」や「切なさ」も併せ持つ演奏を、私も目指したいです。

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