私は音楽を通して世界平和の実現に貢献します

いきなり何を言い出すのか、と笑わないで下さいね。私は本気なのですから。

 

あなたはこんな話を聞いたことはありますか?

男たちがレンガを積んでいました。
ある作業者に「あなたは何をしているのですか?」と尋ねたところ、疲れきった表情で答えました。「見りゃ分かるだろ? レンガを積んでいるんだ。」
別の作業者に同じことを聞くと、目を輝かせて答えました。「私は大聖堂を建てています。」

 

私のチェンバロコンサートに話を移しましょう。演奏は一発勝負ですから、どんなに練習を積んでも、あらかじめイメージしたとおりにうまく弾ける時もあれば、そうでない時もあります。でも時折、年に数回、時間にしておそらく数秒から長くても1分程度、そういうことを完全に超越した不思議なことが起こるのです。自分の手に何かが乗り移って勝手に動いているような感覚になり、自分ではイメージすることすらできなかった絶妙で完璧な歌いまわしで、チェンバロの音がものすごく巨大に聞こえ、気が付くと私は息も止めているのです。受付をしてくれている妻に聞いてみると、その同じ瞬間に妻も、そして客席全体も同じ感覚に包まれていたと言います。

似たようなことは、数人のアンサンブルや、私が指揮をする新潟バッハ管弦楽団&合唱団の公演で起こることもあります。この現象を業界では「音楽の女神が微笑んだ」と言ったりしますが、新潟バッハ管弦楽団&合唱団の団員たちは「バッハが降臨した」と表現しています。いずれにしても、一度この神秘を体験してしまうと、もう後には戻れません。自分が演奏する時も、聴く側にいる時も、今日はこの神秘体験ができるかできないか、そればかりを追い求めてしまいます。

幸運にもこれを体験できた日は、私はいつもなら気に障るようなことでも全く気になりません。どんなことでも肯定的に考えている自分がいます。普段は見えない何かが見えているようです。同じ場に居合わせた人たちを、初対面なのにずっと昔からの仲間のように感じます。互いに認め合い、尊敬し合い、力を合わせて意義あることを成し遂げたいとの願いが湧き起こります。

 

私がチェンバロを弾くことによって、私の周りの小さな小さな世界で人々がこのように変われるとしたら、新潟県内のあらゆる音楽ジャンルの人々が同じ事をしたらどうなるでしょう?「新潟県の人は輝いていますね。それも、自分のためにではなく、他者のために輝いているのですね。」と言われるようになるでしょうか? それに刺激されて、日本中のあらゆる音楽ジャンルの人々が同じ事をしたらどうなるでしょう? それに刺激されて、世界中のあらゆる音楽ジャンルの人々が同じ事をしたらどうなるでしょう? 世界中の人々が、どんなことでも肯定的に考え、互いに認め合い、尊敬し合い、力を合わせて意義あることを成し遂げたいと願えば、どんな未来が待っているでしょう?

私にとっての「レンガ積み」が「チェンバロを弾くこと」なら、私にとっての「大聖堂」は「世界平和」です。

 

さらに私は考えました。今までどおりに新潟県内でコンサートやレッスンをするだけでなく、もっと多くのレンガを積むことも考えるべきでないのか?と。まず2つのDVDを作って、そして本を自費出版して、それを東京や北海道や九州、海外からも買っていただけたことから世界の見方が変わりました。私が積むことのできるレンガはもっともっとたくさんあるのです。

バッハの楽譜の1小節を練習することも、遠方にお住まいの方に本を1冊郵送することも、このサイトに1つの文章を書くことも、どんなに小さなことも全てが世界の平和につながっていると意識して、高い志を持って活動してまいります。

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