どうしてチェンバロなのか

「今度私たちの会合でチェンバロを弾いてもらえますか?」

「本当ですか? ありがとうございます!」

「で、知らないクラシック音楽ばっかりだと退屈だから、歌謡曲とか、アニメの主題歌とかを弾いてほしいんです。」

「・・・せっかくのお誘いですが、チェンバロは特殊な楽器でして・・・」

「じゃあ、せめて”乙女の祈り”とか、”子犬のワルツ”とかなら弾けるでしょ?」

「・・・お言葉ですが、300年くらい前のヨーロッパ宮廷音楽に特化した楽器ですので、それ以降のピアノ曲を弾いても、ピアノで弾いた時のような効果はありません・・・」

「どうしてそんな融通の利かない楽器を弾いてるんですか!」

最近はこういう話をいただくことは無くなりましたが、駆け出しの頃は本当によくありました。どうして、と言われても困りますよね。チェンバロが好きで好きで仕方がないんですから。理由なんてありません。

 

チェンバロに限らず、この時代の楽器というものはどれも、現代の国際標準化された画一的なマシンとはずいぶん違います。バロックヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、フラウト・トラヴェルソ、ナチュラルトランペット。どれも何だか民族音楽的な土着の道具といった感じを受けます。

私は趣味で三味線も弾くのですが、三味線でヨーロッパ音楽が演奏できないのと同じように、チェンバロでショパンは弾けないし、フォルテピアノでアニメの主題歌はやっぱり弾けません。限られた地域の、限られた時代の音楽だけに特化しています。

欧米諸国が近代合理主義を推し進めて世界を席巻し、今、世界中がみんな同じになってしまったかのようです。だからこそ、今、チェンバロとかフォルテピアノとか三味線とかが求められているんだと、私は信じています。

 

今、私のスタジオにはチェンバロ族の鍵盤楽器が3台、それとショパンの時代のフォルテピアノが1台あります。どれも、手に入れたときには人生の一大事件でした。世界中のどんな音楽も自在に弾きこなせるピアノという楽器を離れて、まずバロック音楽なら一通り何でも弾けるチェンバロを手に入れました。それに飽き足らず、もっと特殊な、もっと融通の効かない楽器を、と求め続けた結果です。

本当はもっともっと楽器がほしいんですけどね。イタリア様式のチェンバロ、クラヴィコード、小型オルガン、モーツァルト時代のフォルテピアノ・・・。でも置く場所がないので、当分このことは考えないようにします。

 

スタジオにある4台の楽器については、このページで熱く詳しく語っています。
スタジオと所有楽器
字数を数えてみたら、楽器1台あたり5000文字から6000文字でした。お時間があるなら、お付き合いくださると嬉しいです。

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