要目表

製作者 カミーユ・プレイエル(Camille Pleyel)1848年
寸法 長さ2130mm、幅1300mm、本体厚さ320mm
重量 (測定準備中)
音域 CC~a4、82鍵
ピッチ a=430
アクション シングル・エスケープメント
特殊機能 第2響板

 

妻の楽器

はじめにお断りしておきますが、私はピアノを弾けません。この楽器は妻の八百板芳子のものです。

妻はショパン狂を自称していまして、「生きているうちに一度でいいからショパンが愛したプレイエル製フォルテピアノを試奏しに大阪(堺市にある「フォルテピアノ 山本コレクション」)に行ってみたいね」と常々話していました。そこに、偶然の巡り会わせで別のプレイエルが売りに出されるとの情報を得て、「これを逃したら一生後悔することになる」と買ってしまったのです。

フォルテピアノ

「フォルテピアノ」とは本来はピアノの正式名称の一つでしたが、現在では18世紀や19世紀の古い様式のピアノを現代のピアノと区別するための用語として定着しつつあります。構造の違いから来る音色の特徴は現代のピアノとは別の楽器と言ってもよいほどで、「作曲家が想定した響きの再現」という、近年チェンバロが復興したのと同じ理由で見直されてきています。

古いけれど時代の最先端

フランスのピアノ製作家プレイエルの名は、特にショパンが彼の楽器を愛用したことで知られています。この楽器はショパン存命中の1848年に作られ(つまり2018年に170歳になります)、ショパンが弾いていたのと同じ型です。(もっとも、プレイエルはショパンの友人だったので、ショパンに贈ったピアノは思いきり豪華に装飾されていましたが。)私のスタジオにおいでいただければ、ショパンが弾いた音と同じ音が聴けるのです。近年にわかにこのプレイエル製ピアノが注目を浴びて、仲道郁代さんなど一流のピアニストも同じモデルを所有するほどですが、そんなピアノがここにあるのです。

曲が作られた当時の楽器を使って当時の響きと演奏様式を再現しようという動きは、ついに有名なショパンコンクールにまで及んでいます。同コンクールの主催者によって、2018年9月にポーランドのワルシャワで、ショパン存命中のピアノを使ったショパンコンクールが開催されることになりました。この古いピアノを弾くことは、まさに時代の最先端を行くことなのです。

 

写真で見る各部の特徴

鍵盤周り

譜面台と燭台置き場

おしゃれでしょう? 楽譜を置けば見えなくなってしまう譜面台だって、ただの板では済ませないでこんなに凝っています。譜面台の両脇にあるのは燭台を置くところです。電気の無い時代、夜はろうそくの灯で練習したのですからね。

ネームプレートと鍵盤

「PLEYEL PARIS」と書かれたネームプレートです。このインパクトは水戸黄門の「この紋所が目に入らぬか!」といったところですね。白鍵は象牙です。所々で色調が違うのは、きっと象牙が剥がれたところを後で修理したものでしょう。

 

平行弦

チェンバロと同じように、弦がすべて平行に張られています。現代のピアノはアップライト・ピアノも含めて、低音弦を中高音弦の上に斜めに交差させることで省スペースを実現していますが、その代わりに音が濁るという欠点が生じていることを知る人はあまりいないでしょう。

 

小さくて軽いダンパー

鍵盤から指を離したときに音を止めるためのダンパーです。現代のピアノのダンパーと比べてとても小さく、手で持ち上げてみると本当に軽くて驚きます。鍵盤から指を離しても完全に音を止めずに少し響きが残り、それがすばらしい演奏効果を生み出します。

 

金属(鋳物)は補強程度

モーツァルトの頃の初期のフォルテピアノは楽器全体が木を組んで作られました。それがこの楽器の頃になると、ご覧のように大きな鋳物の部品も使われています。ですが、現代のピアノでは骨組み全体が鋳物の一体成型で作られているのに対して、このピアノではまだ木の構造を補強する程度です。弦の張力が現代のピアノの3分の1しかないそうで、この程度の補強で済んだのですね。弦の張力が弱いことから、音の減衰も速くなります。

 

竪琴をかたどったペダル支柱

おしゃれですよね。これはギリシャ神話に出てくる竪琴をデザインしたものです。昔の絵画や彫刻には、芸術の神アポロンや琴の名手オルフェウスが竪琴を奏でる姿がたびたび登場します。つまり「このピアノからアポロンやオルフェウスが奏でたような美しい音が出ますように」とアピールしているわけですね。

 

第2響板が現存

 

この楽器には、19世紀前半のピアノに好んで装着されていた第2響板が現存しています。その後の流行の変化によって第2響板が取り去られてしまった楽器が多いので、とても貴重なのです。

ただの板にしか見えないこんなものを、プレイエルなど当時のピアノ製作家はなぜ「第2響板」などと呼んだのでしょうか?(以下紛らわしいので、本来の響板を「第1響板」と呼ぶことにします。)写真のように第1響板にかぶせるようにして第2響板を鋳物の補強部品に固定すると、第1響板から鋳物部品に伝わった振動が第2響板にも伝わってわずかに振動し、「絶妙な響きを作り出す」というのです。せっかく第1響板が発した音を、わざわざ蓋をして閉じ込めるのですから、この時代のピアノは大きい音を出そうという現代の発想とは無縁だったのですね。

 

音の特徴

ショパンが記したペダル記号どおりでいい!

ダンパーが小さくて軽いので、キーを離してもすぐには音が消えずに豊かな残響があります。なので、ショパンが楽譜にペダル記号を全く書かなかった箇所が、楽譜どおりにペダルを全く踏まなくても空虚にならずに丁度よいのです。

逆に、弦の張力が弱いこともあって、特に高音部の音の減衰が速いです。なので、ショパンが楽譜でペダル踏みっぱなしと書いた箇所が、楽譜どおりに踏みっぱなしでも音の濁りが気にならずに丁度よいのです。

音域によって異なる音色

この楽器はチェンバロと同じように、音域によって音色を意図的に違えてあります。最高音域は本当に弱い音しか出ないけれどキラキラと水晶のような輝きをまとい、高音域は歌心あふれる女性の声のよう。中低音域は訳知り顔に語る男性の声のようで、最低音域は雷のような凄みのある音です。

現代のピアノと違ってすべての弦が平行に張られ、楽器の内部で弦が交差していないので、各音域が持つ音色の違いが混ざらずにそれぞれが主張します。そのことによって、ショパンの楽譜の裏に隠された対位法が、異なる楽器どうしの対話として浮き上がるのです。

音が小さい

弦の張力が弱いので、現代のピアノより音が小さいです。それを無視して現代のピアノのような大きな音を出そうとして力むと、とても汚い音になってしまいます。そうではなくて、弱音に表現の重心を移してみるのです。チェンバロよりも小さい弱音でもちゃんと表情がつけられるし、やっと鳴っているような最弱音の美しさは息を呑むようです。この楽器が置いてある部屋は12畳ほどの小さな空間ですが、そこでコンサートをしてもうるさくありません。まさにサロンのための楽器です。

 

機構

軽いタッチ、浅いキー

弾いてみると、本当にタッチが軽いです。チェンバロしか弾かなくなって指の筋肉が弱りきった私の手でも難なく弾けてしまいます。そして、キーの深さ(押し下げられる幅)は9mmしかありません。現代のピアノが10mmなので1mmしか違わないのですが、弾いた感じはかなり違うものです。

シングル・エスケープメント

エスケープメントというのは、鍵盤楽器の中でもピアノ特有の鍵盤の機構です。この仕組みをきちんと解説するのは大変ですので、ごく大雑把にお話ししますね。

キーを押すとハンマーが連動して弦を打ちますが、もしハンマーがキーに固定されていると困ったことになります。音を伸ばすためにキーを押し下げたままにすると、ハンマーが弦に当たったままになり、音が一瞬で止まってしまうのです。なので、ハンマーはキーに固定されていないで持ち上げられるだけです。そしてハンマーが弦の手前数ミリまで近付くとハンマーはキーを離れて弦を打ち、ただちに弦の振動を邪魔しないように初めの位置にまで逃げます(エスケープ)。このときキーはまだ押し下げられたままで、音は鳴り続けています。この、ハンマーがキーから離れて逃げる機構をエスケープメントと呼びます。

さて、この続きが本題です。キーが押し下げられたままでハンマーだけが元の位置に戻っている状態(音は鳴り続けている)から、指を離してキーを戻すと再びハンマーがキーの上にセットされます。モーツァルトの頃の初期のピアノからショパンの頃までは機構がシンプルで(シングル・エスケープメント)、キーを完全に戻さないとハンマーがキーの上にセットされないので、同じ音を素早く連打しようとすると限界がありました。そこへ、エラールというピアノ製作家がダブル・エスケープメントというものを発明して、キーを完全には戻さないうちにハンマーがキーの上にセットされるようにしたのです。連打の性能が飛躍的に向上し、以後現代のグランドピアノまでダブル・エスケープメントが受け継がれています。

ショパンとシングル・エスケープメント

プレイエルはエラールと同時代の製作家ですが、シングル・エスケープメントにこだわったと言われています。ショパンはプレイエルとエラールのピアノを両方持っていましたが、たとえ演奏は難しくてもショパンはプレイエルのピアノを理想としていて、次のように語ったと伝えられています。

私の体が言うことを聞かず、指も固くて動きが鈍く思うように鍵盤を動かせず、鍵やハンマーの動きを操るほどの力がないときは、エラールのピアノを選びます。音の響きが良くて、透明感がありますからね。でも気力が湧いてきて、いくら指を動かしても疲れないし、苛立つこともないようなら、プレイエルのほうが私の想念や感情をしんみり伝えられるし、個人的なものが直接に表現できます。指がハンマーに直結していて、ハンマーは私が表現したいと思っている感覚や、出したい効果をそのまま正確に表現してくれるような気がするのです。

機構がシンプルなので少しでも気を抜くと雑な演奏になってしまう難しい楽器ですが、このシングル・エスケープメントが可能にする「弦に直接触れるかのような繊細なタッチ」こそショパンがプレイエルを愛した大きな理由でした。

 

調律は私が自分でします

現代のピアノのように、金属のフレームに金属の弦が張ってあるのなら調律は年に数回でもいいかもしれませんが、この楽器は違います。鋳物の部品で補強されているとはいえ、本質的にはチェンバロ同様に木製の本体に金属の弦が張られているので狂いやすいです。細かいことを言えば1週間で狂いが気になります。その都度ピアノ調律師さんにお願いしてもいられませんから、日常の調律は自分でもできるように調律師さんから手ほどきを受けました。弦の張力が弱くてチューニングハンマーを回す力も小さくてよいので、ピアノ調律の特殊技能を専門に学ぶまでもなく私でもできてしまいます。

初めて調律したときには、3時間格闘してようやく最後までたどり着いたと思ったのに全然合っていなくて、翌日にまた一からやり直すような有様でした。それが少しずつ慣れてきて、今では2時間くらいでそこそこ気にならない程度まで合わせられるようになりました。

どうせ自分で調律するのですから、音律も現代の平均律ではなく、ショパンの時代に行われていたと考えられるような不等分律を自分で工夫しています。チェンバロの調律では、ピタゴラス・コンマを4等分して配置する中全音律やヴェルクマイスター、6等分するヤングやヴァロッティがよく使われますが(ごめんなさい、この専門用語を解説し始めるとものすごく長くなるので、適当に読み流してください)、時代が下って19世紀ですから、ピタゴラス・コンマを8等分して、それを一ヶ所に集めずに上手に分散して「八百板オリジナル8分の1コンマ第4調律法」と勝手に命名して使っています。ちゃんと、ハ長調は透明に、#や♭が増える調ほど響きが濁って、調による個性がはっきりします。(じつは、最初にスタジオで行ったコンサートのとき、本に書いてある8分の1コンマの音律どおりに合わせてみたら妻からクレームをもらってしまったのです。♭4個の調が濁りすぎて、「この濁りすぎはショパンの意図とは違うでしょ」というのです。)

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